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第1話:1945年8月15日(田辺克也)

この作品はフィクションであって実在の人物や団体とは無関係です。

─8月15日─



俺達は炎天下のなか、全ての作業を中断して基地の広場に整列させられていた。


─重大な放送がある─


ただそれだけを聞かされて。


そして正午、目の前のラジオから声が聞こえてきた。


『朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ、非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ、茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク……』


雑音混じりのラジオから聞こえてくる、妙に間延びしたようなイントネーションが特徴的な声。それは俺が─国民の大半がそうだったように─生まれて初めて聞いた天皇陛下のお声だった。


ひどい雑音と難しい言葉ばかりで完全には理解出来なかったが、足掛け十五年にも及ぶ戦争(*1)が終わった、ただそれだけが何となく解った。


玉音放送(*2)を聞いていた時、集められた連中は色んな反応を示した。


鳴咽を漏らし男泣きしているやつ

瞑目しているやつ

がっくりと肩を落としているやつ

ただ天を仰ぐやつ


そんななかで俺は特別な感慨もなく、ただ聞こえてくるラジオに目を向ける。


俺はもうあの“回天”に乗ることはないのだろう、ただそれだけを思っていた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜



放送が終わり、ポツダム宣言(*3)の内容がアナウンサーによって読み上げられると、俺達は解散させられた。


そして俺はその足で“回天”の格納庫へ向う。


特別な思いがあった訳ではない。ただ集合がかかった時に中断した整備の続きをするためだ。


もっとも、戦争が終わったのなら特攻(*4)もなく、ほったらかしでも構わないのだろうが。



─“回天”─


それは衰えた勢いを盛り返すという意味をもつ。太平洋戦争末期に開発され、魚雷を改造した一人乗り特攻潜水艇。そして俺はそれに高精度誘導装置として搭載される“特攻隊員”(*5)だった。



格納庫の扉を開けるとすぐに明るい少女の声が耳に飛び込んでくる。


「おかえり、克ちゃん。重大な放送っていったい何だったの?」


「天皇陛下のラジオ放送があったんだ。日本が負けた、って」


「ふーん」


声は何の感慨もなさ気に相槌をうつ。まるでどうでもいい野球の試合結果を聞き流しているかのようだ。


「お前は悔しいとか何とか思わないのか?」


俺はいつものように棚に片付けていた工具箱を持ち、自分が搭乗し敵艦に突っ込む予定だった“回天”に歩み寄る。


「んー、別に何とも。克ちゃんだって似たり寄ったりなんでしょ?」


「まあ、そうだけど」


そう、俺も別に戦争の勝ち負けなんかどうでもよかった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜



支那時変(*6)が始まってすぐに親父は戦死、母は幼かった俺を道連れに心中を図ったらしい。


伝聞形なのはその時のことを俺が詳しく覚えていないからだ。


脳裏に刻まれたのは不鮮明なイメージ。


揺らめく炎の熱さ

引き裂かれるような腹部の痛み

泣いているのか笑っているのか判らない母の顔

紅い血が滴る包丁


俺は焼け落ちる家から近所に駐在していた“憲兵さん”(*7)に助け出され、一命を取り留める。


母は助からなかったそうだ。


あの時の俺は母に殺されかけたというトラウマから人間不信に陥り、誰とも口を利かず、眼に光りはなく、生きているのに死んでいるような状態だった。


そんな俺を“憲兵さん”は引き取る。


“憲兵さん”は妻と子どもを結核(*8)で亡くし、俺と同じく独りだった。

優しい彼は実の父のように、俺を実の息子のように可愛がり育て、そして死んだ。


彼の妻や子どもと同じ結核だった。


“憲兵さん”のおかげで取り戻しつつあった俺の生きる気力は彼の死で再び粉々に砕かれた。


その後、俺がどうやって軍に入隊し、どういった経緯で特攻隊員になったかはほとんど覚えていない。ただ世の流れに身を任せて流れ着いたのがここだ。


そんな世捨て人同然の俺にとって戦争の勝ち負けなんて本当にどうでもよかった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜



台車に乗せられた“回天”に木製の梯子をかけ、上部ハッチから俺は内部に潜り込む。


内部は壁一面にパイプやケーブルが張り巡らされ、各所にバルブやメーターが配置してあった。ネジやボルト、バルブハンドルが緩んでいないか点検し、緩んでいれば締め直す。


「克ちゃんはこれからどうするつもり?」


「いろいろと処理があるだろうから暫くはこの基地にいる。そのあとは考えていないが、お前はどうする?」


聞いたところで仕方がないのは解っているが。


「私は自分の意思でどうこう出来る躯じゃないからね、克ちゃんの好きにして」


これが全く違う状況だったのなら、どれほど甘美な言葉だろうか。


だが俺は声の主を好きなようにする気はさらさらない。


「悪いがそれは出来ない相談だ。戦争が終わっても海軍は未だ健在。軍の“兵器”を好きなようにする権限は俺にはないんだよ」


俺がハッチから外に出て声の主を軽くスパナで叩いてやると軽い金属音と反応が返ってくる。


「痛っ。もー、克ちゃん、女の子は優しく扱うもんだよ!」


「誰が“女の子”だ。ほれ、整備終わったぞ」


「ん、ありがとね」


俺は梯子から降りると改めて声の主を見る。


全長15メートル、炸薬1.6トン、総重量8トン、耐圧深度80メートル、最大戦速30ノット、航続距離78キロメートル。


一度出撃すれば決して生還を帰すことのない鋼鉄の棺桶。


その名は─


人間魚雷“回天”




1945年8月15日(田辺克也)


*1.満州事変、日中戦争、太平洋戦争までの15年間(1931〜1945)

*2.昭和天皇が肉声で全国民にむけ終戦を知らせた放送

*3.連合国(米英中ソ)が日本に対して提示した降伏条件。日本は8月14日にこれを受諾

*4.体当たり自爆攻撃

*5.ここでは"菊水特攻隊"のことをさす

*6.日中戦争の当時の日本側の呼び方

*7.軍組織内の警察官

*8.伝染病。当時は抗生物質がなく、不治の病だった

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