通信中…(4)
午前5時30分。
由宇麻はいつもどおりの時間に目が覚めた。
「ふぁ」
その場で腕を伸びをすると、今日は休日なのを思い出して再び体を丸めた。
ヒュッ…ゴン
何かが由宇麻の頭部に降ってきた。
「うぅー」
ずっしりとくる重みの原因を取り除こうと手を伸ばした由宇麻はそれの柔らかさに違和感を感じて重たい瞼を開けた。
30センチメートル先、崇弥洸祈の顔だ。
「何で?」
「琉雨…」
琉雨はいない。もう起きているようだ。ぼけっとしていた由宇麻は唐突に洸祈に抱き寄せられた。
「へ?は?はぁ!?え?ま、待てぇや!!」
必死に由宇麻は洸祈を押し退けようとするがびくともしない。昨日は簡単に掴めたのに今は…
「こいつまさか…昨日は手加減したん?」
「…琉雨」
洸祈の手は片手は由宇麻の腰を、もう片手は頭を撫でる。優しく、優しく、壊さないように。
「琉雨…琉雨…」
「崇弥のロリコン」
途中から由宇麻は抵抗するのをやめて洸祈にされるがままになった。5分後、洸祈は由宇麻を放すと由宇麻に背を向けて丸く小さくなった。
由宇麻よりも小さく、丸く…。
「崇弥もかわええな~。抱き締めたら怒るやろか」
それは由宇麻が真面目に思案していた時に起きた。
「………うっ……うあぁっ……っう…」
圧し殺したような声。
洸祈が右肩を強く押さえて震えていた。
「ど、どないしたん!?」
「………っう、うあぁぁ!!!!……うぅ」
洸祈の指が自らの肩に深く食い込む。
「痛いんか!?右肩が痛いんか!!?」
由宇麻は体を起こすとぎっちりと掴んでいる洸祈の左手を無理矢理引き剥がして、首元が緩んでいる洸祈のTシャツを引き下げた。洸祈の右肩が露になる。
「……な、何やこれ!?」
よく見れば分かる無数の注射の痕。そして微かに浮かぶ黒の刻印。
その瞬間、刻印は青い光を放った。
「っあぁぁ!!!!」
無理矢理引き剥がした洸祈の手が由宇麻の手諸とも掴んだ。洸祈の指が由宇麻の右手の甲にぎりぎりと食い込む。
「崇弥、痛い!」
由宇麻の指の骨に洸祈の人差し指が立つ。
「崇弥!」
由宇麻が呻くと刻印の光がすっと消えた。
「うぅ…………………」
洸祈の手から力が抜ける。由宇麻は爪の痕が残る手を撫でると、安堵の息を洩らしてもう一度、洸祈の肩を見た。
「消えてる…」
無数の注射の痕は消えていないが、黒の刻印は消えていた。
「琉雨…琉雨…」
洸祈が見えない何かを守るように体を丸めた。きっと、その腕の中には琉雨がいるのだろう。
「もう少しお休みな、崇弥」
由宇麻はぽんぽんと洸祈の頭を叩いた。
「旦那様…」
「琉雨ちゃん!」
誰かの声。
琉雨は一瞬で現実に引き戻される。顔の前を上がる白い湯気。沸騰したことを知らせる音が火にかけたヤカンから盛大に鳴り響いていた。
「ひゃうぁ!」
「ええ、俺が止める」
慌てふためいている琉雨を後ろに退かせると、由宇麻はコンロのスイッチを切った。かちっと音がして火が止まり、ヤカンの音も止まった。
「はうぅ~………ひっく………うあぁぁ……怖かったです~………ひっく…」
床に尻餅をついた琉雨は小さく縮こまり、喉を鳴らした。
「ほら、俺の所へきぃ。怖かったんやろ?」
慰めるつもりだったが“俺の所へ”は半ば冗談で言ったのに琉雨は由宇麻の腕に飛び込んできた。
「マジ?」
由宇麻は小さく呟いた。
「うっ…うぅ~…ひっく…うぅ~」
「ぼーとして、どないしたん?」
琉雨を抱き抱えてソファーまで行くと由宇麻は抱えたまま訊ねた。
「…………ルーは、旦那様に頼られてるのかなって…ルーだけが旦那様に頼りっぱなしな気がして」
「崇弥と琉雨ちゃんはいつから一緒にいるん?」
「2ヶ月前から…」
由宇麻は一瞬だけ驚いた表情をすると、直ぐに優しく微笑んだ。そして俯き加減の琉雨をぎゅっと抱き締めた。
「かわええな~、琉雨ちゃんは」
「はうぁ!?」
「琉雨ちゃんは崇弥に頼られてるで。寝言でも琉雨ちゃんを呼んでたで」
「はひ!?」
琉雨は頭を抱く由宇麻の腕から出て、彼の胸の辺りから顔を見上げた。
「旦那様がルーを!?」
「そうやで、夜中に俺が崇弥に琉雨ちゃんをお嫁さんに…」
ゴンッ
「ったあぁぁ!!!!」
鈍い音と共に由宇麻の悲鳴が上がる。
「おい、何してやがる変態。ゴミに出されたいか?」
「げ、崇弥!」
「旦那様!」
頭を跳ねらせたままの洸祈は由宇麻の首に手を回して締め上げる。
「朝から琉雨に手を出すとはいい度胸だな」
「た、崇弥、ギブや!俺が悪かった!琉雨ちゃん放すから!!」
「次、琉雨に変なことしようとしたらマジでゴミに出してやる」
やっと洸祈は由宇麻を放す。そして、咳き込む由宇麻の膝から琉雨を持ち上げると床にそっと降ろした。
「大丈夫か?」
「はい…あの」
「ん?」
「………旦那様、寝言でルーのこと呼んだんですか?」
……………………………………。
ずるずる…バタン
洸祈は問答無用で由宇麻を引き摺って行く。そして、リビングには琉雨を残してドアの閉まる音が響いた。
「や、その、崇弥?何してるん?」
襟首を掴まれた由宇麻は洸祈を引き摺られながら見上げた。
「ゴミに出す………あった」
麻の紐。
引き戸の倉庫からそれを取り出した洸祈は不機嫌だ。
「マジ?」
「本気」
目が本気だ。
「俺が悪かったって!」
「うるせぇ」
由宇麻は眉をひそめた。
おかしい。
苛立ってる。
おかしくないのかもしれない。
………でも、何か違う。
「崇弥、肩痛いんやろ」
ビクンと洸祈の体が固まる。
「……痛くなんかない」
表情を隠して答える。
「今朝、お前は右肩を押さえて震えてたで」
「…………琉雨は」
やがて洸祈が震える声で訊いた。
「居なかった。肩、見してもらったで…沢山の注射針の痕………理由は訊かへん。約束したからな。でも、言いたいことは言わせてもらうで」
尻餅ついたままの不様な格好だが、由宇麻は洸祈を睨み付けた。
「琉雨ちゃんには言うんやな。直ぐにとは言わへん。でも、隠し事は直ぐバレる。琉雨ちゃんなら尚更。それは肝に銘じておくんや」
………………トン
膝をついた洸祈は由宇麻の背中から肩に頭を乗せた。洸祈の茶色の髪の毛が由宇麻の耳を擽る。由宇麻はその頭に手を乗せると静かに言った。
「琉雨ちゃんは黙って聞いてくれる」
「…………………あぁ」