発端(2.5)
崇弥が俺の口を塞いだ。離して欲しいのに声が籠って伝わらない。否、聞いてくれない。
「黙って聞けないのなら、黙らせてやる。お前は聞かなきゃいけないんだ」
何を?
何を!?
「んー、んー」
聞いたら俺は壊れる。
聞いたら俺は崇弥を裏切る。
崇弥には伝わらない。届かない。
「お願いだ。聞いてくれ、司野」
涙で視界が霞む。
聞いちゃ駄目。
嫌や!!!!!!
唐突に口と手を押さえ付けていた手が離れた。
崇弥は俺を見ない。
「ごめん」
崇弥はユラリと椅子から立ち上がると、無機質な足音だけを残してリビングを出ていった。
「ごめん、ごめんな」
―…崇弥…―
俺は最低な奴や。
「由宇麻さん」
ソファーに座って呆然としていた俺は琉雨ちゃんの声に驚いて新聞を床に落とした。紙の擦れる音が俺の意識を覚醒させる。
「ごめんなさいっ」
「琉雨ちゃんが謝ることやない。俺がぼーとしてたせいや」
あれから1ページも進んでいない新聞を拾い上げると揃えて畳んだ。
「お酒じゃないけど、オレンジジュースどうぞ」
「ありがとうな」
雫のしたるグラス。中の氷がカランと音を発てた。
「由宇麻さん、旦那様のこと嫌いになっちゃいましたか?」
「どうして!…そうなるんや」
「だって、由宇麻さん嫌って言いました」
『嫌や!!!!!!』
琉雨ちゃんに伝わっていた。勿論、崇弥にも。
琉雨ちゃんは自分のグラスを手に抱えると俺の膝に座ってきた。
「旦那様は最初、ルーに依頼人達のことを由宇麻さんに伝えるよう言いました。旦那様はわざとじゃなくて、ルーが依頼人が怖くて震えていたし、旦那様は純粋に早く由宇麻さんに伝えた方が良いと思ったから…でも、ルーは言えませんでした。ルーは由宇麻さんが大切だから悲しい顔はさせたくなかった!ルーは旦那様との約束を違えました。そんなルーに旦那様はごめんと言いました。依頼を聞いたのは自分だからと!」
琉雨ちゃんの持つグラスの中のオレンジジュースの表面がゆらゆらと揺れる。
「確かにそれは仕事です。でも、それが本当の仕事だったら旦那様は由宇麻さんを無理矢理依頼人達に渡します。旦那様は無表情で由宇麻さんの居場所を言います。だけど旦那様はそんなことしなかった。仕事に私情は持ち込まない。それが旦那様の決めたことです。それを旦那様は破った。由宇麻さんが大切だから!由宇麻さんが好きだから!由宇麻さんは旦那様にとってもう“人間”じゃなくなったから!」
琉雨ちゃんが俺を見上げた。
「旦那様は家族に会えません。自分のせいだと言っていました。そんな旦那様だからこそ、由宇麻さんには聞いて欲しかった!家族がいることの幸せを知っているから、家族に会えないことの悲しみを知っているからです!旦那様はルーに家族をくれました。本当の家族じゃないけどルーは幸せです。だから、旦那様の話を聞いて下さい。旦那様を嫌いにならないで下さい」
「はあぁぁぁ」
「由宇麻さん?」
「俺、馬鹿でアホで童顔や」
「へ?」
馬鹿、アホ、童顔。
「行ってくる」
「行ってらっしゃいです」