璃央の憂鬱(2)
他の部屋と同じ畳部屋。
現在居間にいるのは洸祈と葵と璃央のみ。共に昼食をとった真奈は台所で片付けをし、春鳴と乃杜が手伝っていた。因みに、紫紋は自ら起きるまでは起こさないことに決定している。
長方形の茶テーブルには合計3つのカップ。コーヒーの入ったのが2つにオレンジジュースの入ったのが1つだ。そして、片側に洸祈と葵が、反対側に璃央が座っていた。
「んで、どうして璃央はうちに来たんだ?」
真奈が作ったうどんを食べ、一息ついたところで洸祈はコーヒー片手に璃央に訊ねた。璃央はコーヒーに口をつけた状態ですかさず「先生だ」と呟く。
「もしかして、お昼食べるためだけに学校脱け出して来たってわけじゃないよね?いくら煉葉と縁切って仕送りがなく、明日の食事も儘ならないからって」
葵がそっと目を伏せる。
「…って、そんなわけあるか!!日々の生活を賄うくらいの給料は頂いてる!」
ガシャン
璃央の落とした拳によってテーブルの上のコップが音を立てる。
「まぁまぁ、落ち着きなよ」
頬杖をついて洸祈が宥める。が、表情からはそんなの微塵も感じられない。
「さっきの背負い投げといい、お前ら私に怨みでもあるのか!?」
璃央が先程痛めた腰をさすりながら双子を睨目上げた。
『あるよ』
見事なハモり。
「俺達の両の手じゃ足りないくらいに」
洸祈が両手を璃央の前でヒラヒラと揺らす。
「たっくさんの嫌がらせをされたから」
葵が目の前のカップを両手で包み込んで微笑む。
「…したか?」
全く記憶にない。
『うん』
またまた、見事にハモる。
「こーんなことや」
洸祈が人差し指で宙に小さな円を描く。
「あんなこと」
葵がジュースをゴクリと飲む。
…………………………。
「…ないだろ!!むしろ」
璃央が「私が」と続けかけたところで洸祈が口を挟んだ。
「むしろ、私が言いたいぐらいだ!ってね」
洸祈は少し後ろに下がり、胡座をかいていた足を伸ばして後ろに倒れた。
「くあ~っ、眠くなってきた」
葵の横で洸祈が思いっきり伸びをする。
「それより」
どれよりだ。
そんな突っ込みはさておき、葵がコンとカップを置いた。去年買い換えた―水色の地に緑一色で描かれた木々と小鳥の柄の入った―葵専用のカップから水滴がテーブルに落ちる。
「どうして璃央先生がうちに?」
葵と半眼の洸祈が璃央を見上げる。
「それは、入学式の日だってのにお前達が連絡なしに休んだから」
「つまり」
つまりで言い換えるようなことを言っただろうか。
「俺達が心配だったんだー。璃央先生は優しいね。で、他には?」
葵が首を傾ける。
「他?」
「あるでしょ。優しい璃央先生」
璃央を碧の瞳がじっと見つめた。
「慎に会いに。お前達はついで」
「うわ、ついでだって」
葵が洸祈にふる。
「俺達はついでか」
洸祈がガバッと起き上がった。
「俺達、小さい頃からあれこれやって璃央先生と絆を深めてきたのに」
葵がガックリと肩を降ろす。
「納屋に閉じ込めたのも、習いたての者の心を打ち砕くように璃央を年下の俺達がこてんぱんにしたのも、全てが無駄だったのか」
洸祈が顔をカクッと下に向ける。
『はあぁー…』
そして、双子は長い長い溜め息をついた。
納屋に閉じ込めたのはお前達だったのか!!!!どんなコミュニケーション方法だ。
なんて言ったら。と、考えるのは辞めておく。
「…………」
「あ、璃央先生成長したみたい」
洸祈は笑む。
「成長じゃないよ。璃央の適応力だよ。こうやって学校でも生徒に教師、はたまた校長のハートまでもをガッチリと掴むんだ」
冷静に。冷静になるんだ、私。
コーヒーに口をつけ璃央は恰かも平静を装う。
「ねぇ。ねぇってば、璃央」
「璃央先生だ、葵!」
「俺達本題に入っていい?」
と、葵が首を傾げると、洸祈が真面目な顔をした。
「あ、あぁ!?」
「…………父さん、どう?」
葵は目を伏せて淡々と訊ねてきた。
「!!……お前達で会いに行けばいいだろ?」
キッチンから聞こえる話し声と開け放った襖から聴こえる小鳥の囀り以外の音が一切消える。
地雷を踏んだか?
『…………………』
沈黙の中、二人は璃央から目を逸らした。
「……無理なんだよ」
そして、ぼそりと洸祈が苦々しい顔で呟いた。
“無理”重々しい雰囲気から璃央は察する。
「病院に会いに行っても晴滋さんが会わせてくんないんだよ。理由を訊いても答えてくんないし」
それは洸祈の言葉。
開いた口からは小さな弱々しい声。言葉の端々が震えているのは気のせいではないのだろう。
そう、
二人は怖いのだ。
理由を教えてくれない。
それが、慎の意思であった時のことが……。どんな事情であれ、それは二人を拒絶したことになるのだから。