炎
「うっ……くそっ…何しやがった…!」
痺れる。眠くなる。
動けない。瞼が重い。
「ふふふ。随分と口が悪くなったのね。アナタを買い取ったつもりでいるアイツの影響かしら。名前は確か…」
―夕霧―
「だーんーなーさーまー!」
「何?」
琉雨は揺り椅子に座って読書する洸祈の懐に飛び込んだ。手から滑り落ちそうになる本をどうにか持ち直して、洸祈は髪を揺らす少女を見下ろした。
「ひゃうー。旦那様のお腹は暖かくて気持ち良いです~」
ミニスカート姿の彼女は洸祈の腹に顔を押し付けてくる。
「暗に俺が肥ってるって言いたいのか?」
そうじゃないと分かっているが、からかわずには居られないのだ。
Sなのかロリコンなのか。
洸祈の言葉に琉雨は首をブンブンと振って否定した。そんな些細な行動が愛らしい。
「旦那様の体は筋肉質で、でも、柔らかくて。えっと…髪の毛はふさふさで、目はキラキラしてて、頬っぺたは暖かくって、唇は―」
「ストップ!分かったから分かったから」
「はひ!」
にっこり笑う琉雨に洸祈は安堵の溜め息を吐いた。恥ずかしげもなくすらすらと言うからこっちが恥ずかしい。
「で?どうしたんだ?まさか、俺の腹にダイブするためだけに下に降りてきたのか?」
「旦那様の温もりが欲しかったからです」
「…………………」
可愛い。
洸祈は微かに頬を上気させると、琉雨の頭を掻き回した。
「うぅー」と琉雨が気持ち良さそうに目を細める。やがて、その目を開けて琉雨はくりくりした瞳を洸祈に向けてきた。
「他にも用事があるんです」
「ん?」
洸祈は一応身構えた。
「月華鈴の公演見に行きたいです」
月華鈴…。
「最終公演は見に行くつもりだが?」
お世話になった彼等には感謝しつくせない。
「それじゃあ駄目です」
今の琉雨は妙に必死だ。
「何で?」
「最終公演の日、仕事が入る気がしないでもありません」
かなり遠回しな言い方。
「で?何で?」
「だからっ」
と琉雨の瞳がうるうると……
「陽季さんに頼まれたんです~」
あっさり。
「あいつ、琉雨に連れて来さそうだなんて」
洸祈は呆れるしかない。
「旦那様意地悪です~。ルー、陽季さんに自分が言ったことは旦那様には秘密にって言われたんですよ?なのにっ」
何故だか罪悪を感じた洸祈は原因の陽季の姿を思い浮かべてむすっとした。
「後でとっちめてやる」
「で、でも、ルー行きたいです!」
「どうして?最終公演の日じゃ嫌か?」
「陽季さんが言ってたんです。最後の公演の後は後片付けでいつも以上に忙しくて空いてる時間が少ないって。次の日は移動の準備で大変だし、多分、旦那様は陽季さん会ってくれないだろうから。その次の日は移動だからって。あと、旦那様は焦らすのが好きだからって」
焦らしてねぇよ。しかし……
と洸祈は考える。
お礼や今までのことを訊こうと思っていたが忙しい中に話をしに行くのは月華鈴の皆に迷惑をかけてしまう。今日は水曜日で定休日。最終公演の日は葵達に任せるつもりだが、嫌みがましく政府代理人が来ないとも限らない。
だったら陽季の企みにみすみす乗るわけではないが……
「じゃあ行くか」
「ホントですか!約束ですよ!!」
「あぁ」
琉雨がぱっと顔を輝かせる。琉雨は喜怒哀楽を全て顔に出すからそんな彼女が笑うと洸祈も嬉しくなるのだ。
「今日の最後の公演は9時からだ。近いから8時30分に出れば余裕に着くな。寒くない格好しろよ」
「ところで何処でやってるんですか?」
「隣駅にある―」
「榎楠ホールですか!?あのおっきな、クリケント文化保護団体が所有する」
「そこ」
まぁ琉雨が驚くのは無理ない。
世界政府機関の一つ、クリケント文化保護団体。世界の文化を保護、広める活動をしている。日本舞の代表、月華鈴は日本を中心に点在するクリケント所有のホールで公演をしている。月華鈴はホールでの公演だけでなく病院、学校至るところで慈善公演をしているから年中大忙しだ。
話は戻るが榎楠ホールは日本の重要都市に置いてあるホールの中でも一際大きい。
そこで公演出来るのはクリケント文化保護団体の登録団体の中でもそれなりの技術を有する団体。否、“それなり”ではなく“かなりな”だ。
「凄いです!!!!やったー!早く時間にならないかな~。待ち遠しいです!!!!」
「だな」
「な~に~陽季ぃ~。上の空だねぇ」
ぽけっと舞台の隅に座った陽季の上から双蘭はのし掛かってきた。仕事柄、体の柔らかい陽季は前に呑める。
「双蘭…」
陽季は追い払うこともせず呟いた。
「あーら生意気。私達双子だけ呼び捨てなんだから、陽季は」
と、わしゃわしゃと陽季の髪の毛を双蘭は掻き回した。
「あ、何するんですか」
「その顔から察するに洸祈が来るのかい?」
「教えませんよ」
そのままの体勢でそっぽを向く陽季。行動からしてまる分かりだ。
「洸祈を押し倒したこと怒ってるのかしら。でも、いい男になったわよねぇ」
「洸祈に早く会いたいな」
独り言となっていた双蘭の会話に割り込んだのは菊菜だ。空調設備の整ったこのホールで彼女は額に浮かんだ汗をタオルで拭いた。
「あら、菊菜。洸祈は半端ないぐらいいい男になってるわよ」
「双蘭…さん!」
「陽季妬いてるの?」
「菊さん!!!!」