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第2話:1945年8月15日(佐山亮治)

─8月15日─



『堪エ難キヲ堪エ、忍ビ難キヲ忍ビ……』


枕もとのラジオから聞こえてくる天皇陛下のお言葉を私は真っ直ぐに受け止めることが出来なかった。


今、私の布団の周りには家族全員が集り、皆押し黙って静かに陛下のお声を拝聴している。


妻と年老いた母は深くうなだれ、国民学校(*1)にあがったばかりの息子はこの異常な雰囲気に飲まれ、オロオロと落ち着かない様子だ。


聞こえてくる音は、庭先でひと夏の命をまっとうせんと懸命に鳴く蝉の声、雑音混じりのラジオからの淡々とした陛下のお声、母の枯れたすすり泣く声、私が時折あげる呻き声。


ラジオから流れてくる大日本帝国の敗北、そしてポツダム宣言。


私は納得がいかなかった。帝国の勝利を信じ、あれだけ多くの戦友の命を捧げた戦争の結末が、このようなものだと納得出来なかった。



放送が終了しても誰一人動こうとはしない。


暫く永遠とも思える沈黙が続くが、やがて妻が口を切りだす。


「貴方、これから私たちはいったいどうすればいいの……?」


勝ち気な妻にしては弱気な、そして色んな意味を含んだ言葉。


国が戦争に負け、国民はどうすればいいのか?そして、死にゆく夫に妻はどうすればよいのか?


玉音放送が始まる前、私は司令部(*2)お抱えの軍医(*3)から余命1ヶ月との宣告を下されたばかりだった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



伊号潜(*4)の艦長だった私が肺結核を患って艦を降りたのは、硫黄島が陥落して(*5)しばらくたった、4月の初めのことだった。


初めに自分に顕れた症状を、私は単なる風邪だと決めつけ、ほったらかしにしていた。


─帝国の一大事に風邪ごときで休んでなどいられるか─


実際戦況は日増しに、いや、分刻みで厳しくなっていた。


2月19日に硫黄島に米海兵隊が上陸、3月10日に東京大空襲(*6)があり、それ以降全国各地で大空襲が続いている。


私は必死に軍務をこなし、血を吐いて倒れた。


長年の潜水艦勤務で肺を悪くしていた(*7)せいだろうか、結核は瞬く間に進行し、私の躯を容赦なく蝕んだ。


疎開先(*8)で私が倒れたと聞き付けた妻は、息子を連れて飛んで帰ってきた。


妻が私のために帰ってきてくれたことは堪らなく嬉しかった。


しかし…


─この町にも近いうちに空襲があるだろう─


私は懸命に説得して妻を追い返そうとした。

死が確定している私は空襲で死のうが構わなかったが、妻や息子だけはそんな目に遇って欲しくなかった。


しかし、お義父さんに似て頑固者の妻はそれを跳ね退る。


「結婚のときに『どんなことも“二人”で』って、あなたは誓ってくれたじゃないですか」


あの時と同じ彼女の微笑みに、私は折れざるをえなかった。


その後、町は何度か空襲にあったが、幸いにして私達は家も家族も無事でいることができた。


しかし帝国にも、私にも“死”は着実にせまっていた。



─艦を降りて間もなく沖縄に向かった戦艦大和(*9)が沈んだ─


─再び血を吐いた─


─私の乗艦していた伊号潜が撃沈された─


─沖縄の守備隊が壊滅した(*10)─


─40度を超える高熱が三日続いた─


─広島に、長崎に新型爆弾(*11)が落とされた─



─そして、今日─



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



正座し、私の“答え”を待つ妻を目の端が捕らえる。母は相変わらずうつむき、視線を畳みに落としている。


私はむくりと布団から起き上がった。


その場の全員が驚き、目を丸くする。


私は思った以上に自分がしっかり立つことができ、満足する。そして壁に掛けてあった軍服へ、ゆっくりと歩み寄る。


真っ白な海軍第一種軍装(*12)の詰め襟。


私は着ていた病服を脱ぎ捨て、長らく袖を通していない軍服に着替える。“少佐”の階級章が窓から差し込む日の光りをうけて煌めく。


水漬く屍、草むす屍(*13)となって多くの命が散った。上官が部下が、一般市民が。こんな“終わり”は絶対に認めない。


「あなた……」


長年連れ添った妻は私の意図する所を察したのだろう。その声の響きは引き留めるものではなかった。


「おそらく、これから先連合国軍が押し寄せて来るだろう……芳恵、もしもの時はわかっているな?」


妻は頷き、ブラウスのポケットから小さな白い紙包みを取り出す。中には自決用の青酸カリ(*14)が入っているはずだ。


「母さん、馬鹿な息子をお許し下さい」


母は何も言わない。ただすすり泣く。


「慎司、母さんと婆さんを頼んだぞ」


息子の頭をくしゃりと撫でる。

彼はすぐさま立ち上がると姿勢をただし、私に挙手の礼(*15)。


私は息子に返礼。



礼を解くと改めて家族の姿を目に焼き付ける。



そして最後に、




「芳恵、ありがとう」




「……はい」




私は家族に背を向けると静かにその場を去った。




1945年8月15日(佐山亮治)



*1.現在の小学校にあたる学校

*2.軍隊や艦隊を統率・指揮する部署

*3.軍組織内の医者

*4.帝国海軍の潜水艦

*5.小笠原諸島南方に浮かぶ島。2万1千人の日本陸海軍の守備隊が護る硫黄島に米海兵隊6万1千人が上陸、激戦の末、硫黄島守備隊は3月26日に玉砕

*6.米B-29爆撃機344機による東京夜間爆撃。焼夷弾により下町を中心に40キロ平方メートルが焦土と化す。死者はおよそ10万人

*7.当時の潜水艦は換気が悪く、淀んだ空気で肺を悪くしやすかった

*8.空襲を逃れるために都市から地方へ避難すること

*9.帝国海軍が誇った世界最大最強の戦艦。沖縄支援のために出撃し、米軍の航空攻撃によって4月7日に沈没

*10.米軍が沖縄に上陸し一般市民も戦闘に巻き込まれる悲劇が起こった。6月23日に日本軍の組織的抵抗は終わるが、戦闘は9月7日まで続く。日本側の死者は18万人

*11.原子爆弾の当時の呼び方。8月6日に広島に、9日に長崎に投下され、広島で20万人長崎で10万人の死者を出した

*12.将校の軍服は三種類あり、そのうち一つ

*13.海軍葬送曲“海ゆかば”の一節

『海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ』

*14.猛毒。米軍が上陸したとき婦女子は暴行を受けるとされ、自決用に所持する者が多かった

*15.敬礼のこと

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