4月7日(4)
「おはよーございますっ!」
由宇麻は出勤して真っ先に上司の机に向かうと頭を下げた。
「あー、今日はより一層元気だなぁ」
上司は広げた新聞から目を離すと、くわえた煙草を落とさないように器用に喋る。見上げた顔は眠そうだ。
「お、司野。おはよー」
「おはよー、原田」
大量のプリントを抱えた同僚の原田が由宇麻の姿を見て挨拶をしてきた。
由宇麻はプリントを半分ほど奪い取ると挨拶を返す。
「な~、原田ぁ」
「……何だよ、そのにやけ顔。やめろよ」
「嫌や~」
浮かれたようになついてくる由宇麻の顔を原田は引き剥がすと、プリントを印刷室に置き、仕事場へと引き返した。
そんな原田の後ろを由宇麻はよたよたとついてくる。
「マジでどうしたんだよ」
戻ったところで原田は何処か異状がないか由宇麻の顔を覗き込んだ。
「いつものことだろう」
上司が口を挟む。
「これがですか?」
原田は由宇麻の肩を掴むとくるりと回転させて上司に向かせた。にやけ顔が向きを変える。
「気持ち悪いな」
「えぇ」
「昨日用心屋の生意気小僧に会いに行くと言っていたが何かあったのか」
「そうかもしれません」
眉をしかめた上司は煙草を灰皿に押し付けた。そして、シャツの胸ポケットから新しい煙草を取り出すと由宇麻の顔すれすれに突き出した。
「何があったか知らんが職場ではしゃきっとしろ」
「嫌やわ~。俺の誕生日やから休みにしてくれたんやろ?」
…………………。
「お前、誕生日だったのか」
上司はほ~と関心無さげに言う。
「へ~。司野、誕生日だったんだ。おめでとー」
由宇麻の頭を原田が撫でくりまわす。
「………へ?知ってて休みにしてくれたんやないの!?」
「何言ってんだ、お前。予定表見てないのか?」
「予定?」
「明日からの二日間監査の仕事入ってる」
原田がすかさず答える。
「昨日の休みは休日出勤の埋め合わせだ」
上司は煙草に火を付けるとふかした。
「そんな~。瑞牧さん気が利くーなんて思ってたのに!」
「俺がそんな奴に見えるか?」
「見えない」
即答。
上司の瑞牧は空いた手で拳を作り、由宇麻の頭頂に降ろした。
「何で殴るんや」
「素直なお前にムカついた」
「理不尽や」
「あぁ理不尽だ。もう一回やってやろうか?」
瑞牧はあっさりと肯定し拳を掲げる。由宇麻はとっさに原田の肩を掴んで立ち位置を替えた。
ゴン
「いったー!!!」
不幸なことに原田は瑞牧の餌食となった。
「すまん原田。文句なら司野に言え」
可哀想な被害者に対して少しも罪悪を感じないのが瑞牧。その神経の図太さのお陰で今の位置にいるのだから驚きだ。
「司野、原田、早く仕事しろ。ノルマ達成するまで帰さないからな」
ぶつぶつ文句を言う司野、痛みに頭を押さえる原田、二人をほっといて瑞牧は新聞を広げた。
「煙草吸うか?」
瑞牧が煙草の箱を持ち上げる。
「そんな体に悪いもんいらん」
司野は拗ねたように顔を叛けた。
「お子様」
「健康第一なんや」
「酒飲むか?なんと俺の奢りで」
「飲む」
「あ、やっぱ辞めるか」
「何でや!」
「お前は明日から仕事だからな」
由宇麻は面倒な仕事を思い出して溜め息をついた。
「憂鬱やわ~」
「しょうがねぇな。酒の代わりにジュース奢ってやる」
「やったー。瑞牧さん久々にやるー」
“久々に”が強く聞こえるのは偶然ではない。
「俺も交ぜて下さいよ」
はしゃぐ司野の横から原田が顔を出した。
「お前は自腹でな」
瑞牧の冷たい一言。
「はいはい。分かりましたよ」
呆れたように原田は息を吐いた。
「お前等、俺のこと上司だと思ってねえだろ」
瑞牧の呟きは風に乗って消えていった。