帰路(4.5)
産まれたその瞬間から病院暮らしの由宇麻が迎えた二十回目の誕生日。
「俺に…家を?」
「そうです。司野寛二は二十歳になったら家をあなた、司野由宇麻に譲ると遺言していました。遺言について二十歳の誕生日に伝えることも」
突然病室にやってきた弁護士はそう言った。
自分に誕生日だからと言い訳して、少しばかり無理して屋上に脱け出し、加賀先生に見付かった為、かくれんぼと鬼ごっこの末に病室に戻ってきたらこれだ。
「じぃちゃんが俺に…」
泣いたらあかん。
「……由宇麻君…すばしっこすぎだよ」
肩で呼吸を繰り返す加賀はドアに手を突いてふらふらと病室に入ってきた。
「あれ?どちら様?」
「弁護士や」
「こんにちは」
弁護士の男は垂れた瞳で穏和かと加賀に挨拶する。加賀はそれにぎょっとしたように後ずさると由宇麻に耳打ちした。
「私が嫌で裁判に!?」
「するわけないやろ。別に嫌いやないし、寧ろ、加賀先生には感謝してるんや…って!!!今のなし!!聞かなかったことにしてや!」
「吃驚、大ニュースだ」と、クスクス笑うと男に向き直った。白衣のポケットに手を突っ込み、
「私は加賀、彼の担当医であり、保護者です。貴方は?」
「私は弁護士の赤坂です。司野由宇麻さんの祖父の司野寛二さんの遺言の件でやってきました」
「ほぉ、じゃあ、私はお邪魔ですね。失礼します」
加賀は由宇麻にあとで、と手を振ってドアを開ける。
「加賀センセ、どうせ廊下で盗み聞きすんやろ?じぃちゃん、俺に家くれたみたいやから見に行く為に先生に許可もらわなあかん。せやから、ここに居てええで」
「家、貰ったの!?これまた、吃驚で大ニュースだ」
そう言った加賀は跳ねるようにベッドの枕元に立った。楽しそうに目を輝かせている。
子供やんけ。
「家の調度、全て由宇麻さんの物となります。では、家の所有権の引き継ぎなどを説明します。先ず―」
と、加賀を向いて説明し始める。加賀は相槌を打ちながら困ったように由宇麻に目線を向ける。
由宇麻はぷいっとそっぽを向き、ベッドに潜った。
皆そうや。
俺を子供扱い。
知能の劣った餓鬼扱い。
これでも、高卒の知識はあるんや!なのに…
「では、これに拇印を」
加賀に弁護士は紙を差し出す。
なんでや。そこに必要なのは俺の拇印やろ?
「由宇麻君、拇印をここに」
由宇麻は片手を布団から出して加賀にやってもらわれるままだ。
「これで、家はあなたの物となりました」
ぺこっと頭を下げた弁護士は仕事が終わって満足そうに帰って行った。
インクで汚れた由宇麻の指を備え付けのタオルを濡らして加賀は拭く。その間も由宇麻はムスッと外を見るだけだ。
「由宇麻君、怒ってる?」
「別に」
「怒ってるね」
「別に」
「うん、怒ってるね」
「別に言うてるやろ!」
「今日は午後一杯、時間が空いてるから、お家見に行く?」
そう、「由宇麻君の誕生日、沢山遊ぼう!」と笑った加賀は休みを取っていたのだ。毎年、毎年、彼はそうする。
加賀の分かりきったような顔に益々機嫌を悪くした由宇麻は声音を低くして意地を張った。
「一人で行ける」
「迷子になるよ?」
「道行く人に訊くわ」
「訊けるかい?」
………………………訊けない。
自分自身分かっている。
自分は重度の人見知りだと。
「ほら、着替えて。行くよ」
「…加賀先生が決めていいん?佐木先生が決めるんやろ?」
「由宇麻君は二十歳だよ?これくらい、赦してくれるよ」
「加賀先生がいい言うたんやからな!責任は加賀先生にあるんやからな!」
「うんうん」
ニコッと変わらぬ笑顔で彼は車の鍵を取ってくると病室を出ていった。
「家。俺の家…」
「はい、鍵。私のハニーをプレゼントということで付けといたから、なくしちゃ駄目だよ」
ハニーは所謂、否、ただのプ〇さんだ。蜂蜜を舐めているプ〇さんのキーホルダーが鍵に付いている。
由宇麻は何を勝手にとは怒らない。由宇麻の所持品にキーホルダーなんてものはないからだ。鍵には何かしら付いていた方がなくさない。加賀の言う通りだ。
寧ろ、キーホルダーを付けてくれたことに感謝したい。
由宇麻は震える手で鍵を開ける。
家の中は温かかった。ソファー、棚…生活感の溢れる家。加賀はワオッとはしゃぐ。
と、食事用のテーブルに一枚の封筒が置かれていた。
「…由宇麻へ……驚いたかい…この家は…お前の両親が…私に由宇麻が二十歳になったらあげてくれ…と……この手紙を読んでるってことは…私は…この世にいない……二十歳の由宇麻…祝ってあげたかったなぁ……由宇麻、このい…え…をプレゼント…するよ……二十歳、おめ…で……とう…」
………………じぃちゃんより。
「由宇麻君」
「二十歳になるまえに…最後に…泣いても…ええ…?」
「…待ってるよ」
わしゃわしゃと加賀は由宇麻の頭を掻き回して外へと出た。
ありがと、じぃちゃん。
それから10年…
屋敷。
それが後の用心屋の第一印象。
「お向かいさん?」
ピカピカのベンツから降りたのは焦げ茶色の髪の青年と茶髪の少女。
青年は紅い瞳を疲れたように細めてベンツの運転手と何か話している。少女はというと開かないドアの前でポツンとアスファルトの道路を俯いて見るだけだ。
奇妙な二人組、それが崇弥洸祈と琉雨だった。