二之宮(5)
「遊杏ちゃん!だーめーや!!」
由宇麻はトマトを摘まむ遊杏を抱き上げた。遊杏が足をバタバタと振って抵抗する。
「むぅー!ボクチャンお腹空いたのー!!」
「俺だって空いてんのや!!でもな…」
「じゃあ、食べよ?」
遊杏がくりくりさせた瞳で由宇麻を見上げた。
……………………………………
「そうやな。食べよ!」
と、椅子に座り、手を合わせて…
「何が『早くせーへんと遊杏ちゃんに食べられてまう』なんだい?」
「あぅ、蓮君!!」
二之宮は欠伸を噛み殺して由宇麻と遊杏の頭を叩くと椅子に座った。
「食べようか」
「は~い!」
「いただきますや!」
……チチッ…チッ…
「あー、遊んでもらうなら遊杏にしてくれ。木曜から全然寝れてないんだ」
小鳥の囀りが聴こえる。澄みきっていて綺麗。
……チッ……チチチ…
「そっか、仕事が入ってたな…今の時期休むわけにはいかないし…仮眠取るからあと2時間したら起こしてくれるか?」
…………チチッ………
ありがとう。そう言った誰かの声は温かい。
……ゴホッ…ゴホッ…ッ…ハァハァ……
混じる異音。
「……睡眠不足が祟ったか…」
苦しそう。辛いなら休めばいいのに。
……ピー。
「38.2…上がるかな………計るんじゃなかった…頭痛くなってきた」
ガタッ
「薬、薬。あった…抵抗ついてきたから効き目薄いかもしれないけどこれが一番強力だしな…新しいの作る時間ないし…………んっ……苦い」
薬は苦い?
違う…薬は……痛い…
『何を?』
『承諾しただろ?』
『承諾した…』
『じゃあ分かるだろ?』
『分からない…』
『交換条件ってのは何かを得る代わりに何かを差し出すことだろ?』
『知ってる…』
『俺達はお前の家族、及びその周りの者の安全を。代わりにお前は何を俺達に差し出す?』
『力を』
『力ってのは曖昧だろ?肝心な時、お前が刃向かったら?』
『あんたらだって』
『じゃあ、今からお前の家族皆殺しにしようか?』
『お前を殺してやる』
『俺が死ぬ頃には家族全員死んでるぞ……忘れてないか?カミサマのことを』
『…………………』
『いい子だな。俺達はお前の弱味を握ってる。条件付きなだけましなんだぞ。そのままいい子にしてたらいいんだ』
『いい子は嫌いだ…』
『まぁ、大人しくしてればそんなことどうでもいいさ』
『………っ!……何を入れた』
『ただの薬さ。魔力抑制の。副作用の影響で痛むかもな』
『っ!!』
『直に慣れるさ。痛みは恐怖。恐怖は支配へと…』
「おい!崇弥!」
「…うん?……へ?二之宮?」
二之宮が眉をひそめて洸祈を見下ろしていた。部屋はオレンジに染まり、二之宮の髪もまた、オレンジに変わっていた。
「もう夕方か…」
「崇弥、物騒なこと呟いてたぞ」
「?」
額にかかる髪を二之宮はかき揚げて長い溜め息を吐く。
「殺す、復讐してやる、死ね……子供に悪影響を及ぼす言葉のオンパレードだったよ」
二之宮はベッドに腰掛けると呆然とする洸祈の頬を撫でた。
「眠っている間も苦しんでいたら君がもたないよ。なんなら安眠できる薬でも調合しようか?」
「………いや…いい…」
薬は痛いから。
……チチチ…チッ…
漆黒の翼をもった小鳥が赤い目輝かせて二之宮の肩に留まった。首を小刻みに動かして鳴く。
「分かってる。もう行かなきゃな」
「仕事?」
「あぁ。お楽しみは後でな。遊杏と童顔君を頼んだよ」
熱い手のひらで二之宮は洸祈の前髪をあげるとそこにキスをした。
「今日は無理しないで。今日もだね。でも、一応成功して良かった」
二之宮は笑みを溢すと立ち上がり、小鳥を肩に乗せたまま部屋を出ていった。
「熱かった」
手のひらもキスも。
幕が下りきった瞬間、拍手喝采の中で二之宮は倒れた。
「二之宮!」
洸祈は音を発てずに二之宮のもとへ駆け寄ると、脱力した体を抱き上げて舞台袖に運んだ。
熱い。
「崇弥…」
「二之宮は無理し過ぎなんだよ」
「………お互い様だって……」
眠った二之宮に自分のコートを着せてやって背中におぶると、うんうん頷く劇団長に頭を下げて洸祈は建物の外に出た。劇場への道案内をしてくれた青の小鳥が漆黒の小鳥と共にじゃれあいながら帰り道の案内もしてくれる。
「崇弥!蓮君の部屋温かくしといたで」
「ありがとな、司野」
「くぅちゃん、にーは?」
洸祈の歩幅に合わせて足早に歩く遊杏は心配そうに二之宮を見上げた。
「大丈夫だよ、杏。俺にも経験と知識があるから二之宮の風邪なんて直ぐに治せるさ」
洸祈が片手を伸ばして遊杏の髪を撫でると彼女はにこりと笑う。
「明日は学校だろ?さ、早くお休み。せっかく二之宮が行かせてくれてるんだから休むわけにはいかないだろ?」
「でも、明日はくぅちゃん達帰っちゃうんでしょ?にーが一人になっちゃう」
「明日になっても具合が悪かったら俺が二之宮を看るから安心しろ」
それでやっと安心した遊杏は由宇麻に連れられて部屋に行った。二羽の小鳥もそれについていく。
「うーん。どうしよう」
ベッドに横たえた二之宮の質素なワンピース。
どうしようもなくて洸祈は狼狽えてると二之宮は目を開けた。そして、ダルそうに上体を起こす。
「…タンスから……僕の…何でもいいから……服頂戴」
「う、うん」
洸祈はタンスから弛めの服を探し出すと、ワンピースを脱ぐ二之宮の傍らに置いた。
「ありがと…」
二之宮は脱いだワンピースを床に投げ付けるとズボンを履き…
「……涼しい…」
半裸のままベッドに横になった。純白のシーツの上で彼はかいた汗を冷やす。
「二之宮!」
洸祈はそんな二之宮の姿を見付けると彼に無理矢理服を着せ、布団の中に押し込んだ。
「熱い…」
「熱くて当然だ。38.5だよ?…ほら、寝るんだ」
「今度は……僕が…君に…看病される番か」
思い出した洸祈は昔を思い出す。
「じゃあ、俺が歌を歌う番か?」
「いや…遠慮しとく……君、音痴だから……」
「さらりと言うなよ。虚しくなってくる……ほら、寝ろって」
目の潤む二之宮の髪を撫で付けると洸祈は由宇麻に用事があって一旦部屋を出ようとした。
「イヤだよ!…清…清…清…」
「二之宮?」
突然“清”と呼ぶ二之宮。どうしたのかと上から覗けば、洸祈は首に腕を掛けられて布団に突っ伏した。
「んー!!」
「イヤだよ、行かないで…僕を置いて行かないで……清…清…」
「…っ……置いて行かない………由宇麻にちょっと話しに行こうとしただけだよ」
どうにか腕から逃れると説明をした。そして、再び出ようと、
「清!……駄目、行っちゃ……僕と一緒にいつまでも………清……僕は…」
腕を引っ張られ二之宮は洸祈を抱き寄せた。
熱い。
洸祈は身を捩らせるがびくともしない。無理矢理でもいい。しかし、病人だ。
「僕を一人にしないで…………僕の光…君は太陽………眩しすぎて……僕には…触れない…でも………目が光を失えば……僕は君に触れられる…………」
「…二之宮」
それは歌詞の一節。
「僕は孤独なオオカミ……光が嫌い………求めているから…妬ましい」
……―清―……
耳許で囁かれる。
低く深く美しい狼の遠吠え。体の内から這い上がってくるような魅惑の声。その声に洸祈はぞくりと体を震わせた。
「……にの…みや…」
「何?」
「寝るんだ。自分が言っていることが理解出来てないだろ?」
「―」
とても小さな声。
「?」
ぐらりと傾く二之宮の体。支えようとして洸祈は咄嗟に体の向きを変えて彼を抱く。
「……理解出来てる…」
「二之宮?」
「君が欲しい」
二之宮は長い指を器用に使ってあっという間に洸祈の服の釦を外した。逃れようとして洸祈は後ろに仰け反るが二之宮の腕が腰を引き寄せる。
「二之宮!放せ!」
「狼って呼んで…清」
手が…体が…密着する二之宮の全てが熱い。
「狼!」
「……ねぇ…清。心は何処にあるのかな?」
洸祈の頭を撫でて「ここ?」と首を傾げる。
洸祈の心臓の上辺りを撫でて「ここ?」と首を傾げる。
「教えて。君の愛は何処にあるのかな?」
心も愛も思考の一種だ。何処と訊かれて答えられるはずがない。
「狼、凄い熱だ。早く眠れ」
「あぁ、僕は死ぬのかな……熱い…でも…寒い…………焼かれるように熱い…でも…凍えるように寒い……」
「狼!寝てくれ」
「………………助けて」
二之宮の目から涙が溢れた。
「狼!?」
「死にたくない…死にたくないよ……僕は生きたい…生きたい…生きたい」
涙がシーツに染みを作る。
「狼、どうしたんだよ!」
「分からない…何もかも……清が好き…清が嫌い……僕は何をしたい?…分からない……愛が欲しい…独りがいい………僕は何をしたい?…………死にたい…生きたい……分からない…分からない…分からないよ!!!!」
二之宮は分からないと繰り返す。何度も何度も。
こんなに取り乱した二之宮は初めてだ。
「じゃあ何にも考えないで…狼…何にも考えちゃいけない。深呼吸して」
「うん」
二之宮は喉を震わせて深呼吸をする。ゆっくりゆっくりと…やがて二之宮は緩やかな鼓動を取り戻した。
「ほら、布団に入って。俺が一緒に寝るから。一緒に寝れば温かいよ」
「………うん」
ひっくと喉を鳴らして二之宮は洸祈にしがみついた。