陽季(3)
「榎楠ホール到着だ」
関係者用の駐車場。双灯は車を停めた。
「崇弥はお眠やな」
由宇麻は洸祈を軽く揺すったが彼は起きない。
「って、陽季君もお眠やないか」
と、陽季も寝ているようだった。
「琉雨ちゃん呼んでくるか」
「そうやな」
双灯の提案に由宇麻は頷き、二人は車を降りた。車に鍵をかけ、ホールへと歩いていく。
車内に陽季と洸祈を残したまま。
暖房は消え、足元から冷えてくる。靴を助手席で脱いで後部座席に来た陽季は足からくる寒さに体を震わせた。
「寒っ」
洸祈は寒さをもろともせずにすやすやと寝息をたてているが、陽季は舞台衣裳のままなのだ。寒い。
寝ていたはずの陽季。
彼は寝ていたというよりもうとうとしていたのだ。ゆらゆらと意識が揺れている陽季を寝ていると勘違いした由宇麻によって車内に残され、エンジンの切れた車の寒さに意識を覚醒させられたのだ。
「俺、お前に琉雨ちゃんを迎えに行かせるって言ったんだ」
邪魔者はいない。
「起きてくんないと…」
洸祈は普段起きている時は大人っぽい。否、大人。
しかし、寝ている時は、
「無防備でそんな可愛い顔見せんなよ…」
微かに開いた唇。柔らかくかぶさる睫毛。頬にかかる髪。
「こうやって安らかに寝ている時のお前は辛いことを忘れて幸せそうで…お前という人間に一番近付けてる気がするんだ」
「……ん…」
洸祈が寝返りをうった。
陽季の肩に乗せていた頭は向きを変える。そして、乗せるものがない洸祈の頭は座席までずり落ちた。そして、流石に寒いと感じてきたのか小さく縮こまる。
「年相応…いや、お前は人間関係が幼いか」
陽季はシートに手を突くと背中を屈め洸祈の顔を間近で見た。そして、まだ少し湿っている洸祈の髪を撫でた。
「ちょっとだけ恐いことがあるんだ。お前は“大好き”と“愛している”の違いが解ってるのかって。解ってる上で俺のことを愛してるのかって」
洸祈は俺に愛をくれますか?
「!?」
洸祈が唐突に正面に向き直り、陽季の脇の下から手を入れて抱き寄せてきた。
「お前はハグが大好きなんだな」
洸祈の規則正しい鼓動と温もりが全身に伝わる。
温かい。でも、
「ちょっと…追い打ちかけてくんなよ。自制心が崩れるだろ」
脱け出そうとしたら多分洸祈は目を覚ます。
「ばれるじゃないか」
早鐘を打つ鼓動が。
洸祈の鼓動より数倍早い鼓動がやけに耳に響く。
「ひっ!!…洸祈!お前、起きてないよな!?」
手が。冷たい洸祈の手が着物の裾から背中へ侵入してきた。その冷たさに陽季は堪らず声を上げる。
「温かい」
満足な顔して洸祈は呟く。
「おいおい!!変態!やめっ」
肩まで着物をずり落とされた。露になる陽季の華奢な白い肩。
「寒いよ」
そして、洸祈はそこに頬を寄せた。冷えた柔らかい頬の感触。このままだと半裸にされかけない。が、腕力が半端ない。
外気に肌が触れて背中が寒くなる。しかし、顔は熱くなる一方だ。
「ヤバい!」
洸祈が起きるの承知で暴れるが、湯たんぽを手に入れた洸祈は目を覚ます気配を見せない。
ヤバいヤバいヤバい!!!!!!
「あ…」
ふと、全ての思考が一点に集中する。
パーカーの裾から微かに見えるもの。
噛まれた痕。
炎に噛まれた…
「洸祈」
そこは変に紅くなっていた。
「引っ掻いたのか…消そうとして…」
俺が付けたら…
お前は、引っ掻くか?
降ろされる着物に腕を拘束される。
駄目。
自制しろ。
駄目だ。
自制しろ。
否定は知りたくない。
拒絶は知りたくない。
「…………だから限界だって」
陽季は自ら着物から手を出すと洸祈の顔を正面に固定し、その開いた唇を奪った。
お目覚めの時間だよ。
「んーんー」
酸欠になりかけて洸祈は足をばたつかせる。
俺の背中に回した手で離せばいいのに。
それをせずに温もりを取る洸祈に心中で嬉し笑いをしながら、陽季は二度目の唇の味を今度はゆっくりと味わった。
「起きろ」
その言葉にやっと目を開いた洸祈。
「へ?」
訳が分からないといった顔をした。
「変態」
それだけ言って陽季はキスをする。
洸祈が陽季の背中を叩いてやっと気付く。
「んー!!!?」
陽季が上半身裸だと。
……………………………………。
洸祈は陽季の肩を掴むと自分から引き剥がした。
「はっ…はぁはぁ」
「先に言っとくけど俺に脱衣趣味はないから。お前にやられたんだからな」
「嘘っ!?」
手をバッと離すと洸祈は首を振った。
俺も洸祈に脱がされるとは思ってなかったさ。
「嘘なわけあるかよ……それよりも」
「?」
「続き」
「何?」
「continuation…知ってる?“続き”って意味」
自制心はとっくに跡形もなく崩壊している。洸祈の手を掴んでシートに押し付けた。
「陽季?」
おいおい。こんな状況になってもそんな目で見てくんなよ。
「俺のこと愛してる?」
「へ?」
「愛してるかって訊いてるんだ。YesかNoで答えろよ」
洸祈は俺に愛をくれますか?
顔が真っ赤だよ、洸祈。洸祈が答えるまでにかなりの時間がかかった。
「……………………Yes」
震える声ではっきりと。
大丈夫、怯えてない。
「了解しました。以降の変更を不可します」
「え?………っ!!」
ずっと気になってたんだ。
陽季は洸祈の首筋に残る痕を噛んだ。洸祈の鼓動が早くなっていくのを全身で感じて震える。言い換えるなら武者震い。
「陽季っ…何を」
「許せなかった。いや、許せない。あの女を。洸祈を傷付けたあの女を」
「陽季」
「だから、俺はお前にあの女が付けた傷を見なかったことに出来ない」
独占欲って言うんだっけな。こういうの。
服の裾に掛けた手を洸祈は掴んだ。
「駄目、陽季」
「何で?」
否定は知りたくない。
拒絶は知りたくない。
「今の姿を俺は陽季に見せたくない」
そんなの俺を止める理由にならないよ。
「見せて」
「あ!!!駄目だって!」
やっぱり強い。
洸祈は陽季の手を裾から放させると抱き締めた。
「…俺はハグなんかじゃ止まらない」
「あの時は俺が頼んだらやめてくれた」
ここで昔のことを掘り出すか?
「最初から何かする気なんてなかったからな。ただ、お前の意志を引っ張り出したかった」
「そうだったんだ」
この話には続きがある。
俺が赤の他人だった洸祈の意志を引っ張り出そうとした理由。
「一目惚れ…なんだよなぁ」
連れ去る気満々だったから。
「?」
「何でもない」
今日は折れてやるよ。
「琉雨ちゃん、迎えに行こうぜ」
「うん。寒いよな」
と、起こした俺の体を洸祈が凝視してきた。
筋肉をつけたいのにつかない。月華鈴の女性陣はそのままがいい。と言うが、男として多少は筋肉が欲しいのだ。
双灯なんかは結構…
「変な方向に走るな、俺。てか、見んなよ。恥ずかしいだろ?」
「相変わらずの細い腕だなぁと。昔、一緒に風呂入った時と太さ変わってないように見える。ちゃんと栄養摂ってるのか?」
俺、こいつと一緒に風呂入ったことあったんだ。
陽季は腕を通そうと着物の袖を薄暗い中探す。
「菊さんのカルシウム満天料理を舐めるのか?」
「舐めてないさ。数年の内に俺より背を高くさせたんだから」
洸祈はそう言って着物の袖を掴むと陽季の腕を取って通して上げた。そして弛んだ帯を締め直してやる。
「陽季、目瞑って」
「何で?」
「ほら、髪の毛ボサボサだから直す」
陽季は断る理由がなかったので素直に目を閉じた。
洸祈の指先が額に擦れる。
頭頂から滑る指は首へと降り、ぐいっと引き寄せた。
「!?」
洸祈からのキス。
甘くて優しい。
「助けに来てくれてありがとう。お願いをきいてくれてありがとう…こんな俺を愛してくれてありがとう……見ただろう?」
見た。肩だろ?
「確実に少しずつ痛みが強くなって回数も増えている。痛みが来るたんびに俺は残り時間に怯える。あとどれくらいここに居られるんだろうって。あとどれくらい琉雨に残せるんだろうって」
「何を」
言ってるんだ。
「精神が崩壊する前に。何も分からなくなる前に。人殺しの道具になる前に。大切な人を傷付ける前に」
…―最後に愛をください―…
洸祈は何を言ってるんだ。
「そして」
否定は知りたくない。
拒絶は知りたくない。
喪失は知りたくない。
…―殺してください―…
これが最後のお願い。