表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/1

1

 鏡に映っているのは、今にも死にそうな顔をした美少女だった。


 色素の薄いプラチナブロンドは手入れが行き届いておらず、幽霊のようにボサボサ。肌は陶器のように白いが、目の下には深いクマが刻まれている。


 名前は、エスペリア・フォン・リヒトーホーフェン。


 由緒ある貧乏伯爵家の長女であり、そして中身は――日本の女子高生、有沢かなえである。


「……はぁ。非効率だわ」


 私はため息をつきながら、夜会のためのドレス(母のお下がりを無理やり仕立て直した時代遅れ品)に袖を通していた。


 前世の私は、教室の隅で分厚い専門書を読みふける目立たない生徒だった。愛読書はミルトン・フリードマンとサルトル、そして第一次大戦の戦史。


 キラキラした青春?

 そんなものは「幻想」だ。



 人間は「対話」によって分かり合える?

 ハーバーマスの『コミュニケーション的行為の理論』なんて、私に言わせればお花畑の戯言に過ぎない。


 歴史を見れば明らかだ。

 人間を動かすのは高尚な理想や言葉ではなく、「インセンティブ(損得勘定)」と「暴力装置」、そして「実存(具体的な行動)」のみ。


 そんなガチガチの思想を持ったまま、私は事故に遭い、気がつけば剣と魔法のファンタジー世界に転生していた。


 ……まあ、転生したところで私の陰気な性格が変わるわけでもなく。


 今日も今日とて、生産性の欠片もない「夜会」という名の社交戦場へ赴くのだ。


          ◇


 王宮のホールは、吐き気がするほど「非生産的」な空間だった。


 着飾った貴族たちが、意味のないお世辞を言い合い、腹の探り合いをしている。


 私は壁の花となり、グラスの中の果実水をちびちびと舐めながら、死んだ魚のような目で会場を見渡していた。


(あそこの太った男爵、領地の収益率が悪そう。既得権益にしがみついてイノベーションを阻害するタイプね。……向こうの騎士団長は、筋肉への投資は十分だけど、戦略的リテラシーが低そうだわ)


 脳内で辛辣なコメントを連発して時間を潰していると、ふと、視線を感じた。


 会場の中心。煌びやかな令嬢たちの輪の中に、彼はいた。


 この国の第二王子、アイローン殿下。


 金髪碧眼、絵に描いたような王子様。

 周囲に振りまく笑顔は完璧で、慈愛に満ちているように見える。


 ――あれ?


 完璧な笑顔だ。

 でも、よく見ると……グラスを持つ彼の指先が、わずかにリズムを刻んでいる。


 トントントン、と。

 一定のテンポで、微かに。


 それは、どうでもいい話を聞かされて貧乏揺すりを必死に我慢している時の、私の癖と同じだった。


 気になって顔をよく観察してみる。


 その碧眼は、目の前で愛想を振りまく公爵令嬢を映しているようで、実はどこも見ていない。焦点が死んでいる。


(……まさか)


 彼もまた、この不毛な空間にうんざりしている?

 周囲の媚びへつらいに愛想を尽かし、それでも立場上逃げ出すこともできず、心を殺して立っているのでは?


 勝手な憶測かもしれない。

 ただの私の願望かもしれない。


 でも、その虚無を宿した瞳と目が合った瞬間、私は直感してしまった。「同志だ」と。


 すると、アイローン殿下は令嬢たちの包囲網を優雅にかわし、なぜか真っ直ぐ私の方へと歩いてきたではないか。


「……まるで自分自身の葬列を見送るような顔をしているね」


 開口一番、なんて挨拶だ。

 だが、その声色はどこか楽しげだった。自分と同じ種類の人間を見つけた、共犯者のような響き。


「失礼いたしました、殿下。あまりに会場の空気コストパフォーマンスが悪かったものですから」


「ふっ、正直だね。僕も同感だよ。この国の貴族たちは、口を開けば『伝統』だの『名誉』だの……実のない話ばかりで辟易していたところだ」


 殿下は私の隣に立ち、会場を見下ろすように呟いた。

 噂には聞いていたが、相当な切れ者らしい。そして、皮肉アイロニーをもじったその名の通り、相当性格が悪い。


 彼はふと、私の顔を覗き込んだ。


「君の父上から聞いたよ。部屋に引きこもり、難解な書物を読み漁っている『変わり者』だと。……どうだろう、その独特な視点で、今の戦況を分析してみてくれないか?」


「戦況、ですか?」


「ああ。国境付近の小競り合いだ。将軍たちは『正々堂々と会戦を行い、騎士の誇りを見せつけるべき』と息巻いているのだが……」


 出た。騎士道精神。


 私の大嫌いな言葉ランキング上位入賞単語だ。

 美しい言葉で死地へ送られる兵士たちのコストを、彼らは計算したことがあるのか?


 気がつけば、私の口は勝手に動いていた。


「……ナンセンス、です」


「ほう?」


「正面からの会戦など、人的資源ヒューマン・リソースの無駄遣いです。魔法戦が主体の現代戦において、魔力を消費する兵士には大量のカロリー摂取が必要不可欠。つまり、弱点は『兵站サプライチェーン』にあります」


 殿下の目が、キラリと光った。

 しまった、つい専門用語カタカナを使ってしまった。


 慌てて言い直そうとするが、殿下は食い気味に「続けろ」と顎をしゃくる。


「え、ええと……つまり、敵国は今、凶作で食料価格が高騰していると聞きます。ならば、剣を交える必要はありません。国境をわざと開放し、こちらの安価な食料をチラつかせ、敵の民や下級兵士を『難民』として我が国へ誘導するのです」


「難民を、受け入れると?」


「ええ。ですが、ただ養うのではありません。彼らを労働力として農地に縛り付け、増産体制を整えます。一方で、労働力を奪われた敵国は畑を耕すこともできず、来年も飢饉が確定する。食料がなければ、魔法使いは魔力を練ることすらできません」


 私は一息つくと、とどめの一言を放った。


「血を流すのは三流のやることです。経済エコノミーと胃袋を支配すれば、敵は戦う前に自壊します。……それが、最も低コストな勝利かと」


 言い切ってから、血の気が引いた。

 王族に向かって「敵国を飢えさせろ」なんて、悪魔の所業を提案してしまった。

 いくらなんでも非人道的すぎる。これはドン引き確定――。

 恐る恐る顔を上げると。

 アイローン殿下は、震えていた。

 歓喜で、肩を震わせていた。


「……素晴らしい!」


 殿下は私の両手をガシッと握りしめた。その熱っぽい視線に、私の心臓が跳ねる。


「僕はずっと、そういう言葉を待っていたんだ! 名誉だの対話だのという、生産性のないゴミ屑のような概念を捨て去り、純粋に『数字』と『結果』のみで世界を見る目……君こそ、僕が求めていた共犯者だ!」


「え、あ、あの……?」


「君のその目の下のクマは、憂国の証だったのだな。誰にも理解されず、それでも孤独に最適解を模索し続けていた……なんと健気で、美しい姿だろう」


 いや、ただの夜更かしです。ゲームと読書のしすぎです。

 そう否定したいけれど、殿下の顔が近すぎる。イケメンの整った顔立ちが、私のパーソナルスペースを侵食してくる。


「君が必要だ、エスペリア。君のような冷徹なリアリストこそが、僕の覇道には不可欠なんだ」


 ――必要?

 不可欠?

 この私が?

 

 ドクン、と脳内で何かが分泌される音がした。

 承認欲求。陰キャが最も弱く、そして抗えない麻薬。

 

「やってくれるね? 僕の参謀パートナーとして」


 甘い声で囁かれ、頭を撫でられる。

 ああ、ダメだ。思考回路がショートする。

 褒められたい。認められたい。もっと「すごい」って言われたい。


「……はい、殿下。微力ながら……その、えへへ」


 私は、だらしなく緩んだ頬を引きつらせながら、頷いてしまった。

 これが、破滅への(あるいは覇道への)第一歩だとも知らずに。


          ◇


 ――その夜。実家の自室に戻った私は。


「あーーーーーーっ!!!!!」


 枕に顔を埋め、絶叫しながらベッドの上を転がり回っていた。

 ゴロゴロと高速回転し、シーツを海苔巻きのように体に巻きつけながら、私は悶絶する。


「やっちゃったあああ! 何言ってんの私!? 『兵站サプライチェーン』!? 『最も低コストな勝利』!? 何様だよ! 偉そうに!」


 思い出すだけで顔から火が出そうだ。

 あんなの、深夜テンションで書いたポエムを翌朝読み返すのと同じ羞恥プレイじゃないか。


 しかも相手は次期国王候補。不敬罪で首が飛んでも文句は言えない。


「ううう……どうしよう……明日から『冷徹な軍師』として登城しなきゃいけないなんて……無理……私、ただのコミュ障なのに……」


 シーツの簀巻きになった芋虫状態で、私は涙目になる。

 だが、脳裏にはあの時の殿下の言葉が蘇る。


 『君が必要だ』


 『素晴らしい』


「……でも、褒められたんだよなぁ……へへ」


 だらしない笑みが浮かぶ。

 チョロい。

 我ながら絶望的にチョロすぎる。

 自己嫌悪と承認欲求の板挟みになりながら、私は決意した。


 とりあえず、バレなきゃいいのだ。


 私の本性が、ただの褒められたがりな歴史オタクだということがバレないよう、鉄仮面を被り続けるしかない。


 そう、全ては生き残るため(と、また褒めてもらうため)。

 明日から、私は「鉄血の女参謀」を演じきってやる!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ