6 寒村の決戦
部屋に戻ると、目を疑う光景が広がった。
シロエが、俺のスマホを——食べた。
いや、比喩でもなんでもない。
本当に、目の前でスマホを口に含んで、そのままゴクリと飲み込んだのだ。
「解析、完了しました」
そう言って、彼女の手のひらからヌルリと、まるで芽が伸びるようにスマホが現れる。
それを受け取って操作してみると、中のデータやアプリは以前のまま。
俺のスマホそのものだった。
「銀行関連の決済や移動は、私が直接対応します」
どこか得意げな様子のシロエが、いつにも増して頼もしく見えた。
この子、本当に天使か何かなんじゃないか? まぁ天使なんだけどさ。
——と思ったのも束の間。
銀行の残高を確認すると、一億五千万が消えていた。
しばらく固まったあと、深呼吸。
これからの異世界運営のために、ある程度は任せると決めていたじゃないか……と自分に言い聞かせる。
四千万はプラス、保険として任せることになっている。
残金は、二億四千万。
ここから家の購入費として、さらに一千万が引かれる予定だ。
たった数週間で、七億が半分以下になるなんて。
それでも俺は——やると決めたのだ。異世界とシロエを本気で救うって。
不動産屋とのやり取りはオンラインで進め、リフォーム業者にも連絡を取って見積もりを出してもらう。
家の中身も少しずつ整え、生活の準備を整えながら……気がつけば、十日が経っていた。
異世界換算で百日。
つまり、三ヶ月が過ぎている。
シロエからは、「タイミングが来たらアラートを上げる」と聞いていた。
しかし、それ以降、何の音沙汰もなかった。
そして今日も、何もないまま日が暮れようとしていた。
ぼんやりテレビを眺めていた、そのときだった。
「マスター」
「……って、うわぁあああああああ」
テレビの画面から、突然シロエが飛び出してきた。
反射的にソファの背もたれにのけぞる俺。
まじで心臓止まるかと思った……!
「良きタイミングがやってきました。一緒に来ていただけますか?」
何食わぬ顔でそう言う彼女に、絶対にテレビから出てくるの演出だっただろう、と心の中でツッコミつつも頷く。
「ああ、行こう」
異世界へと転移した俺の目に飛び込んできたのは、
あの犬耳の少女・アンと、人族の青年・ルイス。
彼らはそれぞれの若者グループを率い、森の開けた空間に集まっていた。
敵対しているかと思いきや、案外穏やかな空気が流れている。
「逢瀬、続いてるんだな……」
シロエの報告書を覗き込むと、恋人同士の交際状況から夜の進展具合まで、ありとあらゆる詳細が記録されていた。
「羨まけしからん!!」
と、思わず声が漏れる。
「まもなく、接敵するはずです」
それを皮切りに、十三体のゴブリンが森の影から現れた。
迎え撃つは、ルイスたち八人。
不利かと思ったその瞬間、彼らの動きが一変する。
俊敏で無駄のない動き。
連携された攻撃。
ゴブリンたちは、あっという間に殲滅された。
「彼ら思った以上に強いじゃないか」
感心して眺めていた俺とは違い、ルイスくん達はどこか焦っている。
「数が多い、巣があるのかもしれません。調査しましょう」
彼らの動きに合わせてシロエがマップを表示してくれたが、そこには赤い点が大量に表示されていた。
少し進んだところで大量のモンスターが集まっている光景を眺めて八人が固まる。
「スタンピードだ……」
ルイスくんが呟いた声は、まるで呪いの言葉のように重く響いた。
「急いで村に戻るぞ!」
その号令とともに、仲間たちが疾走する。
人間離れした速さで、木々の間を縫って駆け抜ける。
俺たちは神様機能で浮遊しながらそれを追う。
村に着くなり、彼らは住民たちに危機を伝えて回る。
ルイスくんと親父さんは一悶着あり、最終的にはボコボコにして老害っぽれんちゅう? を力でルイスくんが納得させていた。
種族間の壁を越え、村全体が動き出す。
少しして、アンとルイスが村の中央で並び立ち、周りには村の住民がほぼ全員集合してるようだった。
「争っている場合じゃない! 村の命運がかかっているんだ! どうか力を貸してくれ!」
まばらな歓声は上がってるけどまだ足りない。
「ルイス、貴様を支持しよう!」
アンの父親らしき獣人の長老が声を上げ、空気が一変する。
「俺もだ!」
「私も頑張る!」
獣人族だけではなく、人族も含めて大きな声が上がり始め、村全体が、ひとつになった。
子どもと老人は頑丈な倉庫へ避難。
男たちは木材を集めて倉庫を中心に即席の砦を築き、女たちも石や弓を持ち、倉庫の屋根に陣取る。
風が——吹いている。
希望の風が。命を守るために立ち上がった者たちの風が! これはちょっと言ってみたかっただけ。
「これなら勝てるかも……!」
「ですが、勝ってしまえば、神の存在を印象づける機会を失います」
「命が助かるなら、それでもいい」
「そう簡単に事が進めば良いですが」
シロエは冷静だった。
彼女の視線の先で、村人たちは砦を作り、路地を限定し、戦略的に準備を整えていた。
神機能で時間を早回しし、作業を監視する。
リアルでも欲しくなるような機能だった。
夜が明け、太陽が昇る。
狼の遠吠えが響く中、ゴブリンやコボルドが前進してくる。
戦いが始まった。
仕掛けた構造が効いている。動きを制限され、敵は各個撃破されていく。
だが、それでも——犠牲は出る。
血が飛び散り、叫びがこだまする。
ルイスの仲間も、数人がすでに命を落としていた。
「数の暴力が……えげつないな……」
俺は逃げないと決めた。だから、目を背けない。
命が、失われる現場を、しっかり見届ける。
「シロエ、そろそろメッセージを送って、職業を与えるべきじゃないか?」
「ダメです。彼が本心から神に祈りを捧げ、救いを求めるタイミングでなければ、ただの偶然と思われてしまいます。今の状況では、メッセージすら空耳と思われるでしょう」
でもこれじゃあ、被害が拡大し続ける。
「マスターは気に病まないでください。今の状況を招いたのは、半分は村人の責任です」
「でもさ……そもそも神様がこの世界をちゃんと管理してなかったから、こんなことになってるんじゃないのか?」
「それも一理あります。ですが、彼らが変わる努力を怠ったのも事実です。自ら選び取った種族間の争い。それが、停滞を招いたのも事実です」
つまり、俺に全部抱え込むなって言いたいんだな。
「——そしてこの作戦を立案したのは、私です。死者が出た責任は、私にあります」
「何言ってんだよ。選んだのは、マスターである俺だろ」
そう言って、そっと彼女のヘルメットを撫でる。
ぺたぺたと、安心させるように。
「オーガだ!!」
誰かの絶叫が響く。
三メートルを超える巨体の鬼が、巨木を振り回しながら砦を蹴破り、人々を次々に押し潰していく。
全体の緊迫感、空気が変わのが、俺にもわかった。