月華鈴
「いただき!!」
最後の子持ち柳葉魚が奪われる。
「あー!!!!陽季、それ俺の!」
洸祈の動かした箸は虚空を掴み、犯人を睨目上げると盛大に笑い飛ばされた。
「下手」
陽季は柳葉魚を顔の高さまで上げて見せびらかすと、それをゆらゆらと揺らす。
「陽季の意地悪、自己中、怠け者!!!!」
洸祈は陽季の形容をまだ少ない言葉で表現し、喚き、ぶすっと不貞腐れた。それを聞いて陽季は負け犬の遠吠えだよ。とにやける。
「こら、陽季。洸祈に柳葉魚返しなさい」
それを見た菊菜は箸を置き陽季の頭を軽く叩いた。反論は受け付けない。
「菊さんの意地悪」
渋々柳葉魚を洸祈の皿に返すと、陽季は自分の色素の薄い白銀の髪を掻き回した。それを暫しぼんやりと見てから、洸祈は柳葉魚を頬張ると菊菜に笑顔を向けた。
「菊菜さん、ありがと!」
「はい、二人とも宜しい」
髪飾りが涼しげな音を奏で、黒の振り袖と耳飾りが風を斬った。
リンッ
扇子は持ち手に付いた鈴から澄みきった音を鳴らして舞い上がる。それを軽く跳んで白く細い腕を見せながらそっと掴んだ。
トン
静かに着地し、片足を半歩下げて上体を傾けて締めをした。
「すげぇ」
荷を運んでいた洸祈は思わず足を止めて言葉を溢した。その言葉を隣を歩く双蘭が拾う。
「看板スターの菊菜には叶わないけどね」
姉御肌の双蘭は体に似合わずの大荷を抱えて言った。
「でも、凄いよ」
「そうかい。そろそろ休憩だから、その荷片付けて本人に言ってらっしゃい。喜ぶよ」
目をキラキラと輝かせる洸祈にそれだけ言うと彼女は颯爽と前を歩いて行った。
「陽季ー!凄かった!」
「………………」
早速、陽季本人に言うと彼は目を見開いた後、黙り込んでしまった。
傍で休憩していた菊菜がそれを見て忍び笑いをする。
「陽季、洸祈が褒めてるよ」
菊菜はタオルで顔を隠した陽季の頭を撫でる。陽季はというと菊菜の行動に怒るわけでもなくただ唸っていた。そんな陽季の華奢な肩を見ていたら不安になって洸祈は謝った。
「ごめん!俺、何か悪いこと言ったようだな…」
「ほ~ら、陽坊。洸祈君が誤解してんぞ」
偶々通り掛かった双灯が陽季をつつく。その横から無邪気な顔した弥生が「何々?」と顔を突き出してきた。
「やよちゃん聞いてよ。陽坊がな…」と、待ってましたと言わんばかりの勢いで双灯が話す。ものの30秒程で双灯が言い終わると、弥生は菊菜と同じく忍び笑いをして陽季の頭を撫で始めた。
「あの。俺、仕事に戻ります」
それでも唸ったままの陽季を見て、洸祈は頭を下げると背中を向けて仕事の続きにと裏へ向かった。
「あ~あ、陽坊」
双灯が肩を竦め、陽季の頭をこつ突く。
弥生は溜め息をつき、菊菜は心配そうな顔をして洸祈の背中を見た。
はあぁ~
陽季は長い溜め息を吐くと胡座をかいて頬杖をついた。
「陽季、どうしたのさ」
「何でも」
訊ねる双蘭に陽季は冷たく返す。
ゴン
「っ!何すんだよ」
と、振り返った陽季の後ろから双蘭はすらりと手を回した。陽季の顔を双蘭が近くで覗き込む。
「菊菜に聞いたけど、褒められたのになんでお礼を言わないんだい?客商売の私達はお客様がいなくちゃやっていけない。舞妓としての自覚を持ちな」
黙り込んでいた陽季はやがてか細い声で返した。
「あいつは客じゃない。大切な奴だ。だから……」
「ほ~、産だね」
双蘭はわしゃわしゃと陽季の頭を撫でくり回す。
「んだよっ」
陽季は双蘭の手を払おうと腕を振り回し、空振りに終わる。
「お~、反抗期かい?」
「ちげぇよ」
「それを反抗期って言うんだよ」
双蘭は陽季を細い腕で抱き寄せた。「何すんだよ」と言い掛けて陽季は口をつむぐ。陽季の見上げた先の双蘭の目が憂いを帯びて細くなっていた。
「有り難うと御免を言うんだよ」
「……………うん」
陽季は大人しく頷いた。