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一か月後に婚約を破棄されるそうです。猶予期間は有効活用しようと思います。

作者: 乃崎かるた
掲載日:2026/03/02

「――サーシャ・ノクタリス! 今夜をもって、お前との婚約は破棄する!」


 大勢の貴族が集まるデビュタントパーティー。

 若い貴族たちの新たな生活の始まりを祝う場で、一人の令嬢の終わりを高らかに宣言したのは、この国の王太子だった。

 

 その隣で悲壮感溢れる表情を浮かべているのは、男爵令嬢のリリア。

 彼女はここで王太子レイモンドに縋りついて、浮気を匂わせるような愚は犯さない。

 ただサーシャにだけ分かるように、その愛らしい顔を嘲るような笑みで歪める。


 レイモンドとサーシャが婚約してから、既に十年もの月日が経っていた。

 今婚約を破棄されてしまえば、サーシャがこれまで必死で王妃教育を受けてきたことも、自国を統治する日に向けて様々な案を練ってきたことも、全てが無意味だったことになる。


 しかしサーシャの顔には悲嘆も憤慨も、()()()()()浮かんではいなかった。


 それどころかレイモンドと目を合わせることもせず、代わりに聴衆――夜会に参加していた貴族たちの方に体を向ける。


 そしてにこりと、無邪気とも言える笑みを浮かべた彼女は、この状況にまるでそぐわない言葉を放った。


「――さてさて皆様。待ちに待った、催し物のお時間となりました」


 

 ◇


 

 一か月前。


 サーシャは何度目かも分からないため息をつき、婚約者にじとりとした視線を向けていた。


 煌びやかな装飾を施されたそこは、夜の賭場(とば)

 賭け事は飽食の日々を送る貴族の間で流行の只中にあり、もはや嗜みとすら扱われるようになっていた。


 サーシャはレイモンドの目の前に置かれていたチップの山に目を落とし、そのうちの一枚を拾い上げた。

 縁が紫色に塗装されたそれには、この賭場で扱われている最高額が印字されている。


「一夜あたりに賭けて良い上限を定めていましたよね?」


 我ながら声色が冷たいと思いつつも、サーシャは呆れを隠しきれない。

 

 一方で遊戯を邪魔されたレイモンドも不機嫌を露わに舌打ちし、サーシャを睨みつける。


「まだ妃にもなっていない分際でしゃしゃり出るなと、何度言えば分かるんだ?

 頭が弱いなら弱いなりに、他の令嬢と茶でも飲みながら中身のない話をしてろよ」


 およそ王太子ともあろう者に許された言動ではないが、賭場では無礼講、という暗黙の了解が彼の立場を固く守る。


「……殿下が元手としているのは、臣民から徴収した貴重な税です。

 決して、私たちがいたずらに浪費して良いものでは――」


「――そういえば」


 飽きるほどに繰り返されてきたサーシャの説明を遮り、レイモンドは口の端を吊り上げた。


 それを見たサーシャは目を細める。

 それは何度も見てきた、彼が厄介払いの手段を思いついたときの顔だった。


「ユリウスが城に来ているらしいぞ。さっさと帰って対応してやれ」


 ため息をついたサーシャは、無駄だと分かっていながら慣習に言及する。


「……貴族への対応は本来、殿下ご本人が行うべきことですよ」


 レイモンドは下卑た笑みを浮かべ、サーシャが予想した通りの言葉を口にした。


「何を言っている。私は朝まで()()()んだよ」


 

 ◇


 

「大変お待たせいたしました、ユリウス様」

 

 応接室に姿を現したサーシャに、公爵は柔らかい、外向きの微笑を浮かべた。

 

「気にしないでくれ。俺が急に押しかけたんだ」


 ユリウスはサーシャの椅子を引いてからその対面に腰を下ろし、優雅な仕草で紅茶を口に含んだ。

 レイモンドではなくサーシャが来たことに驚いた様子はない。

 もっともそれに驚く人物など、もはやこの国の貴族にはいないが。


()()はまた朝までお楽しみか?」


「……ええ、お恥ずかしながら」


 思わず目を伏せると、ユリウスは喉の奥を鳴らすようにして笑った。

 数年前に爵位を賜って王宮を出た元第二王子として、変わらない兄の愚行に妙な懐かしさでも覚えてしまったのだろう。


「兄上も飽きないよな。

 繰り返せば敗北に収束すると分かっている、運任せの遊戯に大金をつぎ込むだなんて。

 金をこよなく愛する俺としては、考えただけで身震いがする」


 大袈裟に肩を震わせてみせる彼に、サーシャは思わずくすりと笑う。

 

「そういうことは、あまり大きな声で仰らない方が良いですよ?」


「なぜだ?」


「賭場に通っている大多数の貴族の方に揶揄(やゆ)されるからです。

 勝負すべきときに覚悟も決められない、器の小さな男だと」


 貴族らのあまりに自分本位な考えに、ユリウスはくすくすと笑った。

 その体の動きに合わせて、彼の艶やかな黒髪がさらさらと揺れる。


「なるほど。

 サーシャもそう思っているのか?」


 この問いには少しだけ考えて、サーシャは悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「どうでしょう……少なくとも私には、ここで考えを明確に述べるだけの覚悟を決めることはできない、とだけ申し上げておきましょうか」


 暗に肯定を示す返答に、ユリウスはいよいよ声を上げて笑った。

 サーシャもつられて目を細めながら、彼の前のティーカップにストロベリーティーを注ぎ足す。


 紅茶の温度と甘い香りが、応接室をふわりと包み込むようだった。


「それで、本日はどういったご用向きで?」


 聞くとユリウスはやや困惑気味に小首を傾げる。


「使用人から聞いていないのか?」

 

「確かに取次(とりつぎ)(かた)からは、新事業についての相談があるそうだと聞いていますが……それは、表向きの用件に過ぎないのではありませんか?」


 サーシャが推測を述べると、ユリウスは面白がるように口角を上げた。

 

「へぇ?」


「先ほどレイモンド殿下について、朝までお楽しみかとお尋ねになりましたが、その言い回しは少し不自然です。

 殿下に代わって私が出てきたことに突っ込みたいのでしたら、わざわざ朝までかどうかには触れず、『兄上は()()お楽しみか?』とお聞きになるのが自然でしょう?」


 言うとユリウスは、感心とも呆れともつかない笑みを浮かべる。


「たった一言で不審がられるか」


「恐らくユリウス様は、レイモンド殿下が万が一にもここにいらっしゃらない保証をお求めだったのでしょう。

 しかし新事業の話をするだけでしたら、殿下のお耳に入っても問題はないはずなので、本来の目的はそれではないのだろうと思ったのです」


 そこまで言うと、ユリウスはお手上げだとばかりに肩をすくめ、くつくつと笑った。


「君の前では、迂闊なことは言えないな」


 彼は懐から一通の手紙を取り出し、机の上に置く。

 真紅の蝋で閉じられた白い封筒は、しかし上部が既にペーパーナイフによって開けられていた。


 中に入っていた紙には金糸で繊細な装飾を施されており、送り主の並々ならぬ思いを想像させた。

 

 促されるままにそれに目を通し、サーシャは小さく息を飲む。


――それはレイモンドからリリアという名の男爵令嬢に向けられた、紛うことなき恋文だった。


 思わず顔を顰めそうになりつつも読み進めた果てに添えられていたのは、なおも目を疑う内容だった。


『君がデビュタントを済ませたら、すぐにでも婚約しよう。

 サーシャとの婚約を破棄するのに、どんな理由をでっち上げてやろうか。

 あの小うるさい女が絶望する姿を拝めるのが、今から楽しみだ』


「……」


 言葉を失ったサーシャは、しばし呆然と紙面を見つめる。

 部屋の空気が急激に冷えたような心地がして、肩がぶるりと震えた。


 全く寝耳に水だった。

 

 今年のデビュタントパーティーは既に、一か月後に迫っている。

 この手紙で言っていることが本気ならば、それまでにサーシャとの婚約破棄を済ませなければならない。

 なのに現時点で当事者のサーシャが何も知らされていないということは、レイモンドはろくな手段で婚約破棄をするつもりがないということだ。

 

「サーシャ……?」


 ユリウスが困惑気味な声を上げたところで、サーシャはようやく我に返り、淑女としてはやや拙速に顔を上げた。

 目の前で彼の空色の双眸が、驚きを露わに大きく見開かれていた。


「……もしかして、兄上の不貞に気づいていなかったのか?」


「……」


 無言の肯定をすると、ユリウスは少し気まずそうな顔をした。


「……悪い。

 だが、君ほどの洞察力を備えた人間が……」


――兄上の不貞に全く気付かないなんて、信じられない。


 恐らくはそう言おうとして、しかし失礼にあたると思い直したのか、ユリウスは口を閉ざした。


 実際、そう思われるのも無理はなかった。

 レイモンドはそのような重大な秘密を隠し通せるほど賢くはないし、演技が得意でもない。

 これまで彼が不自然な行動に出たことは一度や二度ではなかったはずなのに、サーシャの目は何一つ捉えられなかったのだ。

 

 サーシャはレイモンドにとっくに愛想を尽かしていたから、無意識下でも彼について極力考えないようにしていたのだろうか。

 

……あるいは、いかなレイモンドでもサーシャを裏切らないだけの心は持っているのだと、心の奥底では信じていたかったのだろうか。


「君が兄上を愛したことなんて、一度としてないぞ」


 サーシャの心を読んだかのように、ユリウスはそんなことを言った。

 それを断言できる理由が分からず、サーシャは首を傾げる。


「どうして……」


 聞くとユリウスは、待ってましたとばかりに偽悪的な笑みを浮かべた。


「その方が俺にとって、都合が良い」


「え?」


 意味が理解できなかったサーシャに、ユリウスは机の上に置かれたままだった手紙を掲げてみせた。


「サーシャが少しでも兄上を慕っていたのなら、俺はサーシャに同情しなきゃならなくなる。

 逆にそうでなかったのなら同情の必要はなくなって――この手紙を渡す代わりに、君から金が取れる」


「あー……」


 なるほどと思った。

 ユリウスは元より、この手紙でサーシャを相手にひと稼ぎするつもりだったのだ。

 

 婚約破棄に際してレイモンドを確実に有責にするには、その不貞を証明できるものが必要になる。

 レイモンドの見慣れた筆致で書かれたこの手紙ならば、その役割を十全に果たせる。


……とはいえ利益だけを求めての発言ではなかったことは、サーシャにも分かっていた。

 

「ちなみに兄上の裏切りを知っている貴族は、多分俺だけじゃないぞ。

 動くなら急いだ方が良い」


「え……?」


「そもそもこの手紙を拾ってきたのは、俺じゃなくて兄上の側近なんだ。

 そいつはついさっき、秘密裏に俺を呼び出してこの手紙を見せてきた。

 そしてこの手紙を賭けた、コイントスの勝負を持ちかけてきたんだ」


 言ってユリウスは内ポケットから、銀色のコインを取り出した。

 シャンデリアの黄色い光を反射して、それは妖しく光る。


「……賭け事はお嫌いだったのでは?」


「ああ、嫌いだな。

 だから賭け事はしていない」


「……では、どのようにしてお手紙を?」


 サーシャが小首を傾げると、ユリウスは口の端を僅かに上げた。

 

「そもそも俺が賭け事を嫌っていることは、兄上の側近だって知っていただろう?

 それなのに彼は、よりによって俺に話を持ち掛けてきた」


「……ということは、そのころには既に他の方々を呼び尽くしていたのですね」


 レイモンドの裏切りを知る貴族がユリウスだけではないというのは、そういうことだったのだ。


「ああ。

 だがそれは兄上の側近が俺に声を掛けるまでに、無数の貴族を相手に賭け事で無敗だったことを意味してしまう。

 なにせ手紙は間違いなく、まだ彼の手元にあったんだからな」


「それは……少し信じがたいですね。

 お手紙が複数あったとも考えられません。

 それなら最初にお手紙を手に入れた貴族がとっくにそれを政治的に利用しているはずで、内容が未だに私の耳に入っていないのはおかしいですから」


「兄上の失脚で最も得をする、俺の耳に入っていないのもおかしかった。

 価値ある手紙を、コイントスなんて戦略性に乏しい賭け事に使ってしまうのには、少なからず心理的な抵抗があるようにも思われる。

 何より、この手紙に莫大な金額を払ってくれそうな人間が身近にいる」


「私のことですね」


 ユリウスは頷いた。

 サーシャは再度、ユリウスの手元に目を下ろす。

 

「そのコイン、少し見せていただけますか?」


 渡された銀色のコインは、やはり通常のものより少しだけ分厚かった。

 指の腹で軽く擦ってみると、ちょうど真ん中で二枚のコインに分かれた。


 一枚目にはコインの両面に表のデザインが彫られており、二枚目には同じく両面に、裏のデザインが彫られている。

 どちらかを手の中などに隠し持っておけば、結果を自由に操れる。

 

 れっきとした、イカサマ用の偽貨(ぎか)である。


「イカサマを暴いたら、動揺した兄上の側近はその場にこのコインも手紙も置いていってしまった。

 まあイカサマがバレたら問答無用で負けだからな、手紙はありがたく貰っていくことにしたよ」


 そう種明かしをしたユリウスに、サーシャはなるほどと言ってコインを返した。

 

 長らく置いたままにしていたストロベリーティーに口をつける。

 とっくに冷めてしまっていた液体が、口の中に苦みを残した。


 しばし目を閉じて考えをまとめた後で、ゆっくりと口を開く。


「ご忠告いただきありがとうございます、ユリウス様。

――ですがこのお手紙は、私には不要です」


 告げるとユリウスは、一瞬サーシャの言葉が理解できなかったらしく、目を瞬かせた。


「……え?」


「そのお手紙が使えるのは、レイモンド殿下に非を認めさせる意図があるときだけです」


「ないのか……?」


 信じられないという顔をするユリウスに向け、サーシャは貼り付けた笑みを浮かべる。


「あるはずがないでしょう。

 そんなことをすれば、怒った殿下に宮廷を追放されてしまうかもしれないではありませんか。

 そうしたら誰が、国庫の管理を担うのです?

 誰が臣民の豊かな生活のために、富の再分配を行うのです?」


「……兄上との婚約を破棄すれば、君が為政者としての責任を問われることはなくなるだろう」


「関係ありません。

 少なくとも私には、レイモンド殿下を導ききれなかった責任があります」


「……俺はそうは思わないし、法にもそんな責任は明記されていない。

 明記されているのは、王位継承順位が一位の者が王位に不適格と見なされた場合、その位が二位の者に移るということだけだ」


「……」


 そんなことはサーシャだって知っている。

 

 レイモンドにはまだ子がいないため、現在王位継承順位が二位なのはその弟の、ここにいるユリウスである。


 元よりほとんどの王族が賭け事に興じて政務を疎かにしていたところに、レイモンドとサーシャが婚約破棄騒動なんかを起こしてしまえば、宮廷は大混乱に陥るに違いない。

 その尻ぬぐいを、宮廷を出て久しいユリウスに押し付けることが、サーシャには心苦しかったのである。


 サーシャが黙り込む中、ユリウスは機嫌の良ささえ見せながら話し続けた。


「君は十年もこの城に居座ったんだ。

 そろそろ立場を譲ってくれたって良いだろう?」


「……その、お譲りするにしても、もう少し良い状態で……」


 言うとユリウスは目を細めて笑った。


「サーシャにしては非効率的な考え方だな。

 兄上に足を引っ張られているサーシャが粘るより、俺が代わった方が良いに決まっているじゃないか」


 ユリウスはどこまでも正しかった。

 サーシャが俯いている間、彼は辛抱強く返答を待つ。


 彼女がようやく口を開いたのは、侍女が二杯目の紅茶を運んできた後だった。


「……実は私、甘い物に目がないんです。

 自分で作るのにも興味があったのですが、これまで時間が取れなくて、挑戦できませんでした」


「そうか」


 いつもより少しだけ優しい声音で、ユリウスは相槌を打つ。

 そんな彼にサーシャは、ぎこちなさの残る笑みを向けた。


「いつかここに、とびっきりのケーキをお持ちしますね」


 言うとユリウスも困ったような笑みを返したのち、ややわざとらしく話を戻す。


「というわけで、手紙の代金についてだが……」


「ふふっ、一貫して容赦がありませんね。

 ですがあいにく、お手紙は依然として不要です」


「……え?」


 首を傾げるユリウスに、サーシャは悪だくみをする顔を向ける。

 それは彼女が初めて見せるたぐいの表情だったが、それでも本来の人格はこちらだったのかもしれないと思わせるほどに、蠱惑的で魅力的なものだった。


「大金でそのお手紙を買い取らずとも、殿下の浮気の証拠を調達すると同時に、がっぽり稼ぐ方法を思いつきました」


「……へぇ?」


 ユリウスは興味深げに目を細める。


「賭場において、唯一確実に稼げる存在になるのです」


「唯一稼げる存在?」


 サーシャは口元に弧を描いた。


「賭け事を取り仕切る者――胴元です」


 

 ◇

 


 レイモンドとリリアがあんぐりと口を開ける中、サーシャは優雅に舞踏スペースの中心に移動した。

 

 彼女がこれから行うことは、レイモンドとリリアを除く大半の貴族が事前に知らされている。

 彼らは今か今かと待ちわびる様子で、サーシャをじっと見つめた。


 そんな期待に応えてサーシャは、よく通る声で司会の進行をする。


「まずは婚約破棄の宣言場所を『デビュタントパーティー中』」に賭けていらした方々に、心より祝福申し上げます。

 倍率はなんと、五倍強でした!

 見事当てられた方々に、大きな拍手をお送りください!」


 わっと湧き上がる場内を、サーシャはニコニコと見回す。


 そう。

 サーシャは自らの婚約破棄劇をダシに、特設の賭場を取り仕切ることにしたのだ。

 

 一度しかできない特別感と、全員参加が可能であることによる盛り上がり。

 それらはいずれも従来の賭場にはなかったもので、賭け事にハマるあらゆる貴族に対して最高の撒き餌となった。


 サーシャは集まった賭け金の一部を参加料として徴収することができるため、参加者が増えれば増えるほど稼げる。


――しかしこれがサーシャに与える恩恵は、お金だけではない。


「『デビュタントパーティー中』に賭けていらした方の中に、明確な理由をお持ちの方はいらっしゃいますか?

 この場の全員のためにご教授くだされば、追加で賞金をお渡しします!」


 そう言うと、見事に三人もの貴族がサーシャの元に躍り出てきた。

 プライドの高い貴族が自らの能力を大々的に誇示するチャンスを逃すなんてこと、あるはずがないのである。


 想定通りの展開であることはおくびにも出さず、サーシャは目を大きく見開いてみせた。

 

「まあ、本当にいらっしゃったのですね!

 さすがは我が国を代表する貴族の皆様、情報収集能力も一級品ということでしょうか。

 それでは右端の、アビントン伯爵からよろしくお願いいたします!」


 名を呼ばれたアビントン伯爵は大きな腹を揺らしながら、リリアの方を顎で指した。

 見下すような扱いなのは、リリアの実家の方が爵位が低いからである。


「そちらのリリア嬢の実家であるモンレーヴ男爵家が、何やらバタバタした様子でしてね。

 働いていた使用人に詳しい話を聞いてみると、どうやらデビュタントパーティーの翌日にリリア嬢の引っ越しが決まったそうで」


 レイモンドとリリアが以前から不貞行為をしていたことを示唆する発言に、会場はにわかにざわついた。

 アビントン伯爵は満足げに鼻を鳴らす。

 

「もちろんタダで手に入った情報ではありませんが……それがもたらす勝ち金と比べれば、些細なものになると踏んだのです。

 結果は大正解でしたね」


「なるほど……信頼の置ける使用人を見分けるのは、どの時世においても骨が折れますものね。

 モンレーヴ男爵家は、これを機に雇用の見直しを行ってみても良いかもしれませんね」

 

 言ってサーシャはにこりと微笑む。


 こういった証言を多くの貴族から得ることこそが、サーシャの第二の目的だった。

 

 証言者本人が自らの情報を信じて大金を賭けたこと自体が、証言の説得力となる。

 様々な貴族から、様々な場面に関する証言が積み重なることで、レイモンドとリリアの行いは無視できないものになっていく。


「お、おい、貴様ら!

 何を考えてるんだ!? 不敬罪だぞ!」


 自らが激しく追い込まれていることに、ようやく気づいたらしいレイモンドが怒鳴り散らした。


 しかし彼の不機嫌に怯む者はいない。


 この賭け事に参加した全ての貴族が仲間であること、そしてこれを機にレイモンドの王太子としての影響力が大きく弱まるであろうことが、共通認識となっていたからである。


「なっ、無視をするなッ!

 私に逆らう者は全員――」


「――やめてください、レイモンド様!」


 怒りで我を失いかけていたレイモンドを止めたのは、他でもないリリアだった。

 彼女はレイモンドとは異なり、社交界で生き抜く愛想と狡猾さを兼ね備えている。


 リリアはレイモンドの元に駆け寄り、しかし手を触れる愚は犯さず、上目遣いになって口を開いた。


「そんな怖いお顔をなさらないでください。

 しっかりお話すれば、きっとサーシャ様にもご納得いただけますわ。

 私たち三人だけで、もう少し落ち着いた場所に移りましょう?」

 

「っ、そ、そうだな……」


 リリアの言うことを素直に聞いたレイモンドがサーシャに向き直った瞬間、レイモンドとよく似ていながらもずっと楽しげな声が響いた。


「――みんなの前で話をすることの何が問題なんだ?

 王太子のくせして緊張しいなのか?

 ……まさか(やま)しいことがあるわけじゃあるまいし、なぁ?」


 そう分かりやすく煽ったのは、大きな革製のケースを持ったユリウスだった。

 たった今会場外から持ち込んできたらしいケースは重そうで、置かれた机が軽く(きし)んだ。


 レイモンドは口をぱくぱくさせるだけで、何も言い返せないでいる。

 そんな彼にユリウスは見向きもせず、ケースのロックを開けた。


 中に入っていたのは、無数の札束と小切手帳だった。


 ユリウスはサーシャの頼みで、この催し物の運営を担っている。

 賭け事の仕様上事前のベットが必要となったため、参加者それぞれのベット内容の記録と管理、それに情報統制をしてくれていた。


 そして本番である今夜はサーシャが司会をする間、結果の処理全般をしてくれることになっている。

 

 この世の何よりもお金を愛する二人なので、儲けの配分については揉めに揉めた。

 

 しかし結果的にサーシャは協力者に彼を選んでおいて、本当に良かったと思っている。


 自分に大勢の視線が集まったままだと気づいたユリウスは、ケースに入っていた金に手を添えた。


「これは、君たち貴族から事前に集めていた金の一部だ。

 額が額だから、基本的には小切手で清算するが……勝ち金を今夜すぐに使いたい人間もいるだろう?」


 この特設の賭場で買った分を元手に、さらに通常の賭場で楽しむということである。

 

 賭け事を嫌うユリウスらしからぬ気の利いた行動に、貴族たちは色めき立った。

 この後の楽しみに直結していると思うと、賭け事のスリル感も大きく増すというものである。


 妥協を許さないユリウスの行動に、サーシャは感心とも呆れともつかない笑みを浮かべた。


 実は今夜の催し物を準備する過程においても、ユリウスの細やかな部分における抜かりのなさが活かされた場面は少なくなかった。

 こういった視野の広さは、サーシャにはないものだった。


 こっそりとサーシャに向けられた微笑みは、どことなく得意げだった。

 それを見たサーシャは肩の力が抜けるような心地がして、思わずくすりと笑い返す。


 その後しばらく、一方的な展開が続いた。


 問われたのは、レイモンドがサーシャと婚約破棄をしようとしている理由。

 リリアと浮気をしていないと言うのであれば、相応のものが必要だった。

 それも賭けの対象となっていたことは、言うまでもない。


――曰く、リリアを一度としてお茶会に招待しない性根の腐りように辟易していた。

 しかしビュトール子爵の娘が、リリアの「あの女からの招待状は全部、ビリビリに破いて捨てている」という発言を聞いていた。


――曰く、レイモンドが賭け事のために、サーシャの個人資産に手をつけたというデタラメを広めた。

 しかしオベール侯爵令息が、その噂の発信源が他でもないリリアであったことを突き止めていた。

……なお、実際に手をつけようとはしたもののサーシャにバレて断念したことは、サーシャだけが知っている。


 リリアは罰が悪そうに目を逸らし、レイモンドは顔を青ざめさせる。

 レイモンドは震え声になって言う。


「じゃ、じゃあ三か月前、お前がリリアを階段から突き落としたことについてはどうだ!?

 あの時の怪我は、主治医も見ているはずだ!」


「……」


 これは初耳だった。

 サーシャは一瞬返答に困る。

 

 この催し物の開催を周知したのは、わずか一か月前のこと。

 それ以降はみな精力的に証拠集めを行っていたはずだが、三か月前の話となると、情報が出てこない可能性があった。


「――あれはただ、リリア様が足を踏み外しただけでしたよ」

 

 しかしサーシャが対応を決めきる前に、一人の小柄な少女が容赦のない言葉を突きつけた。

 彼女はなんと、メイド服を着ていた。

 

 突然のことにサーシャが声を出せずにいると、ユリウスだけが事情を知る様子で手を叩いた。


「素晴らしい。

 時期まで正確に当てたのは君だけだったよ、キャロル」

 

 褒められて溌剌とした笑みを浮かべたキャロルを、サーシャはなおも呆気に取られたまま見つめた。


 サーシャはこの催し物において、賭け金の下限をかなり高めに設定していた。

 参加の心理的ハードルを上げることで、これ以上賭け事にハマる人が出ないよう配慮したのである。


 一介のメイドに、この催し物に参加できるだけの財力があったとは到底思えなかった。


 キャロルの高めではっきりした声が、会場でよく響いた。


「私はリリア様が階段から落ちられたとき、ちょうど階段の下を歩いていたので間違いありません。

 一か月前、ユリウス様から婚約破棄の理由が賭けの対象となることを聞いたとき、それ以降のお二人の動きは多くの貴族に注視されることになるだろうと思いました。

 そしてこの場で追い詰められれば、いずれはお二人のでっち上げも尽きることでしょう。

 そうなった時にお二人が考えるのは、ずっと過去の偶然に頼ることだろうと考えたのです」


 ただのメイドだとは思えない冷静さと聡明さに、一同は息を飲んだ。

 サーシャが恐る恐る口を開く。


「その、失礼ながら、元手はどこから……?」


 賭け金の調達方法を問うと、キャロルは不思議そうにこてりと頭を傾けた。


「サーシャ様はご存じではなかったのですか?

 ユリウス様が貸してくださったのですよ。

 その場で賭ける理由を言えるのなら、勝ち金は私のものにして良いのだと」


「……」


 目を瞬かせるサーシャに、キャロルは可愛らしく微笑みかける。


「『勝つことが分かっている時点でこれは、賭け事ではなく予定調和だ』と仰っていたのが印象的でした」


 サーシャは無言になって、ユリウスの方を見る。

 勝手に契約外の行動に出ていた彼はにこりと、軽い笑みを浮かべるだけだった。


 そんな彼にサーシャはじとりとした目を向けるが、この場で問いただすわけにもいかない。

 彼女は気を取り直して口を開いた。


「レイモンド殿下とリリア様に、言いたいことはもうないようですので、これより最後の賭けに移ります。

――対象は、『レイモンド殿下が不貞を犯していたか否か』です」


 

 ◇



 デビュタントパーティーは大幅な延長の末に終わりを迎え、貴族らは既に賭場に移って夜の続きを楽しんでいた。

 そこに行けなかったのはレイモンドとリリアだけで、二人は王室で国王夫妻と共に、今後について話し合っている。


 彼らは大勢の有力貴族の間で大恥を晒してしまった。

 レイモンドの王位継承権は維持されないだろうし、男爵令嬢に過ぎないリリアにいたっては社交界に残ることすら絶望的だろう。

 

 ちなみにサーシャとユリウスも来るように言われていたが、催し物の後始末が終わるまで待ってもらうことにしていた。

 

 急ごしらえの催し物が上手くいき、ユリウスはホクホク顔である。

  

「いやぁ、想像以上の大成功だったな。

 君の突飛な考えに乗っかっておいて本当に良かったよ、サーシャ」


 喋りながらも彼は、小切手に次々と数字を書き込んでいく。

 隣で見ていたサーシャはふと違和感を覚えてから、全てが暗算で行われていることに気づいた。


……集まった全額から胴元が受け取る比率分を引いて、それを予想が的中した人の数で割ったものを全ベット対象について足し合わせるのが、一番簡単なパターンのときで……時期や的中度を勘定に入れる場合は……それに一部現金で渡した人もいて……


 サーシャは立式を諦めた。


 そんなことより、聞かなければならないことがあったのだと思い出す。

 

「ユリウス様、使用人に賭け金を配られましたね?

 そんな話は聞いていなかったのですが」


「ん? あー、言ってないからな。

 あれは俺の趣味だから、サーシャに関わらせる必要はないと思ったんだ」


 ユリウスは小切手帳に目を落としたまま、そう事もなげに言った。


「……先ほどキャロルから詳細を聞きましたが、勝てば勝ち金は当人のものになり、元手分は回収。

 負ければ元手分の回収はしない、という約束だったそうですね」


「そりゃ身分の低い人間に、俺の都合で多額の借金を背負わせるわけにはいかないからな」

 

「ベットの理由を言わせていたとはいえ、全員が見事当てたわけではありませんよね?

 勝ち金を全て手放したならば、収支はマイナスのはずです」


「さっきも言ったように、あれは俺の趣味でやったことだ。

 趣味には金がかかるものだろう?」


「……リリア様らの嘘を暴きたかったのは私側の都合であり、お金が稼げれば良かったユリウス様には関係がありませんでした」


 そこまで言うとユリウスはついに筆を置き、彼女の方を向いた。

 彼の澄んだ青色の双眸が、シャンデリアに照らされてきらきらと光る。


「俺は普段守銭奴な代わりに、才ある者に投資をするのが好きなんだ。

 今回の催し物をダシに王宮の使用人に会って回って、俺の話に対する反応を色々と見ることができた。

 リスクがないと言っても大金に怯えて受け取らない慎重な人間もいたし、金を借りパクする機会を虎視眈々と狙う強欲な人間もいた。

 そして中には、光るものを見せる人間もいた。

 キャロルなんかはその最たる例だな。

 好条件で引き抜くことすら検討している」


 彼の言ったことは、真実であるように思えた。

……しかし同時に、それが入念に準備された説明であったようにも感じられた。


「仮にただの趣味だったとしても、それにより私が助かったことは事実です。

 マイナス分は、私が負担します」


「気にするなって」


「気になります」


 しばし無言で見つめ合ったのちに、サーシャが引かないことを悟ったユリウスが先に口を開いた。


「じゃあ……金の代わりに、俺と一度ゲームをするっていうのはどうだ?」


「ゲーム、ですか?」


「ああ」


 突然の提案に困惑しながら、サーシャはちらりと小切手帳に目を落とす。

 この短時間で、必要な処理の大半が終わっていた。


「……私では、あなたと良い勝負ができるとすればポーカーくらいかと思われますが……」


「いや、やるのはもっと単純なゲームだよ」


 言ってユリウスは、懐からコインを一枚取り出した。

 否応なく、一か月前のやり取りが思い出される。

 

「コイントス、ですか?」


「ああ。

 俺がこれを投げて、君が表裏を当てられたら、今夜の儲けの全額が君のものになる」


「え……」


 とんでもない金額を賭けたゲームに参加させられそうになっていると知り、サーシャは戦慄した。

 

 この催し物にはお互い、多大な労力をかけてきている。

 それをこの場でゼロにするリスクを負うなんて、賭け事嫌いを公言しておいて正気の沙汰ではない。

 

 なぜサーシャがそんなものに乗ると思ったのか問いただそうとしたが、その前にユリウスが続きの条件を述べた。

 それは、サーシャが想像していた内容とは大きく異なっていた。


「――そして、君が表裏を当てられなかったら、君の残りの人生が俺のものになる」

 

「……」


 サーシャは無言のまま、ゆっくりと目を瞬かせた。

 耳のあたりがじわりと熱くなるのを感じる。

 

 驚きを隠せない彼女に、ユリウスは小さく微笑んだ。


 彼はサーシャの前に、コインを掲げて見せる。

 そこには豪奢な孔雀の姿が彫られていた。


「こっちが表」


 そしてそのコインを、器用に片手で裏返した。

 見えたのは、同じ孔雀のデザインだった。


「こっち()表」


 それはまさしく、レイモンドの側近がユリウスの元に置いていった、イカサマ用の偽貨だった。


 つまりコインは、絶対に表向きになるということ。

 やはりユリウスに、賭け事などする気はなかった。


 本物よりも少しだけ薄いそのコインが、くるくると回転しながら高く舞った。

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― 新着の感想 ―
どんなに気があっても、人生の大事にイカサマに頼ったり、神頼みで、保身に回る求婚しか出来ねえ男は、ノーセンキューですな! 血筋をしっかり感じまするな。 良き漢に巡り合う未来を祈祷させて頂きまする。
粋なコイントスですね♪ とても面白かったです。 参加費の貸し付けが気になりましたが、そこにも粋な計らいが… この腹黒め!w
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