第16話 信濃国・中山道
翌朝も日が昇る前に出発した。
宿場を出てすぐに緩やかな坂が続き、そのまま落合川を渡って山道を行く。
一時間ほど歩くと、馬籠に着いた。
早出をする旅人たちが宿から出てきている。
「みんな、意外と早く出るもんだねぇ。この辺りは獣、出そうな気がするんだけど」
「西都に行く人も、東都に行く人もいるね」
まだ店はどこも開いていなくて、深玖里は宿で用意してもらったおにぎりを出すと、食べながら歩いた。
途端に優人が叱咤してくる。
「深玖里、行儀が悪いぞ」
「だってもう、お腹空きすぎちゃってる。今、食べないと、峠を越せないよ」
「妻籠まですぐじゃあないか。峠の途中に茶屋だってあるだろう?」
「こんな時間じゃあ、まだ開いてないよ」
優人も賢人もうるさいことを言ってくる。
二個目のおにぎりを取りだそうとしたとき、後ろを歩いていた翔太がつぶやいた。
「深玖里ちゃん、それじゃあ病弱な兄を支える献身的な妹には見えないよ?」
振り返った深玖里に、翔太は街道の先を指さして見せる。
前を向くと、行き交う人たちが、頬を膨らませた深玖里を、珍しいものを見るような目で眺めていく。
当然ながら、深玖里以外に食べ歩きをしている人など、いない。
恥ずかしさに、口いっぱいのおにぎりを水筒の水で流し込み、素知らぬ顔で歩いた。
「わかった。でもホントにお腹空いてんの。峠のてっぺんまで行ったら、茶屋の椅子を借りてご飯にしようよ」
「優人、そうしてくれ。途中で腹を減らした深玖里に倒れられても、おれも困る」
賢人が情けなさそうな表情で、深玖里の頭を軽く叩く。
「わかった。じゃあ、そうしよう」
「やった! そうと決まれば、早く行こうよ!」
「……待って……地味にしんどいから、この坂……」
「もう! 翔太、情けないよ! しっかりしてよね!」
「だから……ねえ、その顔で言わないで……そういうこと……」
ヘタレている翔太の背中をグイグイ押して峠を登った。
茶屋はやっぱりまだ扉が固く閉ざされていて、おもてに出ていた縁台に腰をおろし、残りの弁当を食べきった。
ここから妻籠までは一時間ほどだ。
辺りを見渡しても、鳥の囀りや鹿の鳴き声が聞こえるくらいで、嫌な気配はなにもない。
「この辺も、獣の被害はなさそうだね」
「まあ、山の中だからな」
「人の往来もそこそこあるし、普通の獣なら、出てこないよねぇ」
なにもないのは良いことだけれど、これまでずっと、稼ぐことばかりを考えていたし、小さな依頼も請け負っていたから、なにもないのがもどかしい。
とはいっても、手持ちの呪符は少なくなっているし、大物や数のいる案件だと困ると思う。
このまま福島まで、なにもないのがいいんだろう。
峠を下りながら、翔太が今度は「下りは下りでキツイ」などといっている。
深玖里より旅慣れているだろうに、情けないことをいう翔太を、後ろから追い立てるように歩いた。
妻籠に着くころには、ますます行き交う人が増えた。
「一応、請負所にも寄ってみるか?」
「そうだね。俺と優人でみてくるから、深玖里ちゃんと賢人は待っていてよ」
「わかった」
翔太たちがいなくなると、深玖里は近くの菓子屋でお饅頭をたくさん買った。
菓子屋の軒下にある縁台に、賢人と並んで腰をおろし、待っているあいだにも、ポイポイ口に放り込んでいく。
「深玖里……そんなに腹が減っているのか?」
「だって、たくさん歩くじゃない。人の目が結構あるから、食べ歩きしてさっきみたいに変な目で見られるのイヤだし、優人もうるさいしね」
「優人が須原で昼にしようって言っていたぞ?」
「もたないよ~。それにさ、福島に着いたらご飯も食べられないし、今のうちに食べておかないと」
「ああ……呪符か」
「うん。今回は、いい札紙を買っているし……ちゃんと作りたいんだ」
「そうか。大変な作業なんだろう? なんの力にもなってやれなくて、すまないな」
「なに言ってるの、そんなの全然、構わないよ」
人には人の役割があると、かつて一緒に旅をしてい叔父は言っていた。
この場合、賢人たちの力になるために、深玖里ができる役割は『符術を使うこと』になる。
だから、呪符を作るのは当然の作業で、なんの苦にもならない。
ましてや『ちゃんと作りたい』は、完全に深玖里の意思だ。
そういうと、賢人は小さな声で「ありがとう」といった。
急にお礼を言われ、気恥ずかしさに、また饅頭を頬張る。
街道の向こうから、翔太たちが戻ってくるのがみえて、手を振った。
「おーい! って……深玖里ちゃん、また食べてるの?」
「この辺りも、特に被害はなくて、依頼も出ていないそうだ」
「そっかぁ……」
「福島まで、寄り道をしないで済みそうだな」
そのまま木曽川沿いを進み、須原でお昼を食べ、次は福島を目指す。
両脇に山が迫ってきているけれど、川沿いは坂も緩やかで辛さは少ない。
途中の上松で、今度は団子を買って食べる。
「深玖里は大喰いなのか?」
「そんなに食べたら、太るよ?」
優人と翔太が、いちいちうるさい。
「いいの! 育ち盛りなんだから」
「……育ち盛りって、深玖里ちゃん、もう二十一歳でしょ? 盛りなんてとうに過ぎてるじゃない……」
呆れた顔の翔太を睨み、深玖里は腹いっぱいになるまで食べた。




