4月7日(3)
カタリ。
下の棚に靴を置いた音だ。
ドタドタと奥の階段を上る足音が聞こえる。
「ゆーまー」
と、リビングのドアを勢い良く開けたのは千里君だった。
「靴見て分かったよ~。ゆっくりしていってね」
こいつも怪しい。何なんやこのフレンドリーな奴は。有り得へん。
「由宇麻来てたんだね。晩御飯食べてかない?」
千里君に続けて葵君がリビングに入って来る。
「遠慮しとくわ。今日、外で食べるつもりやねん」
怪しい。早くここから出ないとや。
「外だとお金かかるよ。食べていきなよ」
千里君がすがる。
気持ち悪い。三人して気持ち悪いわ。
「琉雨ちゃんに悪いやろ?」
これでどや!
「大丈夫ですよ。ルー一人分増えたって平気ですっ」
小柄な少女。琉雨ちゃんだ。両手で大きな紙袋を抱えている。
「ね。一緒に夕食食べましょ?由宇麻さん」
琉雨ちゃんの笑みが眩しい。
何でや!
俺は折れた。
今日は不思議だらけや。
例えばこれ。
「…ご、豪華」
約1時間後。
リビングの6人掛けテーブルは普通の一家の夕飯には有り得ない量の料理で埋め尽くされていた。
「俺の好物ばかりや」
夢か?夢なのか?
「由宇麻さんの為に作ったんですよー」
琉雨ちゃんがにっこりする。
は?
「ほら座れ」
椅子に座った崇弥に言われてハッとした。どうやら俺は豪華な料理を前に立ち尽くしていたようだ。
「すまん」
バンッ
「!!!!」
俺が詫びて座った時だった。
クラッカーが鳴り響く。
「由宇麻誕生日おめでとー」
と葵君。
「由宇麻さん誕生日おめでとうです~」
と琉雨ちゃん。
「由宇麻三十路プラス1おめでとー」
と千里君。
「司野人生の前半戦お疲れ様」
と崇弥。
後半に失礼な奴が二人ほどいるが……
「あ、ありがと」
恥ずかしくなって頭を下げた。
「何で知ってんねん」
続く言葉は俺の誕生日だ。
自分でさえ忘れていた誕生日を周囲の人間が知ってるとは。
「言ってただろ?お前が。なぁ、琉雨」
崇弥は琉雨ちゃんに促した。
俺が!?
「はひ。由宇麻さんが初めてここに来た時にです。旦那様が出したお酒に酔って愚痴っている途中に」
「んなことが!?」
「女性社員のスカートダサいだの。どうのこうの」
崇弥はペラペラと喋り挙げていく。
「うわぁ。さすが由宇麻、見るとこ普通の人と違うー。やらしーね」
千里君が腹を抱えて笑う。
「違うよ。由宇麻は職場の風紀の為に目を光らせていたんだよ」
フォローになってないで、葵君。
「はい、どーぞ」
琉雨ちゃんがリボンで飾られたティッシュ箱サイズの木箱を渡してきた。
木箱を蔓が這い、鳥が蔓の実を啄んでいる。美しく凝っていた。
「ありがとなー。何やろ?」
「開けてみて下さい」
カチッ
静かに『アメージングレイス』が流れ出す。
「オルゴールや!」
3分の1の部分に木箱の彫りに合わせた装飾時計が埋め込まれていて。残りが小物入れになっていた。
「ホントにもろてええねんか!?」
琉雨ちゃんは頭を精一杯上下に振って応える。
かわええなぁ。
「僕からはこれ」
手のひらサイズの箱。
まず目に入るのは開けたら“キケン”の文字。何故か文字色ピンク。キケンと伝える気があるのだろうか。
「開けなくてええんやろ?」
「何で~。箱だよー?開けてよ」
「お前にはこの文字が見えへんのか!?」
「あーけーろー」
と、千里君は俺の手を掴むと無理矢理開けさせようとした。何や、この馬鹿力は!!!
「おい、開いてしまう!俺、死んでしまうで!?」
「3、2、1!」
反射的に俺は顔を叛けた。
………………何も起きない。
「何や。何も起きひんやない……かっあぁぁ!!!!」
下を向いた俺はビックリ箱恒例のお化けがばぁという不意討ちに簡単に引っ掛かった。
我ながら見事な驚きっぷり。端から見ればかなり滑稽だ。
「嘘っ、見えすいたシチュエーションなのに驚いた!それも面白可笑しく」
千里君はクックッと喉を鳴らした。
「酷いで!年上は敬い労りや」
「ごめん、ごめん。本当のプレゼントはそれ」
と、悪びれずにビックリ箱の中を指す。見ると隅に3センチ四方の小さな箱が入っていた。
小さいくせに硬くて重い。
「何なん?」
一息ついて…
「爆弾だよ~」
………………爆弾?
「は!?公務員に何あげてんねん!取っ捕まるやないの」
「大丈夫だよ。僕の魔法をちょっぴり入れて作ってあるから。法律上の“爆弾”とは違うよ。れっきとした魔法具」
「でも爆弾なんやろ?」
「ムカつく奴に投げ付ければ分かるよー。でも、半径50メートル内は吹っ飛ぶから投げた本人も逝っちゃうかも。あ、罪には問われないね。良かったじゃん」
「良くないわ!!自分も死ぬってそれ不良品や」
「不良品とは失礼な。威力を上げたら自然とそうなったの」
「はい、俺から」
小瓶5ダース分。茶色い硝子からは中の液体の色が見えない。
「何や?これ」
「自分で読んで。分からない漢字は俺が教えてあげるから」
「20満たない子供に教えてもろうことないで」
「あおは学生時代、全学年合同テストで最高学年抜かしてトップを取り続けてたんだよ」
千里君はさらりと凄いことを言う。
合同テストということはテスト内容が学年問わず同じと言うことだ。更にそれを取り続けたということは1年生の時もということだろう。
まぁ、読んでみよう。
それは側面にでかでかと書かれていた。『疲労回復栄養補給用簡易液』漢字12文字。ラベルのゴシック体が嫌というほど怪しさを感じさせてくれる。
“簡易”って何なん?
「ごっつー怪しいんやけど」
「大丈夫。璃央御用達だから」
璃央、富豪煉葉家の一応跡取り息子だ。
本人曰く、家とは縁を切ったらしい。
彼とは数えるほどしか会ったことないが人の良い奴だ。
まず話し方が上手い。決して相手を見下す発言はしない。かと言って見えすいた誉め言葉は使わない。自然とした喋りをする。
煉葉の血が無意識にそうさせているのかもしれないし意識的になのかもしれない。
「ちょっと開けてもええか?」
「どうぞ」
簡単に開いた。
「うっ!」
何やこの匂い!?強烈な刺激臭が鼻にくる。
「え~と、ベースがお酢で…50種以上の漢方を混ぜてあるんだって。それ一本で二晩は寝ずに気分爽快で起きていられるらしいよ」
他の小瓶を手に取って製品分析を読む。
「疲労回復栄養補給用簡易液って書かれるだけのことはあるわな」
飲まなあかんのか?
「捨てたら許さないよ。人からのプレゼントを無下に扱うほど由宇麻が出来てないとは思ってないけど」
まだ捨ててないのに罪悪感がする。
「あ~、あーっ飲む!喜んで飲ませて貰う。ありがとな!!」
「うん」
「俺からはこれ」
崇弥の指差す先はカーテンの閉まった窓。
「これ?まさか窓!?」
「そんなわけあるか!」
そうやろな。
「…………外だよ」
「外?」
俺は椅子から立ち上がると窓のカーテンを引く。しかし、あまりの光景に途中で手が止まった。
「え、何々?どーしたの」
千里君が俺の頭の上から顔を覗かせる。
「わお」
千里君の小さく吹いた口笛の音が俺の耳に入った。
すっかり日が落ちた紺の背景に白の水玉が映える。
「…………雪や」
俺はリビングを飛び出していた。
階段を降りて棚から自分の靴を選び出して履く。応接室を横切って廊下を抜け、俺は外に出た。
空へと伸ばした手のひらに雪が舞い落ちる。
冷たい。
「ほんまに雪や」
「風邪ひくぞ」
呆然としていた俺の肩に崇弥はパーカーをかけた。
「何で雪くれたん?」
「好きだって言ってたから」
そう、俺は雪が好きだ。
「雪はな、俺に色々思い出させてくれるんねん。楽しかったこと、嬉しかったこと………………………」
「!?」
崇弥が驚いた表情で俺の顔を見た。
しゃーないやろ。
ドサッ
力の抜けた膝は雪に埋もれた。布を通してでも冷たい。
でも、俺の目から溢れ落ちた涙は温かかった。
「司野…その…」
「崇弥、ゆーたやろ?雪見ると色々思い出すって」
「わりぃ」
「何謝ってん。俺は雪が大好きなんやで。感謝してんや。………ありがとな」
「……Happy birthday to you.」
崇弥の手のひらは涙より温かかった。
4月7日。この日、東京の極一部の地域で雪が観測された。




