01 とつぜん幼女がやってきた。
玄関を開けると幼女が立っていた。
6歳くらいだろうか。
頭には天使の輪を浮かばせていた。
髪は輝く金色。
瞳は透き通る碧色。
白ワンピースがよく似合う。
同じ白の服でも、くたびれてしまった私の割烹着とはえらい違いだ。
「やあ博士。邪魔するよ」
博士というのは、多分私の祖母のことだろう。
「申し訳ありませんが天使さま、祖母なら少し前に亡くなりました」
「うん? ああ、そうか、君は博士の孫か何かなのだね。似ているねえ、びっくりしたよ」
びっくりしたといいつつ、少女は表情も声のトーンもかえなかった。
「まあいいや、邪魔するよ」
家の中にあがってきた。
靴は脱いだが揃えなかった。
そのまま祖母の書斎に、何のためらいもなく入っていった。
祖父が気がついて自分の部屋から起きて来た。
「なんだい、来客かい」
「天使さまですよ。おばあさまを訪ねてきたみたいです。たぶん。いや、おそらく」
「ずいぶんと久しぶりなことだねえ。お茶は……あれ、いらないのだったかな? まあいいか。こういうのは気持ちが大切だからね」
「はい」
「それとだね、天使さまはおしゃべりがお好きだから、話し相手になってあげておくれ」
そういうと、祖父はまた部屋に帰ろうとした。
後ろから声をかけた。
「おじいさまは会わないので?」
「この年で天使さまに会うのは、少々怖いよ。連れて行かれてはかなわんからね」
書斎にお茶を持って入った。
天使さまは祖母の本を祖母の机で読んでいた。
体が小さいものだから椅子が必要以上に大きく見える。
天使さまは私に気がつくと、振り返ることなく話し始めた。
「博士は――君の祖母は、死ぬ間際まで研究を続けていたようだね。殊勝なことだ。この資料は君たち新人類の風俗文化を実に精細に記録している。私としても大助かりだよ」
そこまで話して、ようやく天使さまは私に向き直った。
天使さまは椅子に座り、私は書斎中央のテーブル前に正座している。
天使のことは見上げるのが礼儀だろうと思ったためだ。
「天使さま、お茶を持ってきたのですが」
「ああ、うん。気持ちだけ頂いておくよ。飲食ができるタイプのボディは、レンタルが高くつくんだ」
何を言っているのかは学のない私にはわからなかった。
とりあえず、祖父の言っていたとおり、お茶は気持ちだけになった。
「ところで、だ。博士の孫ともあろう君が、僕のことを天使扱いするのはどういったわけだい」
怒られたのだろうか。
声に起伏がないため、余計怖い。
「申し訳ありません、祖母があちこち飛び回ってばかりだったもので、私はあまり学を教わっていないのです」
祖母について歩いて回っていた兄なら、あるいは私よりは知識があるのかもしれない。
だがそんなものは言い訳で、私はもともと知識というものに、そこまでの興味関心がなかった。
今のご時世、とりあえずバカでも死にはしない。
死ななければなんとやらだ。
「僕たちは天使でもなんでもなくて、ただの旧人類さ。ちなみに僕は、君たち新人類の風俗文化研究を趣味としている」
「趣味……ですか」
私は旧人類さまがいらないと言ったお茶を飲んだ。
「もちろん実益も兼ねている。採掘した知識量に応じて仮想通貨がたまる仕組みさ。たまった仮想通貨でさまざまなサービスがうけられたり、アバターの着せ替えを楽しめたり、FC●動画の有料会員になれたりするんだ」
よくわからない。
「ええと、つまり、祖母は天……旧人類さまの研究の手伝いをしていたと?」
「いや、彼女も彼女で自身の知的好奇心に突き動かされていただけだろう。だいたい、僕らの間に報酬の交換はなかった。お互い知りたいことを相手に聞き、知っていることを相手に教えていただけさ。双方合意の上だったとも」
旧人類の幼女さまは椅子に座り、床につかない足を交互にブラブラさせていたが、これが昔を懐かしんでの行動なのかはわからなかった。
「僕たちは理想的な共存関係にあったと言える。古い諺にこんなものがあるんだ。『出版におけるゴーストライターは文化である』」
「よくわからないのですが、その諺はどんな意味なのでしょう?」
「たしか『音楽業界とは事情が違うんだ、サムラコウ⚫︎と一緒にするな!』……だったかな」
共存関係は?
幼女さまは椅子でクルクル回っていたが、その行動にどんな深い意味があるのかはわからなかった。
「……そもそも、旧人類、新人類というのはなんなのでしょう?」
ピタリと旧人類さまが止まった。
「君はいささか勉強不足だな。あるいは、今の時代の人間大半がそうなのかもしれない。新人類は僕らと比べて平和だが、頭のほうも平和というところか」
怒られているらしい。
「君が彼女に似ているのは姿形だけのようだね。仕方ない、今日1日僕が勉強をみてやろう」
結構だと思った。
「あの、特には、結構です」
「……その不遜な態度だけは、彼女に似ているね」
唐突に幼女の背中に翼が生えた。
蝙蝠の翼だった。どちらかと言えば悪魔だと思った。
と、すぐ真下で何かが倒れる音がした。
見ると、私が倒れていた。
「あれまっ?!」
咄嗟には理解が出来なかった。
あるいは、これが祖父の言っていた「連れて行かれる」ということかもしれないと感じた。
「君の魂を一時的に端末に同期した。鏡を見てみたまえ」
私は祖母の姿見で自分の姿を確認した。
なんということだろうか。
十五センチあるかないかという三頭身の割烹着天使が、そこに浮いていた。
私が右手を上げると割烹着天使も右手を上げた。
左手を上げると見せかけて、右手を降ろさないと、割烹着天使も右手をあげたままだった。
「こ、これは」
なんということだろうか。声も6割増しでかわいいではないか。
「さあ行こう。僕らの国に案内するよ」