第17話 海津屋・逃避
「二人を……?」
「そ、そう。翔太と、つつ蔓華を……あの場所にいては、はっ……駿人たちの気も削がれる」
深玖里は未だ舞台上から動かない蔓華に視線を向けた。
眉をひそめ、考えているのはさっきの蔓華の言葉だろう。
「……うん……うん。わかった」
蔓華の符術はそう強くないとはいえ、駿人たちの動きに支障が出るし、なにより黒狼の防御が強まるのがうまくない。
物理的に引き離してしまえば、深玖里も安心だろうし、縁の邪魔をしてくることもなくなる。
目を覚ましていない翔太のぶんまで、縁は一人でも頑張らなければ。
「それで……どうする?」
「まま、まず……ボクが、ふっ符術で黒狼を蔓華から引き離す。よ、様子をみながら舞台に近づいて……」
「アタシが姉さん、縁が翔太を……ってコト?」
「う、うん。ゆゆ悠長にへっ、部屋を横切って逃げていられない。ままま窓からとっ……飛ぶ」
カバンから出した呪符に金縛りの符術を記した。
それを二枚、深玖里に渡す。
「金縛・結鎖、こ、これがこの呪符の符術だ。二枚とも、つ、蔓華に。てて抵抗されたら、にっ……逃げられなくなる」
「わかった」
深玖里のうなずきに答える代わりに、縁は黒狼に符術を放った。
「嵐牙・烈刃……律令……破邪!」
蔓華の防御の符術が繰り出されて術が届かないのは、予測していた。
すぐに二の矢、三の矢を放つ。
これまで符術を使ったことのない蔓華は、対応しきれずにいる。
これも予測していた。
駿人を相手にしている黒狼のほうも、縁の攻撃にまで気が回らず、ようやく攻撃が届いた。
低い唸り声を上げて縁に視線を向けてくるも、駿人がすかさず槍で斬りつけ、縁たちにまで気を配っている余裕はなさそうだ。
「はっ駿人! そ、そのまま攻撃を!」
深玖里と一緒に少しずつ舞台へと移動しながら、縁は符術を唱え続けた。
手数の多さに、黒狼も蔓華も、縁たちの動きに注意を向けていられないでいる。
優人の手当てが終わったのか、賢人も武器を掲げて黒狼へ飛びかかった。
大広間のふすまを踏み抜き、二人と黒狼が廊下へと出た。
蔓華までも、あとわずかだ。
「金縛・結鎖!」
距離が離れた隙をついて、深玖里が一気に蔓華へと駆け寄り、背後に回ると背中に呪符を貼り付けた。
ヒュッと息を飲んで、蔓華の動きが止まる。
縁も翔太の腕を取って担ぎ上げると、窓枠に足をかけて下屋へ乗った。
「み、深玖里さん! は、早く!」
「……姉さん、ごめんね」
そのまま背後から額にも呪符を貼りつけ、蔓華を担ぎ上げると、差し出した縁の手を取った。
「逃すか! 符術師!」
縁たちが逃げようとしていることに気づいた黒狼が、大きく飛びかかってきた。
縁の手を取り、窓枠に乗った深玖里の体に当たったのか、勢いよく押し出されてきて、縁ともども下屋から転げ落ちた。
「……くっ……み、深玖里さん、だだ大丈夫?」
「うう……アタシは……なんとか」
強かに背中を打ったようで、息がままならない。
仰向けになった横に転がっている翔太を揺り起こそうと、上半身を起こすと、翔太の背中に呪符が貼ってある。
見慣れない符術だけれど、金縛りのようだ。
剥がしてやると、翔太は辛そうに起きあがった。
「縁、悪い……全部、聞こえていたんだけど……動けなかった」
「う、ううん……無事でよよ良かった」
すぐ後ろで起きあがった深玖里は、抱きしめるように抱えていた蔓華を横たえ、突然、大声をあげた。
「姉さん! 姉さん!」
深玖里の背中は血まみれで、蔓華の腰辺りから、血がにじみ出ている。
「蔓華!」
翔太は蔓華に呼びかけている深玖里を押しのけ、蔓華を抱きかかえた。
「蔓華……この傷は……!」
起こした蔓華の背中には、黒狼の爪で引き裂かれていた。
逃げる瞬間、黒狼は深玖里に体当たりをしたんじゃあなくて、蔓華を裂いたのか。
それはどうみても致命傷で、あふれる血も止まらない。
「待ってて……今、符術で血を止めるから……」
自分のポケットを必死に探る翔太の手に、蔓華の手が重なった。
「やめて……もういいの……」
「駄目だ! 絶対に助けるから! 縁! 予備の呪符! 早く!」
間に合わないとわかっていても、縁は翔太に呪符とペンを渡してやった。
蔓華を抱えたまま、震える手で符術を書き、蔓華の背中に貼っても、すぐに血を吸収してしまい、効果が出ない。
呆然とその様子をみている深玖里を、蔓華は手招きで呼んだ。
「姉さん……姉さん、ごめんね、アタシ……」
「深玖里、酷いことをいってごめんね……」
早く海津屋を出たいと思っていた蔓華の前に、数週間前に黒狼が現れて交換条件を提示してきたと言う。
この辺り一帯の人間を根絶やしにする代わりに、蔓華の符術で黒狼に協力しろと言われたそうだ。
「私は……符術も使えないし……それに私は……深玖里に無理をさせていたから……」
「無理なんて……! 無理なんてしてないよ! そうしたいから、していたんだから」
一度は断った。
けれど、今回、二人の妹だけが故郷へ戻り、自分だけが取り残されることになった。
翔太が会いに来てくれることがわかり、急速に海津屋を出たい気持ちが高まった。
一人きりになった深夜、また黒狼がきたときに、ついその口車に乗ってしまったそうだ。