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願いを食べる自動販売機

作者: 文士文彦
掲載日:2026/05/29

「都市伝説」というものは、だいたい人間の負け惜しみで出来ている。


たとえば、学校の七不思議。


たとえば、深夜二時にだけ繋がるラジオ局。


たとえば、駅の十三番ホームに停まる、存在しない終電。


たとえば、路地裏に立つ「願いを叶える自販機」。


こういうものを大人は笑う。


子供の作り話だとか、暇人の悪ふざけだとか、動画配信者の仕込みだとか、だいたいそんな風に片づける。


だが、よく考えてほしい。


人間は、ただの偶然が嫌いだ。


努力したのに落ちた試験。

好きだった人に選ばれなかった恋。

真面目に生きているのに、うまくいかない生活。

何も悪いことをしていないのに、唐突に降ってくる不運。


そういうものを、ただの偶然です、と言われて納得できるほど、人間は強くない。


だから人は、そこに理由を欲しがる。


神様でもいい。

悪魔でもいい。

宇宙人でもいい。

政府の陰謀でも、前世の因縁でも、呪いの人形でも、なんでもいい。


自分の苦しみに名前をつけてくれるなら、それは少しだけ救いになる。


つまり都市伝説とは、現実に負けた人間が、現実の外側に置いた非常口である。


さて。


そんな非常口の中に、ごくまれに本当に開いている扉が混じっている。


たとえば、雨の日の午前三時。

駅前商店街の奥、潰れた駄菓子屋の横に、赤い自販機が現れるという噂がある。


売っているのは飲み物ではない。


「才能」

「恋人」

「復讐」

「合格」

「金運」

「忘却」

「主人公補正」


などと書かれた、妙に物騒な缶である。


値段はすべて百円。


ただし、買うときに一つだけルールがある。


――望んだものと同じ価値のものを、どこかで必ず失う。


分かりやすい。

実に分かりやすい。


だが、人間というものは、分かりやすい罠ほど踏む。


「百円で才能が買えるなら安い」

「恋人ができるなら少しくらい何か失ってもいい」

「復讐が叶うなら、その後なんてどうでもいい」


そう思う者は、いつの時代にもいる。


そして噂によれば、その自販機にはひとつだけ、誰も買えなかった缶があるらしい。


黒い缶。


ラベルには、こう書かれている。


『物語の主役』


値段は、十万円。


百円ばかりの缶が並ぶ中で、それだけが異様に高い。


けれど、本当に異様なのは値段ではない。


その缶の下には、小さな注意書きが貼られている。


『購入者は、以後あらゆる不幸に巻き込まれます』


……いや、それは主役ではなく被害者では?


と、普通の人間なら思うだろう。


だが、普通ではない人間もいる。


これは、その黒い缶を買うためだけに、毎晩商店街を徘徊している二人組の話である。


一人は、物語を異常なほど読み込んだ少年。


名前を、語部リクト。


十四歳。

中学二年生。

成績は中の上。

運動は中の下。

友達は少ない。

いや、少ないという表現は少し見栄を張っている。

厳密には、話しかければ返事をしてくれる知人が三人いる。


もう一人は、現実を異常なほど観察する少女。


名前を、三栗ナナ。


十四歳。

同じく中学二年生。

成績は上。

運動は下。

感情表現は死んだ魚。

だが、レジ横の募金箱に五円玉が何枚入っているか、教師が嘘をつく時にどちらの眉が上がるか、購買部のおばちゃんが昨日から腰を痛めていることまで見抜く。


二人合わせて、学校ではこう呼ばれていた。


「地味に面倒くさいやつら」。


伝説感がまるでない。


だが、本人たちは気にしていない。


なぜなら二人には、もっと切実な目的があった。


「なあナナ。やっぱりさ、俺たちには主人公補正が足りないと思うんだ」


「足りないというか、ない」


「即答やめろ。心が折れる」


「折れても物語は始まらない」


「だから買うんだろ。『物語の主役』を」


リクトは、商店街のアーケード下で、百円玉を積み上げながら言った。


雨が降っている。


古い屋根を叩く雨音が、夜の商店街に薄く響いていた。


シャッターの閉まった八百屋。

電気の消えた美容室。

招き猫だけが外を見ている居酒屋。


その先に、潰れた駄菓子屋がある。


さらにその横。


赤い自販機が、あった。


「出た」


ナナが言った。


いつも通り、声に驚きがない。


「出たな。ついに出たな。俺の時代が来たな」


「まだ百円玉数えてるだけ」


「十万円を百円玉で用意した主人公、かなり気合い入ってない?」


「迷惑」


「両替機に三回怒られた」


「銀行にも怒られてた」


「でも用意した。つまり俺には資格がある」


リクトはリュックを開けた。


中には、ぎっしり詰まった百円玉。


その重さで、さっきから肩が死んでいる。


「……リクト」


「なんだ。感動したか」


「これ、九万八千七百円」


「えっ」


「数えた」


「嘘だろ。昨日三時間かけて数えたんだぞ」


「途中でお母さんに千三百円借りられてた」


「母さんんんんん!」


リクトはその場に膝をついた。


雨音がやけに優しい。


ナナは自販機の前まで歩き、黒い缶の表示を見た。


『物語の主役 ¥100000』


売り切れランプはついていない。


「あと千三百円」


「ナナ、持ってない?」


「ある」


「神」


「貸すとは言ってない」


「悪魔」


「利子つき」


「お前、都市伝説より怖いな」


「返済期限は明日。購買の焼きそばパン一個」


「千三百円の利子が焼きそばパン? 良心的なのか悪質なのか判断に困る」


「期間限定の激辛チーズ」


「悪質だ」


リクトはナナから硬貨を受け取り、震える手で自販機に金を入れ始めた。


百円玉が、落ちる。


チャリン。

チャリン。

チャリン。


そのたび、自販機の内部で何かが目を覚ますように、低い音がした。


「なあ、ナナ」


「なに」


「俺、本当に主役になれると思うか」


「なれる」


珍しく即答だった。


リクトは少し黙った。


「……なんか、そう言われると照れるな」


「主役はだいたい面倒ごとを押しつけられる人間だから」


「いい意味じゃなかった」


「でも、向いてる」


「どこが」


「普通の人が見ないところを見る。普通の人が流す話を拾う。普通の人がやめるところで、まだ考える」


「……」


「あと、すぐ調子に乗る」


「最後で全部台無しだよ」


「主役っぽい」


リクトは鼻をこすった。


少しだけ、胸の奥が変な感じになった。


雨の匂い。

古い商店街。

赤い自販機。


自分の人生に、ようやく物語の表紙がついたような気がした。


最後の百円玉を入れる。


表示が変わる。


『購入できます』


リクトは黒い缶のボタンに指を置いた。


「押すぞ」


「押せば」


「止めないのか」


「止めたらやめる?」


「いや」


「じゃあ止めない」


「冷たいな」


「一緒にいる」


それだけ言われて、リクトは何も返せなくなった。


ボタンを押す。


ガコン、と音がした。


取り出し口に黒い缶が落ちる。


リクトはそれを拾い上げた。


冷たい。


ただの缶なのに、やけに重い。


缶の側面には、小さな文字が書かれている。


『開封後、三分以内に物語が始まります』


「三分?」


リクトが眉を寄せた瞬間だった。


自販機の表示が、また変わった。


『お買い上げありがとうございます』


続いて、次の文字。


『代金として、あなたの平穏をいただきます』


「……ナナ」


「うん」


「これ、返品できると思うか」


「無理」


「だよな」


その時、商店街の奥から、何かが転がってきた。


空き缶ではない。


ボールでもない。


人の頭ほどある、白い卵のようなもの。


それが、ぬるりと雨水を弾きながら、二人の前で止まった。


表面に、赤い文字が浮かび上がる。


『第一話 卵から出るものは、だいたい面倒』


「タイトル出た」


リクトが呟いた。


「親切」


ナナが頷いた。


「いや、親切か? これ」


卵にヒビが入る。


中から、細い腕が出た。


続いて、濡れた黒髪。

白い顔。

金色の目。


卵の中から出てきたのは、十歳くらいの少女だった。


少女は雨の中で、二人を見上げる。


そして、第一声。


「おなかすいた」


リクトは缶を握りしめたまま、目を閉じた。


「ナナ」


「なに」


「これ、ジャンル何だと思う?」


「育児」


「嫌だ!」


少女は、ふらふらと立ち上がり、リクトのリュックを指さした。


「それ、食べられる?」


「これは百円玉だ。食べ物じゃない」


「じゃあ、あなたは?」


「食べ物じゃない!」


「でも、主役でしょ?」


リクトは固まった。


ナナが目を細める。


「どうして分かったの」


少女は、にこりともせずに言った。


「主役は、おいしいから」


一瞬、雨音が消えた気がした。


リクトの背筋に、冷たいものが走る。


ナナが一歩前に出る。


「あなたは何」


少女は首を傾げた。


「願いを食べるもの」


「名前は」


「まだない」


「目的は」


「主役を育てること」


「育てる?」


「うん」


少女はリクトを見た。


「不幸にして、選ばせて、失わせて、勝たせる。そうすると、主役はおいしくなる」


「ちょっと待て。今、かなり不穏な育成計画が聞こえたんだが」


「大丈夫」


少女は淡々と言った。


「死なない程度にする」


「それ、大丈夫って言わない!」


その瞬間、商店街の街灯が一斉に消えた。


暗闇。


雨音。


そして、シャッターの向こうから、何かが爪を立てる音。


ガリ。

ガリ。

ガリ。


ナナがリクトの袖を引いた。


「来る」


「何が」


「たぶん、第一話の敵」


「もう!? 展開早くない!?」


「三分以内に始まるって書いてあった」


「律儀すぎるだろ物語!」


卵の少女が、空を指さす。


「ルール」


その声に合わせて、商店街の天井近くに文字が浮かんだ。


『第一話のルール』

『一、敵から逃げ切れば勝ち』

『二、誰かを見捨てれば即敗北』

『三、使用可能な道具は、商店街にあるもののみ』

『四、勝利報酬は少女の名前』

『五、敗北時は主人公交代』


リクトは文字を見上げた。


「主人公交代って何?」


少女はリクトを見た。


「あなたが脇役になる」


「地味に嫌だな!」


「たぶん、食べられるより嫌がってる」


ナナが冷静に言った。


「いや食べられるのも嫌だよ? ただ脇役になるのは精神的に刺さるだけで」


「来る」


シャッターが内側から膨らんだ。


次の瞬間、金属が破れた。


中から出てきたのは、黒い犬のようなものだった。


ただし、頭が三つある。


目が六つ。

口が三つ。

よだれが雨に混じって、アスファルトを焦がしている。


「ナナ。あれ何」


「犬」


「犬ってレベルじゃねぇぞ!」


「たぶん、番犬」


「何の」


「物語の」


黒い犬が吠えた。


商店街のガラスが震える。


リクトは即座にナナの手を掴んだ。


「逃げるぞ!」


「うん」


二人は走り出した。


卵の少女も、当然のようについてくる。


「お前も走るのかよ!」


「見捨てたら負け」


「そうだった!」


後ろで犬が走る音がする。


速い。


明らかに速い。


商店街の床が濡れて滑る。


リクトは転びかけ、ナナに引っ張られて持ち直した。


「リクト、右」


「右って?!」


「駄菓子屋の横、裏口」


「閉まってるだろ!」


「鍵は壊れてる。先週見た」


「お前の観察力、たまに怖いな!」


三人は裏口に飛び込んだ。


古い駄菓子屋の中は、埃っぽく、甘い匂いが残っていた。


棚には空箱。

壁には色あせたポスター。

床には、割れたガラス瓶。


ナナが素早く周囲を見る。


「使えるもの。紐、傘立て、ガムテープ、ビー玉」


「それで三つ首の犬をどうしろと?」


「転ばせる」


「地味!」


「逃げ切れば勝ち」


「そうか。倒す必要ないのか」


リクトは息を吸った。


物語なら、ここで武器を探す。

格好よく戦う。

秘められた力に目覚める。


だが、ルールは逃走。


勝利条件は、逃げ切ること。


だったら、戦う必要はない。


「ナナ、配置頼む。俺が引きつける」


「リクトが?」


「俺は主役だからな」


「すぐ調子に乗る」


「うるさい。あとで褒めろ」


「主役っぽい」


ナナはビー玉を掴み、床にばら撒いた。


リクトは傘立てを倒し、ガムテープを棚の間に張る。


卵の少女は、棚に残っていた古いラムネ菓子を見つけて食べていた。


「おい、手伝え!」


「おなかすいてる」


「こいつ本当に育成係か!?」


直後、黒い犬が店内に突っ込んできた。


三つの頭が同時に吠える。


リクトは叫んだ。


「こっちだ、犬!」


犬がリクトへ跳ぶ。


その前足がビー玉を踏んだ。


巨体が滑る。


さらに首の一つがガムテープに引っかかり、傘立てを巻き込んで横転した。


轟音。


棚が倒れる。


埃が舞う。


「やったか!?」


「言わない方がいい」


ナナが言った直後、犬が立ち上がった。


「やっぱり」


「でも時間は稼げてる」


ナナは裏口を指さした。


「今」


三人は再び走った。


商店街を抜ける。

雨が強くなる。

背後で犬が吠える。


リクトの息が切れる。


足が痛い。


肺が焼ける。


でも、手は離さなかった。


ナナの手。

卵の少女の袖。


誰かを見捨てれば即敗北。


それ以前に。


一度手を掴んだなら、離すのは、なんか違う気がした。


「リクト」


ナナが言った。


「あと十秒」


「何が」


「三分」


「測ってたのか」


「うん」


「ナナ」


「なに」


「お前がいてよかった」


「知ってる」


「そこは照れろよ!」


背後から犬が迫る。


あと少し。


十秒。

九秒。

八秒。


卵の少女が、リクトを見上げる。


「主役、変なの」


「悪かったな!」


「でも」


少女は小さく言った。


「ちょっと、おいしそう」


「褒め言葉として受け取れない!」


三秒。

二秒。

一秒。


雨が止んだ。


犬の足音が消える。


浮かんでいた文字が、夜空に溶けるように消えていく。


『第一話 勝利』


その下に、新しい文字が出た。


『報酬を付与します』


卵の少女の胸元に、小さな名札が現れた。


そこには、ひらがなでこう書かれている。


『ましろ』


少女は名札を見て、瞬きをした。


「ましろ」


リクトが読んだ。


「それがお前の名前らしい」


「名前」


少女――ましろは、自分の胸に手を置いた。


「これ、食べられる?」


「食べるな」


ナナが即答した。


リクトは地面に座り込んだ。


全身が痛い。


リュックは重い。

服は濡れた。

財布は空。

そして、平穏も失った。


最悪だ。


最悪なのに。


胸の奥が、少しだけ熱かった。


「なあ、ナナ」


「なに」


「物語って、毎回こんなに疲れるのか」


「たぶん」


「返品したい」


「無理」


「だよな」


ましろがリクトの隣に座る。


「次は?」


「次?」


「第二話」


リクトは夜空を見上げた。


赤い自販機は、もう消えていた。


代わりに、商店街の奥に、見覚えのない扉が一つ立っている。


扉には、白い文字。


『第二話 主役は朝ごはんを食べられない』


「最悪だ!」


リクトが叫ぶ。


ナナは少しだけ笑った。


ましろは首を傾げた。


そして、どこか遠くで、誰かがページをめくる音がした。

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