8 違和感
引っ越しって、やっぱり面倒くさい。
とはいえ俺の場合、家電も一新するし、衣服や日用品くらいしか持ってないから、他の人と比べればまだ楽なほう……のはずなんだけど。
面倒くさいって感覚は、物量よりも気持ちの問題なんだよな。
近くの中古車屋で軽バンを買ったり、家電を揃えたりして、バタバタと二週間が過ぎた。
本当なら事前に車の手配くらいはしておきたかったけど、異世界関連で頭がいっぱいだったし、しょうがない。
母屋はまだ完全には改築が終わっていない。
水回りは完了してるけど、畳を交換したり、フローリングに張り替えたりと、まだ手が入る予定だ。
住むには問題ないけどね。
「わん!」
二匹の子犬がまたやってきた。
たぶん、近所の子どもが作ったんだろう。
首輪には『レオン』と『ぽよちゃん』って、可愛い手書きの名札がついている。名前の方向性バラバラだし、きらびやかな首輪だから姉妹っぽいことが予想できる。
どうやら放し飼いされてるみたいで、うちにもよく遊びに来る。
おやつもよくあげたり、なんだか田舎って感じがして楽しい。
犬とは関係ないけど、母屋とは別棟の蔵。
正直、使い道に困っている。
中の掃除も面倒だし、母屋だけで十分に広い。収納にしても、家庭菜園を始めるとはいえ、そこまで物が増える予定もない。
むしろ機能的な物置を別に買った方が、管理しやすい気もする。
それに——古くて、暗くて、ちょっと怖い。
縁側に座って、子犬たちにおやつと水をあげながら、スマホでシロエを呼び出す。
「マスター、どうされましたか」
「現状の報告を聞こうと思ってさ」
「かしこまりました」
シロエによると、村は町にまで成長していて、世界樹も急速に育っているらしい。
大きく広がった葉が、雨や朝露を溜めて湖を作り、それが町の中を流れて川や溜池に分かれているとか。
最終的には、近隣の川に合流させて、海へ流す構想らしい。
アンちゃんは妊娠したそうで、町中が子作りフィーバーらしく……う、うらやましい。
「そうだ、シロエ」
家の中を案内しながら、ある一室に連れていく。
「ここがシロエの部屋だ」
「マスター、それは……意味不明です」
「わかってるよ。でもさ、あったほうが楽しいだろ? ぬいぐるみ飾ったり、部屋をレイアウトしたり。女の子ってそういうの好きじゃん?」
「要らぬ気遣いです」
「だったら命令だ。ここを“素敵な部屋”にしなさい」
「……わかりました」
ヘルメットに覆われて表情は見えないけど、どこか嬉しそうに見えた。
予算と月々のお小遣いを提示すると、爆速でベッドや家具類がショッピングリストに追加されていく。
ノリノリじゃないか、シロエさんや。
「マスター、それはそうと、あの犬たちですが」
「ああ、可愛いだろ? 近所の犬らしいけどさ」
「この子たち、狂犬病の予防接種もワクチンも未実施、マイクロチップも未装着です」
え、そんなことまで分かるの……?
現代に舞い降りたスーパーコンピューターみたい。いや、天使だったな。
「それって、マズいよな……。でも、明らかに可愛がられてるのに……とにかく病院、行こう」
「すでに動物病院へのルートは確保済みです」
仕事が早くてほんと助かる。
車の扉を開けると、子犬たちは自然に乗り込んできた。お行儀の良い子たちだ。
車を走らせること十五分。庭の広い、大きめの一軒家に到着する。
病院……なのか?
不安を感じつつチャイムを鳴らすと、五十代くらいの眼鏡をかけた男性が出てきた。
「どちら様?」
「あ、こちら獣医さんで合ってますか? 近くに越してきた瀬川と申します」
「そうだけど、診てもらいたい動物がいるのか」
うなずいて、車まで来てもらう。
「最初は、放し飼いされてるのかと思ったんですけど……もしかしたら迷い犬かもしれないと思いまして」
「ふむ……。とりあえず裏に車を回してくれ」
裏手に車を回し、招かれて中へ。待合室はないが、診察室らしきスペースへ通される。
機械を使ってマイクロチップの有無を調べるが、反応はなし。
獣医さんが舌打ちした。
「どの辺に住んでるんだ?——ああ、最近越してきたって噂の、あんたか」
田舎って噂が広がるの、やっぱ早いな。
挨拶回りはしたけど、微妙な空気だったし。警戒されるのも分かる。
こんな年齢の独身男が、仕事も開業もなく移住してきたんだから、怪しまれて当然か。
「警察に届け出も必要だし、少し付き合ってくれ。あとは、俺の方でも調べてみる」
「わかりました。お願いします」
お金はこっちが払うと言ったが、確認が済むまで不要だと押し問答。
それでも強引に払わせてもらった。ここまでしてもらって、無銭はさすがに気が引けた。
二匹は預かってもらえることになり、駐在さんが訪ねてきて、住所など必要事項を記載。
それが済んで、ようやく帰宅した。
まさか、こんな展開になるなんて思ってなかったな。
たぶん——子どもが隠れて世話してたんだろう。
そういえば、蔵の扉にぶつけたような跡があった。もしかして、あの辺が遊び場になってたとか?
そう思い、草むらや蔵の周辺を歩いてみると……それらしい痕跡が見つかった。
くたびれた座布団。お手製の段ボールハウス。
そのとき——
「レオンをどこに隠したの!!」
鋭い声が飛んできた。
振り向くと、ポニーテールの少女がこちらを睨みつけていた。
その影に、そっくりな顔をしたショートカットの女の子が隠れている。
……姉妹か?
やばい、これは完全に“事案”の空気……!
落ち着け、俺。冷静に、大人の対応を——!