お客様(2.5)
「来週はイタリアに行くから、留守を頼んだぞ。一応、司野には暇な時に来てもらえるよう頼むけど」
ふと思い出して、読み掛けの本から視線を外すと、洸祈は暖炉の前で踞る白兔を見た。クッションを下に敷いて、背中に温もりを当てている。
「イタリア……ルー行ったことないです!旦那様、イタリア語できるんですか?」
口をパクパクとさせる白兎の琉雨は洸祈を見上げて「いーなー」を連呼する。
「社交パーティーなら英語だろ、多分…………まぁ、俺はただの護衛だし、依頼人の傍から離れないから大丈夫だろ。そんで、お子様は紳士淑女のパーティーには出られないんだ。諦めろ」
冷たく突き放された琉雨は頬を膨らました。
「旦那様の意地悪。小さい時なら、旦那様の胸ポケットにも入れるのにぃ」
小さく呟く。しかし、留守番を任されているのだから、全く信用されていない訳でもなく、琉雨は膨れっ面をするだけに留まった。
そんな彼女の背中を、洸祈はぼんやりと見詰めて思い出す。
レイラの言葉だ。
――お二人は信頼し合っている。琉雨さんもあなたも互いを大切に思っている。分かりきったことでした――
第三者には二人の仲がそう見えるらしい。
小さな背中に大きな荷物を背負わせ、雨みたいに沢山沢山泣かせてきた。それでも、信頼し合っていると言われた。
勿論、洸祈は琉雨のことを信頼し、大切に思っている。口にはしないが。
しかし、琉雨は?
「琉雨」
「はひ?」
「土産は何がいい?」
「旦那様ぁ!」
突然、大声を出すものだから少し驚いた。
琉雨が原型に戻って満面の笑みを浮かべる。本当に、喜怒哀楽の切り替えが激しい。洸祈が教えたわけでもないのに、ヒトよりもヒトらしい魔獣である。
「ルーは旦那様が選ぶものなら何でも嬉しいです!!」
「そうか。じゃあ、大量の粉ミルクでも買ってきてやろう」
「粉ミルク?粉にした牛乳です?有名なんですか?」
揺り椅子に座った洸祈の膝に琉雨がちょこんと正座した。首を傾げてきらきらした目で見上げる。
「有名ではないんじゃないか?ピザの国だろ?」
「じゃあ、なんで粉ミルクなんです?」
可愛くて堪らないその仕草に、洸祈はからかうことが辞められないのだ。
「ほら、ちびっこにはカルシウムが一番だろ?外国人は背が高いからな。きっと、カルシウムたっぷりな粉ミルクがあるんだろ」
洸祈は意味ありげに手を琉雨の頭上でヒラヒラさせる。
「はうわ!ルーはちびじゃないです!!ルーだっておっきくなれます!おっきい兎さんとか!」
団欒の和んだ雰囲気を怒涛で一掃して、気を荒くしながらソファーの真ん中に飛び降りた。
「はひ!っひゃあ!!……はわわっ!」
と、ソファーのなだらかな起伏の上に降り立ったため、奇妙な悲鳴を上げてするすると滑り落ちていく。
「おい!琉雨!」
ガタ、ドスッ。
ポスッ。
「危ないだろ」
琉雨は手のひらに乗っていた。それは、洸祈が咄嗟に伸ばした手のひらだった。
「……旦那しゃまぁ」
突然のことに恐怖を感じて泣き崩れた琉雨は鼻声で洸祈を呼び、その懐に飛び込んだ。
余程、怖かったのだろう。
琉雨は羽で飛ぶことが出来るが、それができなかったのは予期せぬハプニングに体が硬直したためだ。小さな琉雨にとってソファーから落ちるのは普通の人間にとって、建物の2階から落ちるようなもの。
琉雨は洸祈の服が自らの涙で汚れるのを気にせずに、ただただ彼を呼び続けていた。
「旦那様、旦那様、旦那様ぁ……」
そんな琉雨に洸祈はされるがままで天井を見上げる。淡いオレンジ色の光を醸し出す電球は、店を譲り受けた時から変わらない。
「ひっく……ぐすっ。はぅ……ぅぅ…………」
琉雨はようやく泣き止み、手の甲で汚れた顔を拭った。
そして、洸祈の濡れた服に気付いて「ごめんなさい」と繰り返す。
「……………………」
洸祈は何も返さない。
「旦那様、怒りました?」
上を見るその顔からは表情は分からない。
「……しゃがんでもいいか?」
「はひ?」
意味不明なことを訊く。
すると、琉雨が答える前にがばっと洸祈はしゃがみこんだ。
危うく洸祈の腹と腿に潰されそうになるのをギリギリで脱け出す。
「ったぁ!!」
「ど、どうしたんですか?」
「本が……」
震える声でそう言う洸祈の傍らには、さっきまで読んでいた一冊の本。
厚さ5センチ程あるその本の背表紙には琉雨がよく知る生まれ故郷、スウェーデン語で題名が書かれていた。
「黒魔法と代償」――物騒な題名だが、今はどうでもいい。
「……ルーを助けたから」
立ち上がった瞬間、琉雨を助けるために放り投げた本が運悪く自らの足に落ちたのだ。我慢の限界だったらしい。
「ルーを助けたから……足が……」
琉雨が乾いた頬をまた涙で濡らした。ポロポロと止むことのない雨のように涙を落とす。
「琉雨に怪我がなくて良かったんだ」
自然と洸祈は笑みをこぼしていた。そして、人差し指で琉雨の涙を拭う。
「旦那様っ……ルーが直ぐに手当てしますから」
「ほっといても治る。痛みも引いたし」
「嫌です!絶対に手当てしますっ!!」
ぽんぽんと力のない拳で洸祈の胸を叩いて主張する琉雨。
意地でも手当てする為に暴力を振られている気がするのは洸祈だけだろうか。洸祈としては必死な姿が可愛いから、いくらでも意地になってもらって構わないが。
もう暫くされるがままになろうと、洸祈はこっそりと決めた。
「今日の夕食、何がいいですか?」
「鍋」
「はい、お鍋ですね。……って、4日連続になっちゃいます!」
「聞いたのお前だろ。俺は鍋がいいんだ。暑かろうが、寒かろうが、鍋派だ。嫌なら、お前の案を聞いてやる」
「えーと……それじゃあ、おでんにしましょう?」
「……8日前から4日前まで連続で食べたよな?」
「ルーはおでんがいいんです!」
「鍋の方がレパートリーあるのに。……これじゃあ、決まんないな」
「はぅ……旦那様とルーと食べたいと思わない料理にすれば、いつもと違うメニューになります!」
「え?……ラーメン」
「うーんと、ステーキ?」
「脂っこいな」
「ルー、想像したら気持ち悪くなってきました」
「そもそも、食べたくない料理を選ぶ必要あるか?何故、俺達は自らに苦行を強いるんだ…………司野がいたら、笑われるだろ」
「……おでん……」
「…………明日は鍋な?交互にしよう」
「はひ!」




