旅行(12)
…ドクン…
あぁ、僕は君に殺されるのか。
いや、僕は君に壊されるのか。
…ドクン…
君は僕の中に生まれた愛が許せないんだね。
…ドクン…
どうして僕らはこうなったんだろう?
それは、多分、きっと、僕が清に執着し過ぎたから。
僕の中の二之宮蓮と狼の境界線が曖昧になってしまったから。
…ドクン…
僕は…
もう人形じゃない
僕は…
もう機械じゃない
僕は…
…―もう君と同類じゃない―…
「君を置いてきぼりにして、僕一人変わってごめんね、僕の片割れ。憎いぐらい同じ過去を持ち、哀しいぐらい同じ経験をした僕らは二人で一人」
「そうだね。二之宮蓮…」
洸祈は二之宮の首に両手を添えた。親指が気道に爪を立てる。
「互いを利用し、互いに傷を舐め合ってきた」
「うん」
じわじわと首が締まる。
「僕には君が必要で、君には僕が必要」
「うん」
「だから、死にたくないんだ」
「うん」
洸祈が親指に力を込めた。僅かな道を残して苦しませる。
「…愛してるよ」
「うん」
「…君を愛してるよ」
「うん」
雑音を混ぜた二之宮の声に洸祈は紅い目で応える。
「二之宮…」
「?」
「……俺は人を愛せないよ…………俺は…人に返せないよ……」
「死に…たく…ない…」
それが最後だった。
親指が二之宮の気道を完全に潰した。
二之宮の顔は赤くなり、青くなり、白くなっていく。
「蓮…蓮…蓮…ごめんね…」
大好きだったんだよ…。
と、
ガツッ
「―!!!?」
首にかかった足首によって洸祈は横にふっ飛ばされた。
回し蹴り。
直ぐ様、洸祈は起き上がる。
「誰だ!?」
カチ
鈍く光る細剣。仰向けになった洸祈の首に剣が添えられた。
「洸祈、死にたいかい?」
「……アレン…」
普段ののほほんとした顔とは打って変わった厳しい騎士の顔をしたアレンが洸祈を冷たい瞳で見下ろしていた。
憎しみのこもった瞳で。
そんな彼の背後ではアクアが二之宮を介抱しに駆け寄る。
「蓮君!」
アクアが体を揺すって二之宮を呼ぶが彼はヒューヒューと喉を鳴らすだけだ。
二之宮は生きている。
「アクア、蓮を寝かしてあげてください」
「言わなくても分かるわよ!」
アクアはそっと二之宮をその場に横たわせる。
「さて、もう一度訊くけど…洸祈、死にたいかい?」
アレンは独特の甘い声に棘を含めて洸祈を睨んだ。アクアは後ろではっと背筋を固める。
アレンのあの声は緊張している証拠。気を最大限まで高めて洸祈を押さえている。脱力しきった洸祈に対してだ。
そして、アレンは洸祈を敵として見ている。
それは、そうまでしないと洸祈を本当に押さえ付けているか不安になるからだ。また、敵として見なくては話すことなどできないからだ。
洸祈は悪戯がバレた子供のような顔をすると直ぐに感情のない顔になった。
「…死にたい」
「死にたいくせに人を殺そうとする。そんな貴方は本当に死ぬべきですね」
アレンは剣先を洸祈の心臓に向けた。洸祈は自らに向けられたそれを見詰めると、笑みを溢した。
「アレン!駄目よ!!」
アクアは自己を見失いかけているアレンに目を見張る。
「洸祈君はフローラを殺した奴らじゃない!!」
「だけど!!」
アレンは顔を歪ませて洸祈を精一杯睨み付けた。
「フローラはそんなこと許さないわ!!」
叫んで返すアクアは涙を溜めて泣くのを堪える。今泣いたらアレンは完全に自己を見失う。そうアクアは堪える。
しかし、アレンにアクアの思いは伝わらなかった。
「貴女に何が分かる」
「アレン…」
「アクア、貴女に何が分かるんですか!!こんな奴がいなければフローラは殺されなかったんですよ!!!!」
アレンの蒼の瞳と洸祈の緋の瞳が重なり合う。
憎悪と虚無が重なり合う。
「死にたいですか?」
アレンは問う。
「殺したいか?」
洸祈は問う。
二人は答える。
肯定、と。
死にたい。
殺したい。
解放されたい。
「アレン!!!」
アクアは必死に叫ぶ。
「さようなら、洸祈」
アレンは幸せな顔をする洸祈の心臓を捉えた剣を同じく幸せな顔して引き上げた。そして、体重を腕に込める。
「ありがと」
―…殺してくれて。
これで、俺は解放される。
「やめ…ろぉぉおお!!!!!!」
「っ!!?」
今にも殺そうと腕を引いたアレンを一つの影が突き飛ばした。
「蓮君!?」
咳き込む二之宮。
アクアは倒れかける二之宮をどうにか支える。アレンは突然のことに唖然とした。
「ごほっ…や…め…」
アクアに背中を擦られて楽になった二之宮は、洸祈とアレンの間に崩れて座る。
「…蓮…どいてください」
剣先はなおも二之宮を通して洸祈に向けられたままだ。
「たか…や…は…殺さ…ない…」
「しかし!蓮を殺そうとしたんですよ!!」
アクアの助けを手を添えて放させた二之宮は、仰向けの洸祈を起こそうと肩を抱いて、持ち上げられずにそのまま洸祈に崩れて身を寄せた。
「僕は…崇弥…こ…ろす奴…は…許さな…い……ぼ…くが…殺して…やる…!」
震える指先で守るようにぎゅっと洸祈を抱く。
「洸祈は…僕が…護る…なんと言われようと…これが……僕の…望み」
アレンは押し黙った。
「どうして…」
幼い自らを思い出す。
最愛の彼女を背中に隠して…
『俺は貴女を護ります。この命に代えても』
激しい雨の中で…
『ダメよ…彼らの願いは私よ…逃げて!』
彼女は僕の服を掴んで叫ぶ…
『嫌です!』
ここで逃げたって…
『貴女を置いてなどできません!俺は―』
『任務なんてどうでもいい!逃げて!』
違う…
『フローラ!…俺は…!…貴女を置いて逃げたら…』
「決まって…だろ…!!」
そうあの時と同じ…
「生きる理由が…なくなるんだ!!!」
二之宮は吐き捨てるように叫ぶ。
どんなに惨めでも悲しくても…
その先には闇しかなくても…
共にいたい。
だからこそ…
「弱ければ…意味などないんです…」
失って、強くなることだけを考えて毎日を生きてきた。
復讐のために。
「どんなにその想いが強くても…弱ければ…手を掴めなければ…意味などない…」
どうしてそこまで…
「アレン、もうやめなさい」
アクアは刀をそっと下ろさせた。そこに第三者が現れる。
「その通りだ」
リヴァがライルを連れて部屋に入り込んでいた。
「ライル、蓮を連れ出せ」
「リヴァさん、待って!」
アクアはリヴァの言葉に絶望的な声を出す。
ここで二人を引き離すのは妥当なことであり、残酷なことだ。
アレンは俯く。
「駄目だ」
リヴァは抱き合う二人を見ながら冷たく言い放つ。
「蓮、来い」
「…いや…だ」
二之宮は洸祈にしがみつくが、ライルに簡単に引き剥がされる。
「リヴァ…さん」
感情の失った瞳で洸祈はリヴァを見上げる。それに対し、リヴァの行動は非常に簡潔だった。
「随分と度が過ぎたな、洸祈。今の私達はシュヴァルツ商団でありジャッジメントだ。崇弥洸祈、お前を政府まで連行する」
それは非常に簡単な行動。リヴァは洸祈の両手足に黒い枷を嵌めた。それは魔法使いほど有効な、魔力の高い人間ほど有効な、黒曜石が練り込まれた枷。
端から見ても分かる。洸祈の手足首の太さまでに縮むと、枷は柔らかい光を放ち、彼からは完全に力が抜けた。
「行くぞ、アレン、アクア。特にアレン、私情に駆られて仕事を忘れるな」
その細身な外見には似合わない力で洸祈を肩に担いだリヴァは、アレンを睨み付けた。
「たか…やを…放せ!」
二之宮はライルから逃れようと必死に手足を動かす。
「アレン、お前が説明しろ」
酷な命令。
しかし、リヴァの命令は絶対だ。
「蓮、ここ数日の洸祈の記憶を消します。そして、改竄します。多分、一週後には店に護送しますので適当に話を合わせてください」
「…………なんで…」
まだ顔色は悪いが、声が戻ってきた二之宮は乱暴にライルの手を払って、リヴァの背中、すなわち、洸祈の正面に立った。
「崇弥…」
伸ばされる二之宮の指。しかし、それが洸祈に触れることは叶わなかった。
「訊かないでください」
情報屋…。
アレンは付け加えて話すと、洸祈と二之宮との間に剣を差し込んだ。
伸ばせば切られる。一定の距離でしか近付くことはできない。
「崇弥は駄目…連れていかないでください…」
二之宮は呻く。
「こういう条件です。洸祈は条件を呑んでいます」
アレンに容赦はない。二之宮は無理だと言われても。
それでもねだる子供だ。
「ライル!連れ出せと言ったはずだ」
怒鳴るリヴァ。
二之宮の様子にリヴァは同情しかけているのを自覚して、ライルに見ていられないと命令する。同じ気持ちのアクアはそっと二之宮の手に自分の手を添えた。
「何回……今までに…何度こんなこと…してきたんですか…」
憔悴しきった声。
「何度も。しかし、洸祈の魔力の影響でピンポイントでしかできない。効果も月日と共に薄れていく。それに、洸祈が違和感を感じてそこに刺激が加われば簡単に思い出される」
リヴァは淡々と言う。
「カミサマ…崇弥の…記憶は……?」
「全て紛れもない事実だ。洸祈の苦い過去は消えてない。いや、消えないんだ。洸祈が何処まで覚えているかは知らないが、政府はそれを戒めとしている。理不尽なのか当然なのか。まぁ、ここから先はシュヴァルツ商団の仕事じゃない。政府の仕事だ」
洸祈は覚えている。
忘れているのは思い出そうとしないものだけ。
でも…
だけど…
「やだ」
二之宮は全てを無視して洸祈の虚ろな瞳をした顔を抱いた。
リヴァは動かない。
リヴァは、自らのお人好しな性格に負けていた。
似た境遇の息子を重ねて。
「崇弥…僕は…死にたくない……でも…君を…失いたくない…お願いだよ…帰ってきて…」
「………にの…みや?」
「蓮、2分待ってやる。2分で話したいこと話せ。忘れるけど、心には刻まれる」
リヴァは洸祈を二之宮に凭れさせると目で商団員に目配せした。ライル、アクア、アレン、最後にリヴァが外へ出た。
「団長…」
アレンは廊下から外の景色を見る。
とある指示を受けたアレンとアクアはジャッジメントとして洸祈達の部屋を見てくることになった。
4階から6階へ。
エレベーターを降りた時に感じたのは殺気。アレンとアクアは目的の部屋まで駆けると、案の定、ただならぬ会話が聞こえ、部屋に強行侵入したわけだ。
「別に男同士の恋愛なんて、まぁ、いいんじゃないか?」
心ここにあらずで呟く。
「誰も訊いてませんよ、団長」
アレンが溜め息を吐く。
「いいんですか?上は直ぐに連行してこいですよ?」
アレンの真剣な声。
「あぁ、何か理由を造ってな」
リヴァも直ぐに表情を変える。アクアもライルも表情を引き締めた。
とある指示、それは…
「力ずくでもいいから本部に崇弥洸祈を連れてこい…ですよね」
アクアはぽつりと言った。この場にいる全員が知っていること。アクアの独白であり、皆の独白。リヴァはアクアの頭を撫でた。そしてアレンも。
「団長!」
アレンは抗議して手を払う。
「息子が母親の愛情にケチつけんのかぁ!?」
と、リヴァはアレンの頭を無理矢理撫で回した。
「もらえるもんはもらっとけ」
そう付け足して。
「なんで…さ…俺は…お前を…」
「僕の片割れだろう?」
二之宮は洸祈に頬を擦り寄せた。動けない洸祈はそれを呆然と受け入れる。
「話の続き。僕は君を愛してる。今は返せなくていいよ。今はまだ…人の愛し方を僕が一緒に探してあげる。だから僕は死にたくないんだ」
「……だけど…俺には…」
「探して、探して、探す」
二之宮は洸祈の背中を擦る。
「置いてきぼりになんかしない。僕は君とずっと一緒にいる」
2分。
最後に二之宮は洸祈を強く抱き締め、洸祈は充電が切れたようにかくりと首を傾けた。
「ずっと一緒だよ」
「僕は医者だ。崇弥に変なことしたら、あなた方全員覚悟しといてください」
ぎろり。
「できる範囲で洸祈には注意しよう」
二之宮はリヴァを変化のない顔で見、リヴァも同じ表情で返す。
「行くぞ」
リヴァは仲間を促した。
「旦那様!」
琉雨は担がれている洸祈の姿を捉えて駆け寄った。
「くぅちゃん!」
遊杏も、それに続く。
「琉雨ちゃん、遊杏ちゃん」
アクアが穏便に二人を止めた。その後ろでは黒のベンツの後部座席に、洸祈を抱えたリヴァとアレンが乗り込む。
「アクアさん!旦那様は!?」
「ひーちゃん!」
「政府本部にね」
アクアはどうにか笑顔を繕う。アレンに目配せすると彼は目を臥せた。
政府という言葉に遊杏は引き下がったが、琉雨は引き下がらなかった。
「なんでですか!旦那様の魔力に激しい乱れはありませんでした!なのに…なんで旦那様を連れていくんですか!!!約束破りです!」
琉雨は声を張り上げる。
次第に、旅館の駐車場には野次馬が集まってきた。
「旦那様はどんなに無茶苦茶な仕事でも、命懸けで家族のためにちゃんとこなしてきました!なのに…!!!!理由なしに旦那様を連れてかないで!!!!!」
バタン。
助手席から政府代理人の紋章を付けたサングラスの男が降りてくる。その手に握られているのは紛れもない拳銃。
「やめて!」
アクアは琉雨と男の間に立つ。
「これ以上、騒がれたら困る」
発砲する気はない。脅しだ。
「ダメよ!」
男は聞かない。
琉雨に銃口を向け、ゆっくりと近づく。
「それがあなた達のやり方ですか!旦那様を使うだけ使う!」
琉雨は睨む。
「旦那様は道具じゃありません!!人です!!痛みも悲しみも感じるんです!!!」
男は見下ろす。そして、嘲笑った。
「ヒト?違うな。化けも―」
「違う!!!!」
琉雨の瞳に明らかな憎悪が宿る。
アクアは本能的にそれを危険と感じた。
「もうやめてください!」
男の銃を抑えようとアクアは動く。
早く止めないといけない。
じゃないと、よくないことが起こる。
銃口を押さえるアクア。
「やめろっ!」
男は飛びついたアクアに驚いて、反射的に彼女に拳を上げ…
「アクアさん!」
それは彼女の肩を打った。
「っ!」
顔を歪めた彼女は琉雨の目の前で倒れる。
「あ…くあ…さん?……なんで…なんで…なんでっ!!!!」
「る…う…ちゃん!?」
琉雨から噴き出す紅い光。
主人と同じ炎の色。
アクアは琉雨に目を見張る。
いけない。彼女を怒らせてはいけない。
「大丈夫だよ」
アクアは必死に琉雨を諭す。
が、聞こえていない。
「あなた達は酷い人達です!!!!」
紅蓮の炎が…
「うーちゃん!!!!!」
遊杏だ。
遊杏は瞳を波色に光らせて琉雨に抱き付いた。
一瞬で、何事もなかったように紅い光が消え去る。
「………許せない…」
肩をいからせる琉雨。
「うーちゃん…うーちゃん…」
遊杏は放さない。必死に琉雨を呼ぶ。
戻って来てと強く抱きつく。
「………………………杏ちゃん……」
「きょーちゃんがくぅちゃんの傍にいるから。にーがちゃんと事情を知って送り出したんだよ…だから…」
「うん…ごめんね…」
琉雨は上げた肩を下ろした。
……………………………………………。
「…出してくれ」
リヴァは飛び出し掛けたアレンの首根っこを捕まえて運転手に言う。
扉が閉まる直前、リヴァは琉雨に深く頷いた。
「旦那様…」
琉雨は隠した右手を強く握り締める…。