表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

4 決心

 自宅の候補となる物件は無事に決まったので、ビジネスホテルにチェックインして、明日に備えて大浴場でまったりしよう——なんて思っていた矢先だった。


 ポケットの中で、スマホがぶるぶる震える。

 俺のスマホではない。例の異世界スマホの方だ。


 取り出すと、地図アプリが自動で立ち上がっていて、目的地のピンがひとつ。

 現在地から車で数分の場所で、道順まで示されていた。


「シロエ? 一体何を……」


 訝しみながらも、あの子なりのメッセージなのかもしれないと、車を走らせた。

 そこにあったのは、日本犬の資料館。隣の施設ではモフモフの犬たちが出迎えてくれて、写真を撮らせてくれたり、ぬいぐるみを買ったりもした。


 ……なるほどね。癒しってことか。

 こんなふうに、そっと心をほぐしてくれるあたり、本当に優しいんだな。あの天使は。


 翌日は朝から四時間かけて、県南へと向かう。


 目指したのは、静かな集落にある平屋。

 その家の前に車を停めると、庭先には草花が広がっていて、まだ寒いというのに、いくつかの花が小さく咲き始めていた。


「久しぶりだね」

「ああ、久しぶり。母さん」


 庭に顔を出した母の腕には、でっぷりと太った猫。

 会うのは、父の葬式以来。七年ぶりだ。


 白髪が増えて、昔の面影は残っているけど……母さんも老けたな。


 リビングに通されると、膝に猫が飛び乗ってきた。ふてぶてしい顔だけど、なんだろう、妙に可愛い。


 緑茶と茶菓子を出してくれる母の仕草は、あの頃と何も変わらない。

 なのに、心の距離だけは、まだ少し遠く感じた。


「それで、どうしたのさ」

「色々あってさ。この県の北の方に引っ越そうと思って」


 すぐに、あからさまに嫌な顔をされた。

 ああ、やっぱりそうか。


 俺が近くに住むのは、そこまで嬉しくはないようだ。


 父さんが亡くなる前後には、姉の件でひと悶着どころか何度も揉めたから、悠々自適に縛られない生活がしたいのはわかるけどさ。

 だから同じ市ではなくて、近からず遠からずの場所を選んだ。


「仕事は?」

「辞めた。金はあるから。投資とか、まあ色々やってる」

「色々ばっかりね。あの子に、この家の住所は教えてないよね?」

「うん。そもそも俺だって知らないよ、アイツの居場所も連絡先も」

「野垂れ死んでてくれると、助かるんだけどね」


 口には出さなかったが、内心では同意していた。

 この猫の無防備なぬくもりだけが、唯一の救いだった。

 猫をモフってコタツでゴロゴロする。ここに来るのは初めてだけど、家の家具だったり雰囲気が昔の実家に似ていて、安心感がある。あー、猫たまらん。


 異世界スマホがまた震える。

 画面を覗けば、カメラが勝手に起動していて——猫を撮影しろってことか?


 シロエ、あの犬たちの件も、俺に気を遣ったんじゃなくて、君が動物を好きなだけか。


 猫と一眠りして、目が覚めたときには、カレーの匂いが部屋中に満ちていた。

 ……何も言ってないのに、ちゃんと食事が出てくる。最高かよ。


 狭い家なので寝室は母さんの部屋だけ。夜はコタツで寝かせてもらった。

 猫は母の布団へ行ってしまったのがちょっと寂しい。

 あの後の雑談でも、遠回しに母さんには「困ってない」「金もいらない」と、やんわり断られてしまった。


 翌朝、母さんは早朝から街のスーパーでパートらしく、俺は追い出されるように家を後にした。


「鈴は置いていきな」

「ダメか」


 抱き抱えていたデブ猫ちゃんは、あっさり回収された。

 うん、犬もいいけど猫もやっぱり飼おう。


「大人になるとね、ああすればよかった、こうしておけばよかった……後悔ばかりだよ」


 突然、背中にかけられた母の言葉。


「お父さんと結婚したことも、馬鹿な娘を育ててしまったことも、後悔はしてる。でも、納得はしてるよ。自分で選んだ選択だからね。だけどね、“やらなかった後悔”だけは、歳をとるほどに重くなるよ。あんたにとって良い母親だったなんて胸を張れないけど、母親としてじゃなくて、年長者としての意見として、覚えておきな」


 車に乗り、バックミラーに映る母は見えなくなるまで——ずっと猫を抱いたまま、見送ってくれた。


 あの時は、わからなかった。

 でも今は、少しだけわかる気がする。母の苦労も、母の強さも。


 新幹線が走る最寄りの駅でレンタカーを返却後、まったりと帰路に着く。

 慣れ親しんだアパートに戻るとすぐ、不動産屋に家の購入とリフォームの見積もりを依頼するメールを送った。


「シロエ」


 俺の呼びかけに、シロエはすぐに反応し美しいエフェクと登場した。


「マスター、準備は整っています。このボタンを押せば、世界は廃棄されます」


 ホログラムのUIが浮かぶ。選択肢は一つ。

 冷たくて、シンプルで、確実な「終わり」だった。


「……それは、いらない。俺はやるよ、本気で。異世界投資ってやつを。だから、力を貸してくれ」


 短い時間だけどシロエと出会い、世界の現状を知り、過去を知って、動物が好きな優しい天使ってことも——今更切り捨てるなんてことは俺にはできないし、それをしてしまったら、どんな贅沢な生活をしてもきっと後悔する。


「マスターのその後悔が、“やめておけばよかった”にならないことを祈ります」


「……ああ。シロエが祈ってくれるなら、百人力だよ」


 彼女は小さく息をついて、静かにうなずいた。

 そして、異世界の現状を一つずつ、丁寧に説明し始めた。


 俺はノートとペンを取り出し、その言葉を一つ残らず書き留める。


 ——今度は、遊び半分じゃない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ