第19話 足柄下郡・箱根山の妖獣
「もう来ていたのか!」
翔太も右手の木立に向けて雷撃を放った。
「雷焔震降、煌舞神裁!」
ギーッとたくさんの絶叫が広がり、ドサドサと木から猿が落ちてくる。
黒焦げになった中に、子ザルも混じっていて、ギュッと胸が痛んだ。
「瞬刻! 烈!」
続けざまに縁が刀で攻撃を繰り出し、雷撃を逃れた猿たちを倒していく。
縁も子ザルがいることに気づいているんだろう。
猿を斬り伏せながら涙が頬を伝っている。
「包縛剛蔓、闇滅焔裁!」
木々に巻きついていた蔓が伸びて猿たちを捕縛すると、一斉に燃え上がった。
耳をふさぎたくなるような断末魔が一斉に響く。
中に一頭、大きな猿がいて、きっとあれがボス猿だろう。
残った猿たちは、ボス猿が倒れたことで戦意を失ったのか、枝を揺らして翔太たちから遠ざかって行った。
「……残った猿たち、ど、どうなるんだろう?」
去っていった方角を眺めながら、縁は翔太から隠すようにして頬を拭っている。
からかったりしないんだから、隠さなくてもいいのに。
見られたくない気持ちはわかるから、翔太は縁から視線を反らした。
「残った中から、またボスが出るだろ。人なんか襲わないで、このまま山の奥で静かに暮らしてくれればいいけどな」
翔太は確認を頼むため、式を放って請負所へと飛ばした。
熊のほうは、あとでまた追加で式を送ればいい。
「こ……子ザルまでいるなんて、お、思わなかった」
「だな……」
やるせない気持ちに、翔太まで涙が出そうになる。
麓に降りて農作物を少し荒しているのとはワケが違う以上、倒すしかなかったとはいえ、平塚の狐たちといい、後味が悪い。
「猿ごときを倒して悦に入っているか? いい気なものだな……」
ぼそりと小声でありながら、それはあまりにもハッキリと聞こえた。
翔太は驚きに周囲を見渡した。
人がいる様子はない。
「誰だ! クソみたいなことを言いやがる! 俺たちはいい気になんて――」
櫻龍会の誰かがみていたんだろうか?
「弱い獣を倒して英雄気取りか?」
「ふざけるな! 俺たちだって、こいつらが人を襲わなければこんなことしやしない!」
「そもそも、獣が人を襲ってはいけないなどと、誰が決めた? 人は獣を殺して喰う癖に、我らが人を殺して喰ってなにが悪い?」
――また。
まただ――。
昨日の大猪も同じことをいった。
この声は櫻龍会のヤツらじゃあなく、妖獣か?
サッと木陰に黒い尾がみえた気がした。
「し、翔太! あ……あ、あいつ!」
縁の視線の先にいるのは、数メートル先にある木の枝に乗った狼だ。
その色は漆黒で、品川で見た灰色の狼よりもデカい。
「黒狼……? お、おまえは……兇……なのか?」
櫻龍会に伝わる話にしか聞いたことがなく、目にするのは初めてだ。
ただ、黒狼の兇は、櫻龍会の初代である雪と、その獣奇である妖狐、白影が倒したはず……。
そのときに兇が落とした呪いの黒狼が四頭いたという。
こいつはその中の一頭なのか?
名までは伝わっていないし、そのときを最後に今の今まで黒狼の姿をみたものはいない。
櫻龍会の現統領でさえ、その姿を見たことはないといっていた。
けれど、こいつが言い伝えの黒狼なんだとしたら、優人たちの宿敵だ。
「我が兇でないことは、きさまら櫻龍会が一番よく知っているはず」
「だ、だったら……おま、おまえはなんなんだ!」
叫ぶ縁の体が見てわかるほど震えている。
それに気づいたとき、翔太自身も震えが止まらないことに気づく。
怖いという感覚はないのに、体の芯から湧き上がる不穏な感情に、どうにも震えを止めることができない。
震えを怯えとみたのか、黒狼が卑しい笑みを浮かべているようにみえた。
目を反らしたら一瞬で倒されてしまう気がして、黒狼の瞳を睨みすえた。
「きさまらに名乗る名などない……知りたければヤツらを連れてこい……駿河国で待つと伝えろ」
大きく飛びあがった黒狼は、そのまま消えるようにいなくなった。
「ヤツらって……優人たちのことか……? 連れてこいってどういうことなんだ……?」
「す、駿河国にボ、ボクらがいくって知って……た?」
駿河国になにがあるというのか。
だいたい、駿河のどこへ来いというのか。
わからないことだらけの黒狼の言葉と、未だ止まらない震えに翔太は思わず大声で叫んだ。
「なんなんだ! なんで俺たちのところに妖獣が出る? せめて優人と駿人がいるときに来いよ!」
「し、翔太、おおお、落ち着いて……」
「落ち着いていられるか! あんないわれよう……大猪と同じことをいいやがって!」
オロオロと翔太をなだめようとする縁の頭の上に、式がヒラリと舞い降りてきた。
それをつかみ取って中を確かめる。
「木ノ内さんだ。箱根山の熊、片付いた……けど……」
「け、けど?」
「負傷者多数……黒狼にやられた……」
「あ、あの黒狼だ、だよね?」
急に不安に襲われて、翔太は急いで結界を解いた。
破られてはいないけれど、優人と駿人が心配だ。
あの二人に限って、と思うけれど、まさか黒狼に……。
縁を急かして、翔太は二人を探しに走った。