第17話 足柄下郡・芦野湯
芦野湯は二子山と箱根山の麓にある小さな温泉街だ。
美肌の湯といわれているそうで、女の子が多い。
ほんのりと硫黄の香りで、優人も駿人も顔をしかめているけれど、翔太は行き交う女の子たちを眺めながら歩いた。
宿の浴衣姿が多いけれど、翔太にはみんなが可愛くみえる。
「ハヤは縁と一緒に、先に宿をとってきてくれるか? 俺と翔太はこの先の請負所で様子を聞いてくる」
「わかった。すまないな」
「ご、ごめん。ボ、ボク……どうにも力が、は、入らなくて」
「縁、今日は大活躍だったもんな。部屋とったら、すぐ風呂に入って休んでろよ」
翔太は優人に引っ張られるように請負所に向かった。
道すがら、すれ違う浴衣姿の女の子たちに声をかけようとするけれど、全部、優人に阻まれた。
請負所では、案件はいくつか出ているけれど、麓の街道沿いに出るらしい、猪や狐、狸ばかりだ。
山の中の熊案件は、一般には出していないのか。
受付のカウンターを見ると、ちょうど狐の案件を請けている男が、地図を貰っているところだった。
「このあたり、ずいぶん集中して出ているようだな」
「だねぇ……ひょっとして、深玖里ちゃんも来ていたりして」
「……それはないだろう? 本所にいたって言うんだから、東都から下総国にでも行ったんじゃあないか?」
「そっか……そういやあ、最初に会ったのが武蔵国に入る手前だったもんな。またこっちに戻ってくるはずはないか……」
がっかりだ。
とは言っても、蔓華に会いに行こうというのに、深玖里を連れていくワケにもいかないんだから、これでよかったのかもしれない。
ただ、なぜか深玖里とはまた会うと、そんな予感だけが胸の奥に沈んで残っている。
「こんばんは! 櫻龍会の内村でーす!」
受付のカウンターで、依頼書の整理をしている女性に声をかけた。
顔を上げた女性は年配の人で、恐らく結婚しているだろう。
その辺はわきまえているつもりだから、手を握ったり軽口を叩いたりはしない。
もしも独身だったら、話はまた違ってくるけれど。
「箱根山の獣、最近はどんな感じですか?」
「いろいろと増えているんですよ。多いのは猪や狐に狸、それから猿でしょうか……」
「猿も? それでその依頼書が?」
手もとの依頼書に視線を落とした受付の女性は、黙ったままうなずいてから、それらを並べてみせた。
熊のほうは櫻龍会だけで対応しているけれど、猪などは一般にも開放していたという。
それが今日、下二子山で猪の妖獣が出たから、急遽、猪を引き下げ、猿の案件をだしているそうだ。
「アレか……確かにアレじゃあ、賞金稼ぎにはキビシイかもなぁ……」
狐や猿が出るのは箱根山の麓ばかりで、強羅や小涌谷、翔太たちがいるこの芦野湯を通って元箱根までと広範囲に渡る。
中には人を襲う獣もいるから、早い対応を望んでいるといった。
櫻龍会も熊と猪がどの程度いるのかわからないから、ほかまでは手が回らないかもしれない。
といって、ここにだけ手を増やすのも難しいだろう。
「下二子の猪、ここで清算されます?」
翔太と優人が考えあぐねていると、受付の女性にそう聞かれた。
「そうだなぁ……上二子の熊も一緒にお願いできます?」
「大丈夫ですよ。今、用意してきますね」
女性は奥に声をかけると、壁に依頼書を貼りにいった。
数分待って、戻ってきた女性から、用意された封筒を受けとり、請負所を離れた。
「猿まで荒れているのかぁ……明日、邪魔にならないかな?」
「場合によっては……な」
「狐や猿の案件を請けている賞金稼ぎがいるなら、結界張るのも気を遣うよなぁ……」
面倒だけれど、仕方がない。
どのみち、小涌谷の方面から仲間たちがくるなら、結界の範囲には気を配らなければならないんだし……。
「なんかなぁ……駿河国がやけに遠く感じるよ」
「これまでは移動中の案件のほとんどが、ただの獣だったし、数もそうなかったからな」
「櫻龍会のほうからいけって言ってくれているのにさ、全然進めないじゃん?」
「あちこちで依頼がこんなに出ているなんて、そうそうなかったからな」
「まったく、いい加減、嫌になってくるよ」
宿までの道のりを、愚痴をこぼしながら歩いている背中を、優人が強く叩いてきた。
漠然と感じていた不穏な思いがジワジワと広がっている。
今夜は縁に合わせて、早めに休むことにしよう。
「とにかく、近ごろはなにかおかしい。翔太、くれぐれも油断をするなよ?」
「わかってるよ。ここから先は、出会う全部が妖獣だと思って対応する」
翔太が倒れることになったら、優人を困らせてしまう。
普段はともかく、戦うときには常に全力で臨まなければ。
今までも、手を抜いたつもりはないけれど、結界を破られ、符術で倒しきれないことが続いた。
不甲斐ない、という言葉が胸をよぎる。
「また手こずって、安養寺にガタガタいわれたくないしな」
翔太がそういうと、優人は大きな笑い声をあげた。
「安養寺より、翔太や縁のほうが腕が上だ。安心しろよ」
優人は世辞を言わない。
本当にそう思ってくれているんだろう。
だからこそ、翔太はもっと強くなりたいと、ならなければいけないと、思っている。