第18話 信濃国・みなと屋
部屋に戻ると、すぐに露天風呂へ行き、体を洗って清め、苛立ちが鎮まるまで水をかぶった。
そこから先の記憶は、あまり残っていない。
呪符を書き続けて手首が痛んだ気がしたけれど、それさえも忘れるほどに集中していたようだ。
すべての札紙を使いきったあと、呪符をまとめて束ねると、指先で押さえてそのまま符術を唱える。
指先への集中を途絶えさせないようにしながら、ゆっくりと唱え続け、最後に「結」と結んだ。
「……終わった」
気が緩んだ途端、ドッと疲れが出て、そのまま後ろに倒れると、眠ってしまった。
気づいたときには、空が茜色に染まっていて、夕方だとわかる。
部屋を出ると、深玖里は帳場へ行き、番頭さんに夕飯を頼んだ。
「急ですみませんけど、よろしくお願いします」
「はいはい、大丈夫ですよ。明日の朝食はどうしますか?」
「あ、それもお願いします」
番頭さんと会話をしながら、書き直しを始めてから三日目の夕方になっているのを知った。
予定ギリギリで間に合ったのか。
意識をすると、急激にお腹は減るし、眠くなる。
夕飯ができるまでのあいだ、食べたらすぐに眠れるように、露天風呂へと向かった。
湯に浸かり、岩にもたれてぼんやりしながら、今回のことを考えた。
最初に書き上げたあと、風呂になんて来ないで、そのまま仕上げるべきだった。
そうすれば、あの『紀江』と翔太が来る前に、呪符が完成していたのに。
「高い札紙で作った呪符を使ってみたかったのに……」
もう少し早く札紙を書き終えていたら、もっと集中して二人の声に惑わされなければ、と、後悔ばかりだ。
考えすぎてのぼせそうになり、湯から上がろうと立ち上がったとき、脱衣所から誰かが入ってきた。
慌てて湯に体を沈め、相手が湯に浸かるのを待って出ることにする。
「やっと見つけた! 部屋にいないと思ったら、こんなところにいたのね?」
振り返ると、立っていたのは紀江で、タオルも巻かずに深玖里を見おろしている。
唖然としつつも、その全部を見てしまった。
ハッと我に返り、視線をそらして大判のタオルを引き寄せ、体を隠す。
にごり湯で良かった……。
「なんで……こんなところに来てるの! ここ混浴だよ!?」
「知ってるわよぉ。看板、掛かっていたし」
「だったらなんで!? わざわざ混浴になんて来なくても、女湯に行けばいいじゃん!」
「なによ? あんただって入っているじゃあないの。っていうか、なに隠しちゃってるのよ? 女同士なんだし、見えても構わないでしょ?」
ザブザブと飛沫を上げて、紀江は湯船の真ん中辺りで体を沈めた。
ちょうど深玖里の正面になり、目のやりどころに困る。
のぼせそうだったところに、急に豊満な体を見せつけられ、頭がクラクラしてきた。
「……このあいだはごめん。本当に呪符を作っているとは思わなかったのよ」
「わざわざ呪符を作るなんて嘘をいう人、普通はいないでしょ」
「それは本当にごめんなさい。でもね、ずっと協働を作らなかった賢人が、突然、女の子を協働にしたって聞いたから……私、ビックリしちゃって」
櫻龍会の、どこでそんな噂が出たんだろうか。
どうやら深玖里は『女』で伝わっているみたいだ。
紀江が一生懸命に言い訳をしているのを聞きながら、出どころは縁じゃあないな、とわかる。
縁は、深玖里が男だと知っているんだから。
「ビックリしたからって、いちいち干渉されたんじゃあ、面倒だし困る。呪符までダメにされて、とんだ散財をしたよ!」
ブツブツと文句をつぶやく深玖里を、紀江は黙ったまま見つめてきた。
その視線が胸もとに移ると、プッと吹き出して笑った。
「あんた、胸、なさすぎじゃあない? 色気もまるでないし……賢人がかわいそう。ちょっと、どれだけあるのか、見せてごらんなさいよ」
手を伸ばして深玖里に近づいてくる紀江の顔に、両手で何度も湯を飛ばした。
「見せるわけないでしょ! コッチ来るなバカ!!!」
「ちょっ……やめなさいよ!」
びしょ濡れになった顔を拭っている隙に、湯船を飛び出すと入り口の衝立にサッと身を隠した。
「乳がデカければいいってもんじゃあないでしょ! 大きなお世話なのよ! ゆっとくけど、部屋には来ないでよね! また呪符をダメにされたくないんだから! 話があるなら明日にして!」
体もろくに拭かず、浴衣も合わせを気にすることなく着込んで雑に帯を撒くと、紀江が出てくる前に浴場から逃げた。
どうせ部屋まで誰かに会うこともないんだから、なんなら素っ裸で逃げても良かったけれど、さすがにそれは気が引けた。
部屋に戻り、夕飯を運んできてくれた仲居さんに、タオルと浴衣の替えを出してもらい、着替えを済ませてからゆっくり食べ始めた。
食べながら、紀江のことを考えていた。
「なんなんだよ……胸も色気もあってたまるか、っての」
ご飯をかき込みながらも、紀江の姿がちらつく。
あのとき、手を出そうとしてきたのは、深玖里にとってありがたかった。
あのまま湯から上がれなければ、のぼせて倒れていたかもしれない。
「ホント、櫻龍会って変なヤツばっか! 統領とやらも、絶対に変なヤツだよ!」
空きっ腹に急に食べものが入ってきたからか、それともイライラのせいなのか、胃がシクシクとないている。
食器をさげてもらうと、すぐに布団にもぐり込み、そのまま眠りについた。




