第6話:三者会議
小評議室は、静かすぎた。
玉座の間より狭く、作戦室より整っている。
ここでは誰も剣を抜けず、魔法も使えない。
あるのは円卓と、三脚の椅子、それだけだ。
姫は議長席には座らなかった。
円卓の一辺、他の二人と同じ高さに腰を下ろしている。
「……では」
ガイウスが口を開いた。
軍装のまま、兜は脇に置いている。
「本日の会合は、命令体系と現場裁量の齟齬についての意見聴取です。
結論を出す場ではありません」
「便利な前置きね」
姫が即座に言った。
「結論を出さない会議ほど、時間を浪費する儀式はないわ」
「それでも必要です」
レオンが静かに言う。
かつての学院仲間。今は前線を預かる男。
「今回は特に」
ノクスが壁際のクッションで丸まり、尻尾だけを動かした。
完全に猫の態度だ。
「被害ゼロ」という言葉
「まず、被害ゼロ主義について」
ガイウスが視線を姫に向ける。
「これは姫殿下の基本方針です。
民間・軍事を問わず、被害はゼロでなければならない」
「当然でしょう」
姫は即答した。
「被害を許容した瞬間、それは政策じゃなくて賭博になる」
「だが」
レオンが続ける。
「現場では“待てばゼロになる”保証はない。
判断を保留することで、逆に被害が出る場面もある」
「“ある”では曖昧ね」
姫は視線を上げない。
「数字で言いなさい。
感覚は、酔っぱらいの羅針盤と同じ。方向を指したつもりで、壁に突っ込む」
「……姫」
レオンは苦笑した。
「昔より、喩えが痛い」
「昔より、死人が増えたからよ」
部屋が一瞬、重くなる。
ガイウスが割って入った。
「両者とも正しい。
被害ゼロは目標として正しい。
同時に、即応性を失えば守れた命が失われるのも事実です」
姫は指を組む。
「では聞くわ。
“守れた命”を失った責任は、誰が取るの?」
責任の話
「判断した者だ」
レオンが答える。
「前線で見て、決めた人間が背負うべきだ」
「再現性がない」
姫は切り捨てる。
「英雄譚は政策にならない。
人間は失敗する。感情で判断する。疲れる。
制度はそれを前提に作られるべきよ」
「制度は人を守るが」
ガイウスが言った。
「人を動かせない場合もある」
姫が初めて、ガイウスを見る。
「……続けて」
「現場は、制度の“翻訳”を待つ時間がない。
命令が正しくても、届く前に状況が変わる」
「だから私は翻訳を要求している」
姫は言う。
「現場の声を、数字にしなさい。
数字にならない声は、検討できない」
「数字にする間に、人は死ぬ」
レオンの声は低い。
「それは未完成の翻訳だ」
姫は言い返そうとして――
止めた。
ノクスが、あくびをした。
数に乗らない事故
扉が控えめにノックされる。
伝令が一礼した。
「失礼します。
先ほど西区で……軽微な事故が」
「被害は」
三人が同時に聞いた。
「現在、確認中です。
報告に上がるかどうか……微妙な線で」
“数に乗らない”。
その言葉が、部屋に落ちる。
姫は目を閉じた。
「……以上よ」
伝令が去る。
沈黙。
レオンが言った。
「今のが、それだ。
数字に乗らない命」
「まだ命とは限らない」
姫の声は、少しだけ低かった。
「でも、起きた」
ガイウスが静かに言う。
「三人とも、間違っていません。
ただ……足りない」
合意なき着地
姫は深く息を吸う。
「被害ゼロは維持する」
二人は何も言わない。
「ただし、暫定措置を入れる。
条件付き例外。時間制限付き」
レオンが頷く。
「現場裁量を、枠に入れるわけか」
「枠がなければ、裁量は暴走する」
姫は言う。
ガイウスが立ち上がる。
「例外を数字化するフォーマットを、即日作成します」
「急ぎなさい」
姫は立ち上がらない。
「次は、“軽微”では済まない」
会議後
レオンは扉の前で振り返った。
「……変わったな」
姫は答えない。
ノクスが机に飛び乗り、書類の上に寝転がった。
「会議終了」
姫はそう言って、初めて背もたれに体を預けた。
誰も、勝っていない。
誰も、間違っていない。
だからこそ――
次は、必ず壊れる。




