第1話:姫!侵入者です!
紙をめくる音だけが、城の静寂をかろうじて生かしていた。
「次の案件です。西部領の用水路補修費用について——」
「三行で。四行目が出たらあなたの給料から削るわ」
玉座に座るエリシア・リュミエールは、視線を紙から外さない。
「……老朽化が進行。放置すると来年の収穫量が——」 「来年? 希望的観測は占い師に任せなさい。今すぐ回せる予算を探して」
マリアは一切表情を変えず、書類を差し替えた。 机の紅茶は、もう完全に死んでいる。
——バンッ!
「姫!侵入者です!」
エリシアはペンを置いただけだった。
「その声量、敵を呼びたいの? それとも私を殺したいの?」
「し、失礼しました!」
「謝罪は後。報告を先。感情は邪魔」
「侵入者です!」
「だから何」
ようやく視線が上がる。
「種類、位置、被害。余計な修飾語は禁止」
「オーガ一体、ゴブリン一体、スライム一体。内回廊。被害なし」
「編成が学芸会レベルね」
「……は?」
「力任せ、浅知恵、液体。戦略性ゼロ。思いつきで城に来るな」
地図を引き寄せる。
「通路Aを開放。BとCは封鎖。床制御魔法、第三節点解除」
「解除、ですか?」
「ええ。考える筋肉がないなら、滑らせなさい」
マリアが即座に命令を展開する。
オーガは開いた通路を見つけ、疑問を持つ前に走った。
そして盛大に滑り、壁に突っ込んだ。
「はい、一体処理」
「……生存確認します」
「不要。今の衝撃で考える能力は完全に失われたわ」
「次はゴブリンです」
「警報を不規則に」
「理由は?」
「自称頭脳派は、想定外に弱い。試験に出るわよ」
警報が乱れ鳴り、ゴブリンは右往左往し——
自分の罠に落ちた。
「……自滅です」
「知恵を使う前に、自分の足元を見るべきだったわね」
「残りはスライム一体です。玉座の間に——」
「……迷子ね」
ぬるりと這う半透明。
兵が構える。
「下がりなさい。それは今、世界で一番害がない存在よ」
エリシアはスライムを見下ろす。
「城は複雑なの。あなたの知能で入っていい場所じゃない」
地図を床に置く。
「出口はここ。二度と来ないこと。次は処分する余裕がない」
スライムはぷる、と震え、深々と頭を下げた。
「礼はいらない。学習だけしなさい」
「被害報告です。人的被害なし、建物損傷なし」
「当然」
「さすがです、姫」
「感心する暇があったら、防衛計画を三案作り直しなさい。今のは穴だらけ」
静けさが戻る。
マリアが次の書類を差し出す。
「次の案件を」
エリシアは一瞬だけ目を閉じた。
黒猫が机に顎を乗せる。
「……次。休憩は、死んでからでいい」
被害報告。
侵入者三体。被害——城、なし。




