第21話 諏訪郡・秋宮
塩尻に着いたときには、もう空は夕焼けのオレンジに染まっていて、賢人たちはここで宿を取るといった。
宿を決めて紀江と守人のあとから入ろうとしている賢人の袖を引っ張り、深玖里は小声で話した。
「賢人、アタシ、もうちょっと先に進んで宿を取るよ」
「ここに泊まらないのか? じゃあ、おれも……」
「アンタはここで、みんなと泊まって」
賢人がくるとなったら、紀江まできてしまう。
もう風呂に押し入られるのはごめんだし、一緒にいて男だとバレるのも困る。
賢人を宿に入らせ、深玖里は念のため、翔太にも同じことを伝えた。
「え? それは別に構わないけど、どこに泊まるつもり?」
「うん、あのね、紀江には内緒にしてよね? アタシ、下諏訪で宿を取るから」
「下諏訪? じゃあ、明日は下諏訪で合流でいい?」
「うん。紀江になにか言われたら、アタシはもう少し呪符を書くっていっておいてよ」
「わかった。それじゃあ、また明日」
「秋宮の前で待っているから」
翔太が宿に入っていくのを見届ける前に、深玖里は全速力でその場を離れた。
息が続く限り走り続け、塩尻からだいぶ離れたところで、走るのをやめた。
翔太には下諏訪に泊まると言ったけれど、万が一にも紀江に知れたときのことを考えて、岡谷に宿を取った。
まさか追いかけてはこないだろうけれど、なにをするか予想がつかない。
明日、下諏訪で別れるまでは気を抜かないでおこう。
なんだって自分が、こんなに紀江に気を遣わなきゃいけないんだ?
そう思いながらも、なんとなく紀江とはうまくやっていきたいと感じてもいる。
「面倒だけど、とりあえず今は、これが一番いいやり方かな?」
次に会うときには、きっと櫻龍会の本部だ。
そのときには深玖里が男だと、紀江も知るはずだけれど、ある程度の時間が経っていれば、今、知られるより怒りが少なそうな気がする。
宿の部屋で夕飯を食べながら、一人あれこれと考えていた。
やけに紀江のことが気になるのは、最初の出会いがあまりにも衝撃的だったからだ。
高い札紙も呪符を書いた時間も台無しにされ、裸を見せられ……まあ、それは深玖里を女だと勘違いしているから仕方がないけれど……。
深玖里に意地の悪い態度を見せる割に、自分の札紙を深玖里に返そうとしてくる優しさもある。
あの独特な符術の使い方もすごく気になる。
紀江の実家は武術で名のある家なんだろうか?
日出塩でみた動きは、一人で会得したものじゃあないはずだ……と思うんだけれど。
櫻龍会と関わるようになって、初めて深玖里は他家のことが気になり始めた。
縁や翔太は、紀江の符術をどう感じているんだろう。
『坊、井の中の蛙になるな。大海を知れ』
かつて、一緒に旅をしていた叔父に、なにかにつけ言われたこと。
深玖里は大海までとは言わないけれど、湖くらいは知ったつもりになっていた。
けれど、まだまだ井の中らしい。
「知らないことが多すぎるなぁ……」
これから賢人と黒狼を探していく上で、知識はないよりあったほうがいい。
符術だって、もっと強くなれるかもしれない。
今はまだ、井の中だとしても、必ず大海に出てみせる。
そのために、今はできることは全部やろう。
明日はみんなを待つために、少し早めに宿を出なければ。
食事を済ませ、片づけをしてくれている仲居さんに、明日の朝食を弁当にしてくれるように頼んでから、宿の風呂にのんびりと浸かった。
「そういえば賢人のヤツ……ちゃんと風呂入ってんのかな?」
翔太がいるから大丈夫だろうけれど、これまでの過ごし方を考えると、若干の不安を覚える。
賢人はどのくらいのあいだ、一人で旅をしていたんだろう。
優人や駿人、守人と一緒にいたこともあるだろうけれど、ずっと一緒ということはないはずだ。
深玖里と同じように一人で旅をしていて、そのほとんどを野宿……。
よくもまあ、これまで死なずに生きてきたものだ、と思うけれど……。
「人じゃあない……か……」
いつか黒狼を倒し、駿人のように消えてしまうんだな……。
それまでに、縁と駿人のように、互いに信頼し合える関係になれるんだろうか?
起きていると、あれこれ考えすぎてしまう。
風呂から上がり、部屋へ戻るとすぐに布団にもぐり込む。
深玖里はギュッと目を閉じて、布団をかぶった。
――翌朝――
夜明け前に目を覚まし、急いで支度をすると、弁当を受けとって宿賃を払い、下諏訪へ向かった。
急ぎ足で進み、一時間ほどで秋宮の前に着いたときには、すっかり明るくなっていた。
「まだ時間には早いか」
賢人たちは宿で朝食をとってくるだろう。
そうじゃないとしても、塩尻からここまでは、まだまだ時間がかかるはずだ。
深玖里は諏訪湖のほとりまで歩き、目の前に広がる湖を眺めながら、弁当を食べた。
時間があれば、諏訪大社を全部回りたかったけれど、ここを過ぎたら山続きだ。
いつかまた、くればいい。
ふと思い立って、深玖里はカバンから木彫りの人形を出し、茂助と銀子を呼び出した。
「あいあい。深玖里さま。御用ですか?」
二人揃って、相変わらずかしこまっている。
「深玖里でいいってば。ねえ、アンタたちに頼みがあるんだけど」
「なんでもお伺いしますー」
「うん。それじゃあ、二人には光葉にいって欲しい。遠峯に会って、深玖里が数日のうちに諏訪から挨拶に行くって、伝えておいてよ」
「かしこまりましたー」
「このところ、あちこちで獣たちが暴れているから、くれぐれも気を付けて。遠峯に会ったあとは、光葉の山の途中に庵があるから、そこで待ってて」
二人はうなずき、早々に出ていった。
これでここから光葉までのあいだは、山犬に襲われることはないだろう。
もっとも、黒狼に味方しているヤツがいれば、話は違うけれど。
「さて……そろそろ秋宮に参ろうかな」
日の光にキラキラと光る湖面をもう一度眺めみてから、深玖里は秋宮へと戻った。




