嘘と真(2)
「洸、もう僕にあんな頼みごとやめて欲しいな」
千里は自室のベッドに寝転びながら本を読む洸祈を睨んだ。
「何か問題があったのか?」
それに洸祈は本から目を離さずに答える。
「大有り!起きたらあおに怒られる!」
「起きたらって、睡眠薬でも盛ったのか?」
「うん」
洸祈は軽く驚きながら本から目を離し、机の上に置いてある小型機器をいじって椅子に座る千里を横目に見た。それは洸祈が作ったクロスチップと呼ばれる5センチ四方の物体で、いわゆる爆弾。退屈な授業を聞いていたら、ふと思い付いたのだ。手先は器用ではないが、科学部所属の友――深原蒼詩がそれを形にしてくれたのだ。
「自業自得。普段は温厚だからこそ、限界が来た時のあいつは怒るとめちゃくちゃ怖いんだよな」
チップを弄りながら脚をだらしなく机に乗っけている千里を鼻で笑う。
「そんなの知ってるよ。君を含めて僕達は仲良しこよしの幼馴染じゃん。それに、ここに来てから既に一度怒られてるし」
「何したんだ?」
「勇者だな」と、洸祈は傍の棚に置かれたコーヒー入りのマグカップを持ち上げた。
「夜遊びして部屋戻ったら、あおが何故か僕のベッドで寝てたんだ。だから起こそうとしたんだよ。そしたら、何処に隠してたのか一瞬で銃を突きつけられた。僕のおでこに銃口くっついてたもん。あれは暗殺者の目だったね」
「葵の中で睡眠はかなり重要な位置にあるからな。睡眠を邪魔する者は誰だろうと殺す、なんだろうな」
「ここって成績上位者を予備軍人ってことにして武器の携帯を許可してさぁ、物騒だよね。あおは寝惚けてるのか僕の話し聞いてくれないし。しょうがないから、襲うふりしてちょっと悪戯してみたら……」
洸祈は千里の問題発言で飲みかけていたコーヒーに噎せた。千里はそんな洸祈にお構い無しで喋る。
「瞬時に覚醒して投げ飛ばされた挙げ句に、拳銃をぶっぱなされた。ゴム弾とは言え、学友に向けて撃つとかあり得ないよね」
実弾じゃなくて良かったな。なんて洸祈は思いながら呼吸を整えた。強く咳をしたせいで喉と腹が痛い。
「まぁ、僕に銃は問題無いけど、最初の背負い投げは効いた。突然過ぎてモロに食らったから」
溜め息を吐く千里は翡翠色の瞳を細めた。今は痛くない背中が痛むようだった。
「それで?俺の言ったことやってくれたか?」
「やったよ」
頬を可愛らしく膨らませた千里。その目は笑っていなかった。
「あおは気付いてないみたいだったけど」
「ありがとな、ちぃ」
「だーかーら、千里だって!」
再び本に集中していた洸祈から千里は本を奪う。洸祈のお願いは聞いてあげたのに不公平だと、千里は眉間を寄せた。
「いいだろ、ちぃで」
「良くない!ずっと言ってんじゃん!」
「はいはい。それ近づけんなよ」
洸祈は意地になっている千里が掴んでいるチップを目線で示した。
「大丈夫。ここは洸以外の人いないし」
入室者待ちのこの部屋は、洸祈の一人部屋だ。
一応、入室者待ちになっているだけで、この部屋に誰かが入ることは絶対にない。それらしい形式を保っているだけなのだ。学生でこのことを知るのは当事者の洸祈のみ。
千里は知らずに授業をサボる為にこの部屋を使うのだ。
「だから、これからは千里ね」
「無理な条件だな。俺はこの呼び方が気に入ってるんで。な、ちぃ」
明らかに不機嫌になった千里はチップの安全ピンを外した。
「待てよ。その威力は半径2メートル以内の物をこっぱ微塵にするんだって」
「だから、僕は大丈夫だって」
やんわりとした笑顔を見せる千里は悪魔だ。彼はチップを持った手を振り上げた。
「あ、そうだ。良いこと教えてやるよ」
「何を言ったって、僕は止めないよ?」
「この前、葵が言ってたけど、コツを掴んだのか、風系魔法の探知速度をかなり上げることができたらしいぞ。あいつのセンスはお兄ちゃんの俺でも目を見張るものがあるな」
つまり、
「千里!!!!」
その言葉と同時に洸祈の部屋のドアが凄まじい音を発てて開き、チップを振り落とそうとした手が止まった。
「鍵閉めてなくて良かった」
洸祈がポツリと呟く。
「あお!?」
千里がドアの方を振り向いた時には、既にそこにいるはずの人物は居らず、千里の真横に立っていた。
「これ、欲しいか?」
葵は千里のこめかみに拳銃の銃口を突きつける。
「いらない。僕には間に合ってるから」
相変わらずの笑顔で千里も抵抗した。
そんな二人がやり取りをしている間の洸祈の行動は早かった。
「えーっと、確かここに」
洸祈はマグカップをシンクに置くと、傍の棚の引き出しを開ける。
そこにあったのは、何枚かの幾何学模様の入った長方形の紙。
「これだ」
洸祈は束から1枚抜き取るとベッド付近の壁に書かれた幾何学模様の中心にそれを叩きつけた。
「これでよしっと」
すると紙は青白い光を放って壁の模様を辿る。
端まで辿り終わると何事も無かったように光は消え、紙はヒラヒラとベッドに落ちた。すると、模様は消えて無地の白壁に戻る。
その瞬間、惨劇は始まった。
一発の銃声。
千里が上体を傾けたかと思えば、
「無理だよーだ」
倒れていなかった。洸祈の寝転ぶベッドに飛び乗った千里は無傷。
黒いゴム弾は千里からかなり外れたところにめり込んでいて、そこが青白く光ると、弾は押し出されて床に落ちる。弾の衝撃で空いているはずの穴は無かった。
「僕には無理だって。あおだって分かってるでしょ?」
葵の表情が険しくなっていく。
「やばいぞ、葵がキレる」
葵を横目に盗み見た洸祈はベッドから降りた。葵の気に触れないようドアの方へとゆっくりと近寄る。
「何処行くの?」
葵は視線を千里に注ぎながら言った。
「避難を……」
洸祈はドアノブに手をかけ、押したが開かない。
「あれ?」
ドアの隙間から入り込むのは風。ドアに耳を当てると嵐のような風の音が聞こえた。外の廊下がどうなっているかは考えないでおく。
「風で押してるな?」
「うん。本当は千里が逃げないようにだったんだけど、洸祈には話があるから」
振り向いた洸祈をじっと葵は見詰める。
髪の色、瞳の色は違えど、同じ顔の双子の兄弟。けれども、互いが何を考えているなんて、そんな魔法はないから分かるはずがないのだ。
葵が険しい顔を洸祈に向けていると、その隙を突いた千里が窓を大きく開け放った。風が勢い良く部屋に入り、カーテンが棚引く。
「ふっふっふー!敵を前に他に気を取られちゃ駄目でしょ」
「千里、待て!!」
葵が唸り、「待てで待つのは犬だけだよー」と笑いながら千里が窓枠に足を掛けて飛び降りた――ように見えた。
「おいおい」
二人は直ぐに窓から下を見たが、煉瓦を敷き詰めた歩道に人影はない。
「ちぃって空間転移魔法使えたっけ?」
「千里は空間断絶魔法だろう?同じ空間系とは言え、俺も知らない間に空間転移まで使えるように……」
「そっか。あいつも成長してるんだな。親友として赤飯炊いとく?」
「璃央先生にも伝えなきゃ。喜ぶと思う」
なんやかんやで親友が大好きな双子は千里の成長を感じて素直に喜び合う。彼らはにこにこと笑顔を交換し合うが、流石に気まずくなった人物が1人だけいた。
「ちょっと、やめてよ!恥ずかしいじゃん!」
二人に降り注ぐ声。
上を向いた二人の目に写ったのは太陽を背に屋根から顔を出す千里だった。
「あ、そっか。ここ最上階なんだった」と、改めて洸祈が呟く。そして、驚いている洸祈を他所に、葵はくるりと態度を変えて拳銃を構えた。
「千里、降りてこい!!」
躊躇なく葵は弾を撃つ。
「僕にはそんなもの効かないって。分かってるのになんで撃つのさ」
千里に向けて放たれた弾は、次の瞬間には洸祈と葵の間を微かな風と共に通り抜けて地面に向かって一直線にとんだ。
「諦めなよ、あお。僕の空間断絶魔法は僕を勝手に守るんだ。弾かれた弾が君達に当たるかもしれないよ」
「うるさい」
葵は眉間にしわを寄せて狙いを定める。
「おい、葵。意味ないって」
怒った葵には兄の言葉でさえ届かず、彼は千里に向けてもう一発撃った。
「いっ……」
ツンと刺す痛みと共に流れ始めたのは洸祈の血。
頬を押さえた彼は窓から顔を引っ込める。
「あお!!」
千里はこの状況に目を丸めると、直ぐに冷静になって葵を睨んだ。
「僕は言っただろう?洸を殺す気?」
「そんなはずないだろ!」
葵はカッとなって返す。元はといえば千里が変なことをしたせいだ。
「ごめん。洸祈」
葵も窓から顔を引っ込めると、洸祈に深く頭を下げる。銃を腰のホルスターに戻し、洸祈の傷の具合を見ようとした。しかし、洸祈はそれをやんわりと断ると、肩を落とす葵の頭を優しく撫でた。
「大丈夫だよ。ちょっと絆創膏だけ貰ってくる。お前のせいでもないし、ちぃのせいでもない。だから、落ち着いてくれ。葵らしくない」
「…………本当にごめん。俺……洸祈が退学になるって…………千里もなんかおかしいし…………俺だけ……」
「俺の方こそごめんな。いつも心配掛けて。だからこそ、お前には…………ああ、疲れてるんだな。俺のベッド使っていいから。ほら」
洸祈に促されるままベッドに腰掛ける葵。
座ると自覚してくるのは頭の重みだ。葵は重くて支えられない頭を肩から下ろすように洸祈のベッドに横になった。布団からお日様の匂いがしてきて、葵は呼吸を落ち着かせる。
「一旦、休め。ちぃのことは俺に任せろ」
「違うんだ……俺は洸祈に話したいことが……何だっけ……」
洸祈の手のひらが葵の目尻を包み、その温かさに葵の瞼は閉じられた。
直ぐに穏やかな寝息を立て始めた葵。洸祈は彼が眠りやすいように体勢を変えてやると布団を掛けた。
頬を隠す髪を退かすと、葵は寝心地良さそうにした。
「ちぃ……千里、葵が起きたらちゃんと部屋に帰れるようにしてくれよ?」
窓枠にしゃがみ込む千里の影が葵の体に差す。
「本当にこれで良いのかな……」
「いいんだ。これは俺の問題で、葵には関係ないことだから」
「…………ないわけないよ。君のことはあおにも僕にも関係あるんだ。それだけは覚えていてほしいかな」
「葵を頼んだ」
洸祈がドアを開けると、そこには黒色詰襟の軍服姿の男が二人。仲良く並んで立っていた。お揃いのサングラスが不気味である。
「洸……!」
「大丈夫。お前は葵の傍にいろ」
「……………………うん。あおは僕が守るから」
「ありがとう」
微かに微笑んだ洸祈は男に付いて廊下を進んで行った。
「っ、痛い……」
いつの間に眠ったのだろうか。起きたら知らないところにいた。
日が落ちて薄暗い室内の味気ない天井はいつもの寮の部屋とは違った。
「あ、起きた?」
「せん…………ここは……俺が寝てる間に部屋の模様替えしたのか?」
そうでもなければ、この状況に説明が付かない。
俺は隣のベッドに寝転んで漫画を読む千里を見た。
「ここは洸の部屋」
「洸祈の……………………」
頼りになる俺の兄。双子の兄だ。
「あお?」
「………………千里、洸祈は何処へ……」
「……分かんないよ。洸は教えてくれないんだから」
いつもへらへらと笑っている千里の表情は硬かった。千里は立ち上がると、「さぁ、僕達の部屋に帰ろう」と手を差し出してくる。
「千里……おかしい……何かが…………なぁ……洸祈の……」
考えようとしても頭が回らない。どんよりとした曇り空をただ見上げている気分だ。何がおかしいのかも分からない。
「また明日にしよう?洸の退学の日はまだ後だから」
「でも……俺…………いや…………」
頭が痛い。
何かが分かりそうな気がして、それを探ろうとすると頭が割れそうな程に痛くなる。
始まりは何処だ?
何処まで遡れば、違和感に辿り着く?
「考えなくていい…………もう考えないで…………だって君は……」
「――あの時、何を飲ませた?」
千里の目が見開かれた。
宝石のような翡翠色の瞳がキラリと光る。
気を抜いた時の千里は本当に分かりやすい。こんなのは疑ってくれと言っているのと同義だ。
「ココアだ。お前がくれたココア……あれから俺は……」
眠くなって、頭は麻痺したみたいに働かなくなって。
「もう分かってるでしょ?」
いつも千里は俺を頭脳明晰な人間だからと持ち上げるが、結局はただの人間。神ではないから、何でもかんでもお見通しではないのだ。
それでも、今、俺は分かった気がした。
「千里……俺の兄の名前は……」
「………………」
千里は何も言わない。
おかしい。
「千里、俺には双子の兄がいて……」
「………………」
まて、俺は何を悩んでる?
「俺は…………誰を……」
「………………」
何かがおかしい。
「俺は誰を思い出そうとしてる?」
「………………いいんだよ。それで」
千里が今にも泣きそうな寂しそうな顔をして俺を見詰める。
「寮の門限前に帰らなきゃ、ね?」
「…………帰らないと……」
俺が迷わないように、千里は俺の腕を引いて個室から出した。
その時、何処か懐かしいお日様の匂いが俺の脇をすり抜けていった気がした。




