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獣奇抄録 ~神炎の符と雪原の牙~  作者: 釜瑪秋摩
若山 深玖里 其の一
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第1話 甲斐国・森の中

 ――暑い。

 森中にひびくセミの声がよけいに暑さを感じさせる気がして、けもの道を歩く足取りが重くなる。


(もう……水なんて、あとにすればよかったかな……)


 街まではまだ遠く、手持ちの水は底をつき、渇きに耐え切れず山へ入ってきた。


(確か……このあたりに、わき水があったはずなんだけどな)


 大きく口を開けて空をあおぎ、浅く呼吸をくり返しながら木陰で涼をとった。

 気の持ちよう……ではあるのだろうけれど、少しだけ暑さがやわらいだ気がする。


 かすかに水音が聞こえた気がして腰を上げるとまた歩き出す。

 茂る草木をかき別けて進むと、ようやく水場へたどり着いた。

 切り立った岩肌を伝ってしぶきを上げる小さな滝に近づき、まずは手ですくって存分に喉をうるおした。

 跳ねた水が顔に当たって首筋に伝わる。いっそ水浴びでもしたいくらい心地いい。


(はぁ……ホント、生き返る……)


 背負ったカバンと腰にくくった太刀を岩場におろし、顏を洗った。

 水筒を取り出してたっぷりと水を汲み、ギュッとフタを閉めてカバンに詰める。

 ホッと一息ついたところで、滝つぼ近くに転がる大岩に腰をおろして寝そべった。


「ふわあぁーっ!!」


 突然、森の奥から叫び声が聞こえ、驚いて飛び起きると周囲を見渡した。

 ザザッという大きな音、崖の上から枝や葉とともに転がり落ちて来たのは、小太りの男だ。


「きゃあっ! ちょっと! あんた大丈夫?」


 岩から飛び降りて男に駆け寄り、抱き起そうと背に手を回した。

 手のひらがぬるりとして慌てて手を引くと、真っ赤に濡れている。


「血が……待ってね、今、薬を……」


 カバンの紐をゆるめて手を突っ込んだとき、パタリパタリと葉を打つ音が耳に届いた。

 男を腕に抱えたまま、出来るかぎり動きを小さくして見上げた崖に、金色のフサフサとした獣がたたずんでいる。

 わさわさと揺れているのは、三本にわかれた尾だ。


 身の丈の倍はありそうな大きな(けもの)が、真っ赤に染まった口を大きく開いてこちらを見下ろしている。

 その口角から滴り落ちたしずくが、葉や小枝に当たってジュッと音を立てた。


 犬に似ているようで狐にも見えるようで、いずれとも違う。

 ただの獣じゃ無いのは明らかだ。


「あんた……あれにやられたの?」


 男は背中の傷と崖から落ちたショックで目を回していたけれど、問いかけに反応して目を開けた。

 その目が獣を捉えた途端、体をブルブルと震わせ大声で叫んだ。


「う……うわあっ! 来たあっ!」


 勢いよく男に突き飛ばされ、仰向けに転んでしたたかに腰を打った。


「痛ぁ……ちょっとあんた……!」


 こちらを振り返りもしないで一人で逃げて行く男を呼び止めようとして、ハッとした。

 ゆらゆらと尾を振っていた獣が、崖の上からふわりと飛び降りてきたのだ。


(あれは絶対に妖獣(ようじゅう)だ……刺激したらマズい……あのバカ男! なにしてくれてんの!)


 突き飛ばされたせいで、お尻から腰にかけてジンジンと痛む。

 そっと体を起こし、目立たないように荷物のそばまで移動した。


 男は茂みや木々を避け、凄いスピードで逃げていく。

 妖獣は前足を深く沈ませ前屈みになると、その場所から勢い良く飛び上がった。

 体の大きさを抜きにしても、その距離と高さはかなりのもので、ひとっ跳びで男を追い越した。


「ひ……ひぇーっ!」


 急に目の前に現れた妖獣に驚いた男は、勢いがついていて止まることができなかったのか、思い切り妖獣に体当たりをした――。

 ――かのように見えた。


 妖獣の前に立ち尽くしている男の肩がダラリと力なくさがり、首がガクンと倒れた。

 思わず息を飲む。

 大きく左右に揺れている尻尾の数が一本足りない。


 男の背中が折れるようにググッと丸まり、着ているシャツが膨らんだと思った次の瞬間、服を破って尻尾が飛び出した。

 妖獣の目が満足そうに弧を描いているのが遠目でもわかる。

 目を離さずにカバンをたすき掛けに下げ、そっと太刀を握り締めた。


 ――カタリ。


 鞘が岩に軽く当たって音を立て、妖獣の耳がピクリと動いた。

 残った二本の尻尾がワサワサと回転しながら大きく揺れている。

 一本がムチのように伸びてこちらに飛んで来たのを避け、強く岩を蹴って飛び退き、小さな茂みに身を寄せた。


 柔らかな見た目と違って固いのか、それとも力が強いのか、尻尾を叩き付けた岩が砕けて岩粒が弾け飛んでくる。

 両腕で顔を覆うように岩粒を避け、腕の隙間から妖獣の様子をうかがった。

 たった一瞬、目を離した隙にその姿が消えている。


(いない……! どこ!)


 背後に殺気を感じ振り返った瞬間、男の体が勢いよく飛んできた。

 横っ飛びにそれを避ける。

 妖獣は目を細めて首を傾げた。

 避けられたのが意外だとでも言わんばかりの目つきだ。


(伊達に修業をしてない、っての!)


 とは言っても、これがただの獣じゃなくて妖獣だということが問題だ。

 これだけの大きさに、人一人を簡単に殺すほどの性質(たち)の悪さ……。


(街へ行けば、きっと退治の依頼が出ているはず……)


 全国にある大きな街では、その街周辺、近隣の山村で手を焼いている獣や妖獣に懸賞金をかけている機関がある。

 その機関の判断で懸賞金が定められ、高額のものは当然強いし、危険が伴う。

 どんな団体がお金を出し、そんな酔狂なことをしているのかは知らないけれど、被害に遭っている街や村はずいぶんと救われるだろうし、定職を持たない根無し草にはありがたい収入源になっていた。


 現にこれまで、旅の資金に困れば、大きな街で獣退治の依頼を請けている。

 ただ、今まで依頼を請けずに獣や妖獣を退治した経験がない。

 そろそろ資金も尽きてきたところだったし、こいつを倒して懸賞金を手に入れられたら恩の字だ。


(でも、先に倒しちゃっても懸賞金、出るのかな……?)


 こちらの考えを見透かしたように、妖獣がニヤリと笑った。

 また尻尾を大きく揺らすと、今度は三本で次々に叩きつけてくる。

 かわすだけなら容易いけれど、休む間もなく攻め立てられると攻撃に移りにくい。

 何度目かで大きく後ろに飛び、着地と同時に太刀を抜いた。

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