第8話:奇跡の提案
魔法協会中央塔の上層は、城よりも静かだった。
白い石壁に刻まれた魔法陣が、淡く脈動している。
秩序というより、期待が満ちた空間だ。
姫は一歩遅れて円卓に着いた。
席は用意されている。
だが、主導権は最初からこちらにない。
「お忙しい中、ありがとうございます」
魔法協会代表、エルメディアが深く頭を下げた。
その動作に政治的な計算は感じられない。
――だから厄介。
「前置きは要らないわ」
姫は椅子に背を預け、淡々と言う。
「“提案”があるから、呼んだのでしょう」
エルメディアは一瞬、言葉に詰まったが、すぐ頷いた。
「はい。
削減以降、前線での被害報告が増えています」
「数字は」
「……まだ、確定していません」
姫は視線を落とす。
「“まだ”が続くのは、判断が遅れている証拠よ」
ガイウスが小さく息を吐いた。
否定できない。
「そこで――」
エルメディアが、合図を送る。
円卓中央に、映像魔法が展開された。
焼け落ちかけた村。
押し寄せる魔物。
次の瞬間、光。
一瞬で、すべてが止まる。
魔物は動きを失い、村は無傷のまま残った。
「……成功例です」
研究者たちの顔に、抑えきれない高揚が浮かぶ。
「被害、ゼロ」
誰かが呟いた。
姫は、表情を変えない。
「条件は?」
エルメディアは、資料をめくる。
「特定の魔力配列、触媒、術者の同調率。
揃えば、再現可能です」
「“揃えば”」
姫は言葉をなぞる。
「揃わなかった場合は?」
「……発動しません」
「それだけ?」
エルメディアは、少し間を置いた。
「理論上は」
姫が視線を上げる。
「“理論上”は、死者を埋めない」
空気が冷える。
「奇跡と呼ばれるかもしれませんが――」
エルメディアが続けた瞬間、姫が遮った。
「奇跡は制度に組み込めない」
はっきりとした声だった。
「偶然を前提にする統治は、祈祷と変わらない。
それは政治じゃないわ」
研究者の一人が反論する。
「ですが、成功している!」
「一度ね」
姫は即座に返す。
「一度成功した刃物は、次も切れると思って指を突っ込む?
それは勇気じゃなく、無知よ」
通信魔法が淡く光る。
レオンの顔が映った。
「姫」
少し迷いのある声。
「……現場では、今これが欲しい。
だが聞かせてくれ。
次も、同じことが起きる保証は?」
エルメディアは答えられない。
「条件が同一なら――」
「戦場で条件が同一だったことが、一度でもあるか?」
沈黙。
ガイウスが口を開く。
「失敗した場合の被害規模は?」
研究者たちが視線を交わす。
「……未検証です」
「検証するには?」
若い研究者が、つい口を滑らせた。
「使わなければ、分かりません」
その瞬間、姫の視線が鋭くなる。
「それは研究よ」
静かな声。
「統治じゃない」
エルメディアが一歩踏み出す。
「ですが、時間がないんです。
一度でも救えれば――」
「一度きりの成功は」
姫は立ち上がった。
「次の死を準備する」
円卓を見渡す。
「再現できない救いは、救いじゃない。
それは“選ばれなかった側”を必ず作る」
沈黙が落ちる。
だが、否定は出ない。
否定できないからこそ。
「……殿下」
エルメディアが言った。
「中止命令は、今の権限では――」
姫は答えない。
分かっている。
権限は削られた。
止める力は、もうない。
会議は、結論を出さずに終わった。
姫が部屋を出ると、封印扉の前でノクスが落ち着かなく歩いていた。
「……分かってる」
姫は小さく言う。
「嫌な予感がするのよね」
扉の向こうで、
封印の一つが、わずかに揺れた。
奇跡は、すでに動き始めている。
それが
救いになるのか、
破滅になるのか――
誰にも、再現できなかった。




