第6話 遠江国・掛川の夜
峠で思わぬ時間を取られてしまい、結局、掛川で宿をとることになった。
そのあいだに、翔太と深玖里は請負所に行き、火剣山の依頼を取り下げてもらい、この近辺の情報を聞いてきた。
賢人と優人は、まだ鼻の奥に違和感があるといって、宿で早々に眠っている。
「そんなに臭うかな? もう臭わないと思うんだけどな?」
「薄っすらと臭うよ? 服のどこかに液が飛んだんじゃない?」
「えー……じゃあさ、アタシ今夜は別に宿をとるよ。二人が眠れないと悪いし」
「そこまでしなくても……って言ってあげたいんだけど、二人とも鼻が利くから、そうしてくれると助かるよ」
「それってさ、駿人が消えたのと、関係ある?」
深玖里は城下を出るときから気になっていたことを、思い切って聞いてみた。
翔太は「う~ん……」と唸って困った顔をしている。
「俺から話しちゃうのはちょっと違う気がするんだよねぇ……だから、別なときに二人も交えて、ちゃんと話そう?」
「ん……わかった」
翌朝の待ち合わせ場所を決めて、深玖里は宿を取り、湯に浸かって服の洗濯をした。
賢人も優人も鼻が利くというから、特に念入りに洗い、念のため、カバンも洗って干した。
瓶はもう一度、しっかり栓をしてから布で巻いてビニールの袋に詰め、しっかりと封をする。
「来・犬・風! 火狩!」
明日の準備を整えて、深玖里は火狩を呼び出した。
「深玖里、なにかあったのか?」
「うん。あのさ、なんか臭う?」
「……言われると確かにわずかに……深玖里、アレを使ったのか?」
「えー? まだ臭う? 弱ったな……」
洗って干した服とカバンを、もう一度、臭ってみる。
深玖里には洗剤の香りしか感じないけれど、人より嗅覚のいい火狩には届くか。
「染みついた服は洗ったんだろう? だったら明日にはもっと薄れる」
「そうかな? だといいんだけど。あ、あとね、新しく仲間ができたよ」
「仲間? 珍しいな。増やさないんじゃあなかったのか?」
「増やさないってワケじゃあなかったんだけどね。火剣山の主に頼まれてさ」
「火剣山……というと、樫旺さまか?」
「火狩、知ってたんだ?」
「遠峯さまのところへも、訪れてきたことがあるからな」
遠峯はもちろん、火狩も霧牙も、縁炎たちも、深玖里より長く生きている。
黒狼の話も、当然、知っているだろうと、それを聞いてみた。
「俺や霧牙は、その当時はまだ生まれていなかった。夢孤たちもそうだぞ」
「そんなに昔のことだったの?」
「二百年以上、前になるんじゃあないか? 遠峯さまや緋狐さまも、まだ幼いころだったはずだ」
それでも当時、黒狼が起こした騒ぎは相当だったようで、昔ばなしのように語り継がれているという。
各地で多くの獣師と眷属が、黒狼とその仲間たちによって、その命を落としたそうだ。
「今、獣師がいないのは、そのせいだな。遠峯さまの先代も、獣師の眷属だったけれど……」
人でありながら、黒狼に助力する一族もいたらしい。
多くの獣師が倒された原因の一つでもあると、火狩は言った。
「許せないね……だってその黒狼は、人にも獣にも害をなしたんでしょ? そんなのに味方するなんて……」
古い昔の出来事だとはいえ、深玖里は内から湧き立つ怒りを覚えた。
その黒狼に所縁のある、新たな黒狼が現れている。
獣や妖獣、人を唆して、なにをするつもりでいるのか。
姉さんを巻き添えにしたことが、なにより許せない。
次に出会ったときには、深玖里の手で一矢報いたい。
「詳しい話が知りたければ、直接、遠峯さまに伺うといい。それと……桐子だな」
「桐子さん? どうして桐子さんがそんなことを?」
「……それも、桐子に聞け」
火狩はそれきり口をつぐんでしまい、仕方なく深玖里は火狩を帰した。
桐子は深玖里の養母で、父親の正妻にあたる。
桐子自身にも子どもがいて、深玖里の兄になるのだけれど、昔からどうも覚えがわるい。
深玖里が家を飛び出したときには、止めもしなかったのに、年に一度は必ず戻れとうるさくいう。
もっとも……深玖里の弟のことが心配だから、言われなくても時々は戻っているけれど……。
「ここしばらく、戻ってなかったからな……でもな……桐子さんか~……」
遠峯だけに話を聞けばいい、そう思いながらも、人の側からの話も聞きたい気持ちがある。
苦手な相手と対峙しなければいけないのは、正直、苦痛でしかない。
年に一度、会うだけでもしんどいのに、自分から会いに行かなければならない上に、話を聞かなきゃいけないとは。
「こんなの、罰ゲームでしかないよ……」
それにしても……黒狼に味方する一族とは、どこのどいつなんだろう?
今、畿内に妖獣と獣が集結しているようだけれど、畿内のどこかに、その一族はあるんだろうか?
それとも、和国のあちこちに、ひっそりと潜んでいるんだろうか?
ふと、父親の顔が浮かんだ。
あの業突く張りの父親のことだ、うっかりすると黒狼の味方をする側につくかもしれない。
それに、もう一人、心当たりもあると言えばある。
人は時に、権力や金に目をくらませ、とんでもない判断をすることがある。
確かに、この世はなんでも金ずくで、あればあるほどいいとは思うけれど、そのために、なんでもするのは違う。
少なくとも深玖里は、人道に外れるようなことは、していないつもりだ。
「クソが……嫌なこと、思い出しちゃったな……」
布団で横になり、天井を見つめた。
荷物と一緒に部屋の隅に置いた、太刀が目に入る。
アレだって、腹立ちまぎれに父親から奪ってきたけれど、どうやって手に入れたんだかわかりやしない。
イヤな夢を見ないよう祈りつつ、深玖里はまぶたを閉じた。