第4話 駿東郡・沼津海岸
「お、おはよう」
まだ空は夜の色で、濃紺にたくさんの星が瞬いていた。
宿の玄関先には、もう駿人も優人も来ている。
「早かったな。ゆっくり休めたか?」
「う、うん。翔太はけ、結局ボクの部屋でずっと寝てた」
「だからか。様子をみに翔太の部屋までいったのに、返事がなかったから余程疲れているんだと思ったら……」
優人は呆れた顔で翔太を睨んだ。
「疲れてたんだよ~。ホントにもう、全然起きられなくてさぁ。何度か目は覚めたんだけど、トイレに行くのが精いっぱいだったの!」
翔太はムキになって言い返している。
確かに、縁も何度かトイレには起きたけれど、翔太はずっと眠っていた。
とはいえ、縁も翔太がトイレに立ったことに気づきもしなかったから、ぐっすり眠っていたんだろう。
「とにかく、めっちゃ寝たから。今はスッキリしてるよ」
「ボ、ボクも」
「よし、それじゃあ早速出よう。本当は安倍郡の城下まで一気にいきたいところだけど……」
「まあ、二人とも本調子じゃあないだろうしな。とりあえず興津川の手前までいこう」
――やっぱり。
有度郡どころか、安倍郡の城下まで行くつもりだったとは……。
最初に辛いといっておいてよかった。
暗い中を四人で街道を進む。
沼津に入ってすぐ請負所を覗いてみたけれど、目立った案件は出ていない。
「箱根の猪や猿、この辺りからも集まってたんだろうか?」
「どうかな? そこそこ距離はあるけれど、ないとは言えないな」
「で、出てる案件は……さ、猿が多いね」
近くにある愛鷹山から降りてきているのかもしれない。
まさか熊はここから移動するとも思えないし、駿東郡の上のほうや都留郡辺りから流れてきたんだろう。
取り急ぎ、縁たちが引き受けなければならないような案件はなく、ホッとした。
翔太はまた受付の女性に声をかけている。
本当によくやると思うし、なにより知らない人にも平気で声をかけるのがすごい。
縁など、知っている人に声をかけるだけでも一苦労だというのに。
「おい! 翔太! もう出るぞ!」
優人が苛立ち気味に翔太を呼ぶと、翔太は名残り惜し気に受付カウンターを離れた。
「なあ、今、彼女に聞いたんだけどさ、最近、西のほうでも獣や妖獣が群れになって集まってるんだってさ」
「西? 集まっているって、どこになんだ?」
「畿内らしいねぇ……」
「畿内か。モリのヤツ、それでなかなかこっちに帰ってこられないんだろうか?」
駿人は急に守人が心配になったようだ。
ここしばらく、完全に別行動になっているから余計に気になるんだろう。
「そういうんでもないだろうけどな。順調に戻ってきてるんだし」
駿人は意外に心配症だ。
優人たち三人のことはもとより、縁や翔太のことまで、いつも気にかけてくれている。
今は近隣の獣たちの様子もおかしいから、ことさらに気になったんだろう。
駿人と優人のやり取りに翔太が割って入った。
「とりあえずさ、まずは先に行ってみよう。興津だってまだかなり先だし、途中で昼メシくらい食うだろ?」
「それもそうだな。それに……」
ピリッと空気が張り詰めたのがわかる。
駿人も優人も街道の先をジッと見つめたままだ。
「……駿河国で待つ、って? そう言っていたんだろ?」
二人の顔つきが変わった。
一瞬、瞳孔が細くなったようにみえたのは、気のせいだろうか?
「う、うん……あの黒狼は、た、確かにそういった」
「だったらやっぱり先に行かないと、だな」
「ああ。縁も翔太も、ここから先は油断するなよ? もう駿河国に入っているんだからな」
駿人も優人も警戒心をあらわにしていた。
それはそうだろう、と縁は思う。
駿河国のどこで待つつもりでいるのか、それを言わなかった黒狼が、この沼津で襲ってこないとは限らないんだから。
「じゅ、呪符、たくさん作ったから、だ、大丈夫だよ」
少しでも気分を緩めてほしくて、縁は真っ先に歩き出した。
海が近いせいか、風に潮の香りが混じって感じる。
翔太の希望で街道をそれて海岸沿いの松林に沿った道を進んだ。
出身が海の近くだから、海をみるとホッとするらしい。
縁は翔太と違って山育ちだから、海は珍しくて目を奪われる。
「日が昇り始めたなぁ」
翔太は立ち止まって水平線に顔を出し始めた太陽を眺めている。
縁も釣られて足をとめた。
「こ、こんなふうに日の出を眺めるのは……ひ、久しぶりだ」
「俺も。なんかありがたいよな。初日の出のイメージが強いからかな?」
柏手を打って拝んでいる翔太の姿に、縁は思わず笑ってしまった。
「笑うなよ。拝んでおきたいじゃん? 必勝祈願っていうか……さ」
「そ、そうだね」
縁も翔太の隣で柏手を打って太陽を拝んだ。
(駿人と優人が黒狼に勝てますように……)
いつの間にかだいぶ先に進んでいる駿人と優人が、早くこいと呼んでいる。
「神頼みなんてさ、不確かで意味なんてないような気もするけど……」
それでも最後の瞬間にどちらにも転びそうな状況だったとき、神頼みをしたことで軍配がこちらに上がるかもしれない。
翔太はそう言って、少し恥ずかしそうな表情で笑った。