通信中…(3)
「何?未成年襲うなんて……そっちの人?」
「……は?……はぁ!!!?」
薄暗い部屋。
肩までずり落ちているシャツ。乱れた髪。汗ばんだ額。
由宇麻は目を剥いた。
「はぁって、俺が言いたいね」
馬乗りになった由宇麻に肩を掴まれている洸祈は彼を冷たく睨んだ
「ここは何処や?俺は何してんのや?」
「次は『私は誰?』とでも言うのか?教えてやるよ。ここは俺の部屋のベッド。お前は夜中にここにふらふらと入ってきて俺にのし掛かってきた」
「そうや。エアコン切れてて、蒸し暑くて、崇弥を探してここに辿り着いて……覚えてへん」
「白々しい」
洸祈は鼻で笑う。
「ほんまや。信じてや」
「だったら、早く退いてくれ。いつまでそうする気だよ?お前がくっついていると暑い」
由宇麻は意識を取り戻してから同じ体勢なのに気付いた。傍から見ても、今の由宇麻は未成年を襲うケダモノだ。
慌てて脇に避けようとした時、由宇麻は洸祈に胸ぐらを掴まれてバランスを崩し、彼の上に倒れ込んだ。離れてほしいのか傍にいてほしいのか分からなくて混乱する。
「何すんのや」
「どっちに避けるつもりだったんだよ。琉雨を押し潰すつもりか?」
由宇麻が避けようとした場所に琉雨が踞っていた。
「琉雨ちゃん?何でここにおるん?」
「暑いから」
「は?」
「エアコンが俺の部屋とリビングにしかないから。そんで、司野がリビングで寝てたから、安全の為にここに」
初対面で泊まらせてくれようとしただけ親切なのだ。由宇麻は怒る風でもなく、徐に口を開いた。
「崇弥ってロリコンなん?」
「俺は世間一般的なレベルの、か弱い少女を守りたい欲求を持っているだけ。俺は大人のお姉様が好きだ」
さらりと答えるところに恐ろしく感じた由宇麻だったが、口にはしなかった。これ以上のツッコミは、洸祈のあらぬ性癖を炙り出しそうだったからだ。
「旦那しゃま……」
寝惚けた琉雨が洸祈の首に抱き付く。
「暑い」
洸祈が眉をしかめた。
「幸せ者やんか!俺、琉雨ちゃんをお嫁さんに欲しいわ。可愛くて健気でいい子で」
「マジな話なら、この場で縛り上げて今朝のゴミに出してやる。てか、暑いって言ったのはお前に対して。お前が暑いんだ」
琉雨を見て力説する由宇麻を洸祈は睨み付けた。
「えーなー。こんなに可愛い子に愛されて……崇弥の駄目なところ全部フォローして……えーなー…………えーなー…………」
…………。
………………スー……。
「……いや、寝んなよ」
結局、由宇麻は洸祈の腹の上。無防備な寝顔を曝け出して熟睡していた。そして、洸祈の溜め息だけがエアコンの起動音に混じって響く。
「……暑い」
窓から差し込む月明かりに、ベッド下に無造作に置かれた刀が鈍く光った。
『……罪深い裏切り者。こんな所に居たんだ』
「何用だよ。カミサマさん」
午後11時。
「旦那様のベッド、旦那様の匂いがしますね」
「俺の匂いって……床に敷き布団を敷いてもいいんだが」
「嫌です!ルーは旦那様のベッドで寝ます!」
琉雨はベッドのシーツにしがみついた。
「旦那様の匂いは、お日様の匂いなんですよ」
なんですよ。と言われてもだ。自分の体臭など自分には分からないし、興味がない。普通に風呂に入って、健康の為に清潔に保っているだけだ。
琉雨が早くもタオルケットを抱き寄せてうとうとしている隣で、洸祈は寝間着のTシャツに着替えると、ベッドに腰を下ろした。
ふと気になって、洸祈は琉雨に尋ねる。
「何でお前、兎の姿なんだっけ?」
「旦那様が言ったからです」
栗色の髪に緋色の瞳の少女姿。琉雨は兎柄のピンク色パジャマを着ていた。
「何か言ったっけ?」
「お店を始めた時に『普通のものに化けろ』と旦那様が言ったので、ルーが何がいいか訊いたら、旦那様は少し考えてから白兎と言いました」
「白兎もいいけど、今の姿も可愛いな」
「何言うんですかぁ」
琉雨は頬を朱に染めてタオルケットを手繰り寄せた。
「何って……真実を?」
「じゃあ、ルーはお仕事の時もこの姿で居た方が良いです?」
「……いや、依頼の時は白兎のままで。子供は人によっては嫌われるし、どうしても信用が落ちる。俺だって年齢を偽ってるし。もう少し評判が出たら、人型になってもらうかな」
「はひ。あ、ルー、普段は猫にでもなりましょうか?料理とか洗濯とかしている時以外は。そしたら、場所取らないですし」
「やだ」
洸祈の一言に琉雨は首を傾げた。
「言っただろ?今の姿は可愛いって。俺はその姿が一番好きなんだ。場所だって取ってくれて構わない。猫の抱き心地も格別だろうが、俺は琉雨の今の姿の方が…………いや、猫でいる方が楽なら、そのままでなくても………………」
「はふ……おやすみなさい……」
琉雨の瞼が上下くっつく。勿論、少女の姿のままで。
「……はぁ、いとおしいな」
危ない発言をしたことに自ら気付いて咳払いをすると、洸祈は電気を消す。闇の中で琉雨の柔らかい髪の毛に指を絡めた。
午前1時30分。
ガチャ。
「誰」
洸祈はすっと目を開けた。
『……罪深い裏切り者。こんな所に居たんだ』
虚ろな目をした由宇麻が部屋のドアの前に立っていた。
「何用だよ。カミサマさん」
興味ないという風に洸祈は酷く冷めた声で言った。由宇麻は洸祈のお古をだらしなく着たまま、部屋の奥に入る。
「まさか司野にカミサマが付いているとはね」
洸祈は一人呟く。
『ぼくも驚いた。ぼくの大切な人を今も傷付けているくせに、お前はそこの餓鬼と楽しくしているとは』
「お前には関係ない」
『関係ある。あの方はぼくの恩人。あの方が苦しんでいると、ぼくも辛い』
「それだけ言いに来たのか?だったら司野ごと家に帰れ」
見下ろす由宇麻を洸祈は睨み付ける。
『無理だ。この子は今、ここに居たいと欲しているから。お前を欲しているから』
由宇麻は自分の顔を指差すと、洸祈に覆い被さってきた。
「何しやがる」
窓から差した月の光が由宇麻が片手に握ったものを照らす。
「……俺の」
『お前の日本刀。何でリビングに隠してるの?不用心過ぎ。まぁ、結界があるからだろうけどさ』
『結界の中に入れる人間なら背中から刺されてもいいってこと?』と、由宇麻はけらけらと笑いながら刀を鞘から抜いた。刀身が鈍く光る。
「お前のせいだからな」
洸祈は舌打ちすると、隙をついて由宇麻を突き飛ばした。彼は背中から壁にぶつかる。
『いたた……』
「帰れ!」
洸祈が由宇麻から刀を奪おうと、上体を起こした時だった。
『動くな。餓鬼の体に消えることのない傷がつく』
鋭い切っ先が寝息を発てる琉雨の顔に向いていた。長物を持つ由宇麻の方がほんの僅かに琉雨に近く、洸祈の体が動きを止める。
『何しようか』
「琉雨に触るな!」
『黙れ』
眉が由宇麻の額に深い皺を作った。洸祈は口をつぐむしかない。
現在の状況は洸祈の方がかなり不利。今日は身体的にも精神的にも疲れているし、漬物が原因ではあるが、酒も入っている。 それに何より、日本刀に対抗出来る武器が手近にない。魔法もありだが、武器を持つ由宇麻よりも素早く使える自信もない。下手をすれば、感覚の勝れているカミサマをより優位に立たせるだけだ。
しかし、このままだと琉雨が……。
起こすべきか。
けれども、由宇麻の中のカミサマは誰でもない洸祈に用事があって、その用事の大まかな部分は察しが付くし、琉雨を巻き込みたくない案件なのだ。
だからこそ、このような状況でも、洸祈は自身の心を騙し騙し落ち着かせ、魔力を共有する琉雨が主の動揺に気付いて起きてしまわないことを願っていた。
「…………お前は俺に何を望んでる?」
『死んで欲しい。いや、違う。苦しんで欲しいんだ』
「だったら、俺を殺せ。俺を傷付ければいいだろ?」
『お前は馬鹿?お前を今殺しても意味がないだろう?お前を今傷付けても意味がない。お前は自分よりも大切な者が傷付く方が辛いし、苦しむ。その後で殺すのが正しい』
由宇麻は唇を噛む洸祈に刀を向けながら琉雨に手を伸ばした。琉雨にその手が触れるか触れないかの瀬戸際で洸祈は刀の柄を由宇麻の手諸とも掴んでもう片手で由宇麻の伸ばされた腕を掴んだ。
「案外隙が多いな。司野に似てカミサマさんも琉雨に夢中か?」
その体勢で十数秒。
『返す』
と、由宇麻がパッと柄から手を放した。刀が二人の間に転がる。
『取らない?』
「取ったらカミサマさんに隙を与えるだけだろ?」
クックッ。由宇麻は喉を鳴らす。
『この子が欲しい?』
「は?何で」
『ぼくはこの子に付いているわけではない。ぼくはこの子の願いに惹かれて一緒にいるだけ。この子が欲しい?』
「何が言いたい」
『この子はとても純粋な子。体の弱いこの子は大切に大切に守られた。そして、捨てられた。この子は人の愛を知り、憎しみを知っている。両親はこの子の入院費で口論した。どうやって入院費を稼ぐかじゃない。どちらに入院費を押し付けるかだ』
「やめろよ」
『結局彼らは離婚し、母方の祖父にこの子を預けた。否、捨てた。そして現在、この子を育てることを条件にこの子と両親が住んでいた家を貰ったこの子の祖父は、この子が二十歳になると同時にこの子にあの家をあげた』
「やめろ!司野じゃないお前が司野の言いたくないことを言うな!」
『言うさ。この子は純粋。お前といるとこの子は穢れる。だから、この子には近付くな』
鋭い目で由宇麻は洸祈を睨むと、手首をひねって洸祈の手を放し、動揺する洸祈を押し倒した。
『この子が頑固だからぼくは帰る。さっきの言葉忘れるなよ』
…―この子が穢れる―…




