旅行(8)
アナタへの愛をワタシはいつまでも純粋なまま秘めていたい。
「紫水…」
「二之宮?」
二之宮は開けた窓辺に座って太陽の光を浴び、赤く上気した頬に風を受けながらポツリと呟いた。
首を傾げた洸祈は、布団を均し終わると二之宮を後ろから抱き締める。
「君からとは…」
「もうお休み」
「こんなに天気のいいのに真っ昼間から寝なさいか…やだなぁ」
二之宮は窓枠に突いた手に力を込めると洸祈の腕から逃れるように屋根に降り立った。
「二之宮!」
「日向ぼっこだよ」
「体に障る」
「大丈夫」
洸祈は困ったように眉を潜める。それに二之宮はウインクをして返すと上の屋根へと伸びる梯子に足を掛けた。
「崇弥は心配性だよ…!!」
一瞬全てを見失ったように思えた。
ふっと遠退く意識に肝を冷やすと二之宮は梯子を掴む手に意識を集中させる。
ここから落ちたらひとたまりもないだろう。
一歩一歩慎重に上へと上がる。
と…
「え?」
その時だ。
二之宮の手が梯子を放したのは。
二之宮の意思じゃない。手が勝手に二之宮を落とした。
落ちる…
「二之宮!!!」
ドサッ…ゴン
「へ?あれ?僕は!?」
二之宮はくるはずの衝撃がこなくてポカンとする。背中には柔らかい感触。
「いってえぇ!!!!!!」
「崇弥!?」
不意に背後から上がる悲鳴。
洸祈は二之宮は抱き締めていた手を離して自らの頭を押さえる。
変わらず屋根の上。
梯子から落ちた二之宮は洸祈に抱き留められて最初に降り立った屋根の上に転がったのだった。その際頭を強かに打った洸祈はその痛みに呻く。
「大丈夫?」
「あーいて。大丈夫って言ったのに落ちるなよ!」
自分の頭のことよりも怒っているようにみえる。しかし、本当にそういう意味で言ったのなら洸祈が二之宮を抱き留めるはずがないのだ。
それは、自分の頭のことよりも二之宮の体のことを心配しているということである。
「僕が心配でついてきてくれたんだね」
「馬鹿。ほら、部屋に戻るぞ」
再び梯子に手を掛けた二之宮を洸祈は後ろから抱き抱えた。
「離してよ」
二之宮は足をばたばたさせる。
「あぶねぇだろ!一緒に落ちたら今度こそ誰も受け止めずに死ぬだろ!?」
死ぬ?
どうしてあんなこと言ったのか分からない。
もしかしたら手が勝手に動いたように口も舌も勝手に動いたのかもしれない。
僕は崇弥のじゃれる言葉に無意識のうちに返していた。
とても残酷な言葉で。
「崇弥がその命を天に差し出して僕を助けてくれる」
言ってから脳にそれがまじまじと思い浮かぶ。
紅い血を大地に染み込ませて動かなくなる崇弥。僕はその死体を枕にして空を見上げるのだ。青いこの空を見上げるのだ。
僕は何も感じない。
紅いは紅い。
血は血。
死体は死体。
ただそれだけ。
…―いいね―…
「崇弥?」
君は今なんて言ったんだい?
「俺の命、お前の為に天に捧げるよ」
何を…言ってるんだい?
―嬉しい―
僕は…嬉しくない。
―嬉しいよ。僕の為になんて―
誰も言ってくれなかった。けど、言って欲しくなかった。
―僕にくれるんだね―
いらない。いらない。
命なんていらない。
―沢山の人が僕にくれたよ―
僕は…
多くの命の上に立っている。
僕は…
多くの死体の上に立っている。
裸足は命の温かさと死体の冷たさを全てを踏み潰す。
「じゃあ、行こう」
話の先へ。
僕は屋根につけた足に力を込めて崇弥ごと空へと落ちる。
―僕は君の特別が欲しい―
それは…
―たった一つの命を―
いらない。
そんなものはいらない。
だって…
僕は…
「命を僕は愛でられないよ」
命は命。
それ以上でもそれ以下でもない。貰った命はただの命。
誰のだとしても。
崇弥のだとしても。
清のだとしても。
「僕は容赦なく踏み潰してしまうよ」
だからお願い。
僕の為になんて言わないで…
二人は地へと落下した。