お客様
「『用心棒貸し出します』……ここね」
カランッ
木のドアについた飾りが軽やかな音をたてた。
「……今日は」
軟らかなセーターに長いスカート、その上から分厚い冬のコート。マフラーに半分口を隠した金髪のストレートに灰眼の女性はドアから顔だけを覗かせて中の様子を伺った。
「暖かい」
薄暗い店内から吹いてきた暖かな風が冬空の下歩いてきた彼女の身体に染み渡る。暫くそのままでいたが流石にドアを開けたままではいけないと思い、意を結してその店の中へと入った。
入ると目の前には長い一直線の廊下が延びており、奥に微かに見える光を目指して恐る恐る踏み出した。やがて現れたすり硝子のドアからは光が盛れており、彼女はゆっくりとそのドアを開けて中を覗き込む。
本がぎっしり詰まった棚に囲まれた部屋。一角には暖炉、中央には小さなテーブルを挟んで黒革のシンプルなソファーと揺り椅子があり、その揺り椅子には青年が一冊の本を膝に乗せて気持ち良さそうに寝ていた。
勝手に入って良いのか悩んだ挙げ句、結局中に入ると青年の足元で寝ていた白兎が耳をピンと立てて“声”を出す。
「旦那様、旦那様。お客様ですよ。おーきゃーくーさーまー!」
可愛らしい女の子の声。それは確かに白兎から発せられていた。
不可思議な現象に唖然とする彼女にお構いなしで、白兎は旦那様と呼んだ青年を必死に起こそうとする。
「旦那様ー。久々の金鶴ですよ……」
お客様―金鶴の前で言うことだろうか。良い子ちゃんと言うわけではなさそうだ。
「むぎゅ~」
と、有り得ないような早さで現れた手に白兔の顔は潰された。
「む~。だっにゃっしゃまぁ!!」
「お前は喋るなってんだろ、琉雨」
琉雨と呼ばれた白兔はやっと顔を解放されて咳き込んだ。
「コホッコホッ。旦那様がお客様が来ているのに呑気に昼寝しているからいけないんですー。ルーは悪くないーっだ!」
琉雨は前歯で青年を威嚇する。
「うっさい」
が、小さな抵抗を青年は一言で粉砕した。
「その姿は何の為だとおもってんだ。元の姿だと魔獣を見慣れていない大多数の人間に怖がられるからだろ」
「きゅー。ルーは魔獣じゃないです!琉歌様の騎士ですっ!」
琉雨は前足を上げた。人に例えたら胸を張っているのだろう。
「琉歌の騎士だろうが何だろうがお前は魔獣だ」
「違うもん…」
納得しきれないのか琉雨は弱々しく反対する。青年は琉雨を持ち上げると膝の本を退かしてそこに乗っけた。
「喋るはずのない物が喋ったら怖いだろ?」
「うん」
「怖くて逃げ出したくなるだろ?」
「うん」
「人間だっておんなじ。店に入ったら兎が幼稚な言葉で喋っていた。気持ち悪いだろ?」
「うん」
自らが罵られていることに気付かずに返事をする。
「怖くて逃げ出したくなるだろ?」
「うんうん」
あまり曲がらない首を必死に振って同意する。
「客が減ったらどうなる?」
「しゅーにゅーが減ります…」
どこか収入の言葉が拙い。耳が垂れ、青年を心配そうに見上げる。
「収入が減ったら、俺達はどうしなければならない?」
「……ご飯を減らします」
「そう!日々の食事を切り詰めていかなくてはならなくなるんだ。1日三食から二食。三品から二品。白米から玄米…」
青年は例えの話からゆっくりと話だして琉雨が質素になっていく食事を想像するのを誘う。
「ご飯が……矢駄ぁ」
琉雨の紅い眼が潤んでいるように見える。青年はうんうんと頷くと琉雨を撫でた。
「分かったのならお前は今後一切喋るなよ。琉雨、返事は?」
「で、でも」
「返事は?」
「…………うん」
有無を言わさずに返事をさせる。青年は静かになった琉雨を撫で回した。
琉雨は喋らない。
「色んな意味で珍しいお客さん。ご用件は何ですか?」
青年は呆然と成り行きを見ていたお客さんに微笑んだ。
「仕事の依頼に」
お客さんこと彼女は微笑み返す。
「私はレイラ・リーンノースです」
ソファーに腰掛けたレイラは穏やかに微笑んだ。
「……リーンノース……あ~、英国貴族の方でしたか」
青年が視線を游がせる。
「何か?」
「いや別に…日本語お上手ですね」
「有り難う」
無理がある話の逸らし方だったが、そこは突っ込まずに流す。
「貴方が店長さん?」
「そ、俺が店長さん。…っても、見ての通り従業員は俺一人だけですが」
と、足元に踞る白兔こと琉雨を細目で見た。
「へぇ、若いのね」
若いが、纏う雰囲気は24歳になったばかりのレイラよりも大人びていた。
「事実、まだ16歳ですから」
テーブルを挟んで揺り椅子に座る青年はおどけた…かといって憎めない…そんな表情をした。
「あらそうでしたの。私は24歳ですわ」
わざと皮肉振った口調に変えてレイラは話す。
「芯から美しい人に年齢は関係ありませんよ」
青年はサラリと返した。
「口が上手いのですね」
「本当のことです。知り合いに来年60になる方がいらっしゃいますが、彼女は俺の知る女性の中で最も美しい人ですよ」
最も美しい。彼が言うからには多分立派な人なのだろう。だからこそレイラは試してみた。
「私よりも?」
「はい」
笑顔のまま間髪入れずに答える。
「素直な人」
でも、
「それが取り柄ですから。……俺は現時点での貴女とあの方を比べましたから結果は当然決まってきますよ」
「つまり、まだ私にはその方より芯から美しい人になれる可能性があるのね」
「お好きにとって結構ですよ」
嫌いにはなれない。
口元は意地悪く両端が上がっているが、その瞳は爛々と輝いていた。
「彼女?は…」
レイラは先ほど少しばかり理不尽な扱いを受けた琉雨を見詰めた。視線に気付いてか琉雨もレイラを見詰める。
「魔獣」
青年は単語一つで琉雨を説明した。
それに対して琉雨は後ろ足で青年の足に蹴りを入れることで不満の色を表す。
待つこと3秒。
「わーったよ。琉雨、元の姿に戻って良いぞ」
待つこと一瞬。
目映い光が部屋を満たしたかと思うと、レイラの目の前にはウェーブのかかった、焦げ茶の髪を肩の辺りで切った手のひらサイズの少女がいた。
背中から生やした淡い青の羽が緩やかに羽ばたく。
「コンニチは、レイラさん。ルーは琉雨って言いますっ」
優雅に広がったスカートの裾を摘まんでちょこんとお辞儀をする。その姿は魔獣と言うより、
「……フェアリー」
昔絵本で見た4枚の光る羽を纏った小さな少女を思い出す。
「妖精か…残念、お伽噺に出てくる高尚な摩訶不思議発光体には程遠い存在ですよ」
“摩訶不思議発光体”見た目そのままだ。
「魔獣の定義は可愛い顔した悪魔です。悪魔はあっちの悪魔ですよ?俺は自己の魔力を所持する悪魔はもっと高尚だと思ってますから」
あっちの悪魔とは一体どういうことだろう。悪魔は悪魔でも違うということだろうか。
首を傾げたレイラの前で琉雨はしかめっ面を洸祈に向けた。
「可愛いは当たってるけどルーは悪魔じゃないです!」
「可愛いは否定しないのか」
青年はおい。と小指で琉雨の額を小突く。
『ルーは可愛いもん!』と、胸を張って答える琉雨は可愛いというより可愛らしい。
「俺は何も魔獣は悪魔だと言ってんじゃなくて、考え方が悪魔とおんなじって言ってんだ。低知能で勘違いしやすいってな」
“低知能で勘違いしやすい”にアクセントを付けて、琉雨をビシッと指差す。
「ルーは魔獣じゃありません!琉歌様の騎士なんです!」
「あ~あー、分かったから」
青年は抗議のためにチョロチョロと飛び回る琉雨を鬱陶しそうに追い払う。
「レイラさんが怖がらない人で良かったな。もし帰っちゃってたら、お前を今晩の夕食にする所だった」
などと冗談でも想像したくないことを平気で言う。
「ルーは美味しくないよ?」
琉雨は逃げるようにレイラの後ろに隠れた。
「……食べないさ。不味いだろうし」
その一言でやっと琉雨は顔を出したのだった。
色々と苦労がありそうだ。