第3話 遠江国・峠の女
金谷に宿を取っていれば、正体を確認してから手を出せばいいけれど、このまま山を越えるのだから、正体がわからなかろうが、進むしかない。
街道は山の麓に近い辺りを通っているけれど、やっぱり坂が続くとキツイ。
賢人は山頂のほうも見にいきたかったようだけれど、遭遇しているのは街道の金谷側だから、そのまま進む。
「なにが出てくるかな? 強いヤツかな?」
「深玖里ちゃん……なんか楽しそうだねぇ……」
坂がしんどいのか、ゼーゼーと息を吐きながらの翔太は、今にも倒れそうに見える。
軽薄さが都会育ちを思わせるけれど、だから山道は駄目なのか? 城下での疲れが残っているのか?
あちこちを回っているから、こんな程度の峠なら、慣れていそうなものだけれど。
「翔太ってば、もう息が上がってるじゃん。だらしのないヤツだね!」
「……お願い……その顔で、そういうこと、言わないで」
翔太曰く、深玖里とはなは似ている、らしい。
深玖里自身は、そんなに似ているとは思っていないけれど、賢人も優人も似ているというから、そうなんだろう。
だから辛辣な言葉や嫌味をいうと、傷つくといって大げさに嘆く。
坂を上りきると、一面に茶畑が広がっていた。
ずいぶんと先のほうまで続いているようだ。
こんなに開けた景色の中では、獣も妖獣も出やしない気がする。
曲がりくねった街道の先が見えてくると、その先はまたしばらく山道へと変わった。
大井川を渡って昼ご飯は食べたけれど、ずっと坂を上ってきたせいか、小腹が空いた気がする。
そう思った瞬間、コツンと頭になにかが当たった。
足もとに転がっているのは、実の締まった松ぼっくりだ。
上を見あげると、確かに松の木はあるけれど……。
今度は額に松ぼっくりが落ちてきた。
「イタッ!」
額に手を当ててうつむいたとたん、山のように松ぼっくりが飛んできた。
「チョット!!! なによこれ!」
翔太たちのほうへ駆け寄ると、ようやく松ぼっくりの攻撃がやんだ。
「今のはなんだ? 深玖里、周辺になにかいたか?」
「わかんないよ! いきなりだったんだもん!」
怪我を負うほどのことではないけれど、気持ちが悪いし、ああも大量に落ちてきては、先にも進めない。
賢人は足もとに転がってきた松ぼっくりを拾い上げ、通りの先を指さした。
「人がいるぞ。こんな木の実で怪我はしないだろうけど、驚いて立てなくなったのか?」
確かに、通りの先に女の人がうずくまっている。
深玖里はソロソロと慎重に進み、松ぼっくりがまた飛んでくるかどうかを確認しながら、女の人に近づいた。
「あの……大丈夫ですか? 立てますか? お怪我は……」
両手で顔を覆っていた女の人は、か細い声で「大丈夫です」と答えると、屈み込んだ深玖里に顔を向けた。
その顔に、目も、鼻も、口もない。
通常の旅人たちなら、これで十分過ぎるほど驚くんだろう。
けれど、深玖里は違う。
悲鳴一つ上げない深玖里に、顔のない女の人は「あれ?」と焦りの声を漏らした。
その横っ面を、目いっぱいの力で引っぱたいてやった。
「あれ? じゃねーわ! こンのクソガキがーっ! こんなモンで驚くかーっ!」
驚く女の人に馬乗りになると、首を絞めてガクガク揺さぶる。
「ヒイィィィ~!!! やめて……なんなのコイツゥゥゥ~~!!!」
「うっさい! オマエ、なにもんだ!? 正体現せってんだ!」
「ちょっ、ちょっと深玖里ちゃん! 急にどうしたの! そんな乱暴は――」
深玖里を止めようと、後ろから肩をつかんできた翔太は、顔のない女をみて大声をあげた。
そのせいで深玖里の力が緩まり、女の姿が煙のように消えてしまった。
シュッと風を切る音がして、翔太のカバンに切り傷が残っている。
「馬鹿! なに驚いてんの! アンタのせいで逃がしちゃったじゃあないか!」
「ごめん……けど、顔がなかったじゃん? あんなの驚くでしょ?」
「もー……でも、まあいいよ。だいたい、なにかわかったし。それよりアンタ、切られたのはカバンだけ?」
「えっ……? あ……ホントに切られてる。いつの間に……」
カバンの切り傷は鋭い刃物で裂かれたような痕だ。
怪我をした人たちは、さっきのように切られたんだろう。
優人と賢人もやってきて、翔太のカバンの傷に触れてみたり、臭いを嗅いだりしている。
「深玖里、アイツがなにかわかったのか?」
「たぶん、だけどね」
「請負所で認識しているのは一頭らしいが……」
「うん、二頭いるね。もっとかもしれない」
優人も賢人も、正体がなんなのか、わかったような顔をしている。
翔太はピンとこないのか、一人、首をかしげていた。
「まさか……かまいたち、とか言わないよねぇ?」
「当り前だろう? 翔太、おまえ、本当にわからないのか?」
「さっぱりだねぇ……」
「アタシ、アイツらに試したいことがあるんだよね……チョットさ、試してみてもいい?」
「そりゃあ、深玖里がそういうなら任せるが……大丈夫なのか?」
賢人が不安げに聞いてくるのに、大きくうなずいて返した。
一度、本当に効くのか、試してみたかったから、ちょうどいい。
「アンタたち、ちょっと離れていたほうがいいよ」
カバンの中を片手で探りながら、深玖里は集中して気配を手繰り、木々のあいだに潜むナニカに近づいた。