第5話 白狐・白影
大雨のなか、助けを呼ぶ声は白影にもはっきりと聞こえた。
傘をかぶって家を飛び出した雪と岳のあとを追って走るも、大雨が視界をさえぎってろくに前もみえない。
雪が眷属である山犬の霧を呼んで、助けを呼ぶ人の気配を探らせている。
霧の鼻でもこの雨では臭いの嗅ぎわけができないようで、結局なにも見つけられないまま村はずれまで来てしまった。
雷が落ちたのか、大木が倒れていて、岳がそのそばへ駆け寄った。
閃光が辺りを包んだとき、一瞬、迅の姿がみえた気がした。
駆け寄ろうとした雪を霧が止め、白影に雪と岳を守るように指示をだしてきた。
山犬ごときに指示されるまでもなく、白影はもとより二人を守るつもりだ。
唐突に雨音をかき消すほどの咆哮が響き、雨粒を避けるように目を細める。
「なんだよぅ……あいつ……」
霧に相対しているのは真っ黒な獣だ。
こっちには獣師が二人もいて、眷属である白影も霧もいるというのに、まるで余裕の態度にみえる。
「何者だ?」
霧の問いかけになにも答えない。
そいつはいきなり岳に向かってきた。
「岳! 危ない!」
白影は岳の前に躍り出て、伸ばした尾で獣の爪を弾いた。
間近にみて、獣が黒狼だとわかった。
「白影すまない……助かった。雨で良くみえなかったけど、あれは黒狼か?」
「黒狼? まさかこいつは獣奇?」
岳と雪はその姿をしっかりと捉えられずにいるようだ。
「うん、黒狼だよぅ……血の臭いにまみれていたよぅ」
「助けを呼ぶ声が聞こえたなら、こいつが村を襲ったのかもしれない」
霧が雪にそう告げる。
岳も雪も懐にしまった短剣を出して構えた。
「……獣奇だとしたら放っておけないぞ」
「うん。村の人たちも心配……早く倒さないと……」
黒狼がまた咆哮をあげた。
それはまるで笑っているようだ。
「我を倒すと? 獣師さまはたいそうな自信があるようだ。ただの人間のくせに」
今度は雪を襲って飛びかかっていく。
それに霧が対応すると、黒狼は唸って牙をむいた。
「こやつの使役しているのは白狼だと聞いていたが……たかが山犬か……」
たかが、と言われたことに霧が憤ったのがわかる。
白影は霧をあまり好きじゃあないけれど、その言い草には腹が立った。
「白影、こいつは俺に任せてくれないか。あんたは二人を守ってほしい」
「……うん……うん、わかったよぅ」
迅ほどではないにしても、霧も強い獣奇だ。
任せておけば安心だろう。
「岳、雪、ここは霧に任せてあたしたちは村の様子をみにいこうよぅ」
二人を促し、村の中を確認しようと足を向けたのと同時に、二匹の獣が激しく争う声が聞こえた。
ガウガウと激しい唸り声と、水の跳ねる音が遠ざかる。
雨足が少し弱まり、雷鳴も遠ざかったようだ。
短剣を握ったまま傘をあげた雪が、駆けていた足を止めた。
先頭を走っていた白影は、雪を振り返る。
「ひどい……こんな……」
雪のつぶやきはもっともで、雨に打たれた村の中は、通りのあちこちに人が倒れ伏している。
岳が駆け寄って彼らを確認するも、みなすでにこと切れていた。
弱まった雨のおかげで、白影には村全体の気配を感じることができた。
――残った人の気配がない。
中には雪の親しくしていた人もいるだろう。
小さな村だ。
ほとんど全員が顔見知りに違いない。
雪は倒れた一人の前にひざまずき、膝がしらを両手で握りしめている。
ずぶ濡れでも泣いているのがわかった。
「雪……泣くなよぅ……」
雪の背にすり寄り、慰めるように尾でその背中を撫でた。
岳は倒れた人々に順に手を合わせている。
ギャンと大きな叫び声が聞こえてきた。
霧が決着をつけたのだろう。
ホッと一息ついて、岳を振り返る。
「――岳!」
たった今、亡くなった村人に手を合わせていた岳が倒れている。
駆け寄ろうとした顔に衝撃を受けて、白影は雪に体当たりをするように倒れた。
額から血がしたたる。
「山犬ごときに我がやられると思ったか! 忌々しい獣師とその手下どもめ!」
「きさま! 岳になにをしたぁ!」
倒れた岳が動かない。
街道を濡らす雨水に、赤い色が広がっていく。
白影は毛が逆立つほどの怒りを覚えた。
「雪、逃げるんだよぅ! ここはあたしに任せて、逃げて迅をまつんだよぅ!」
雪は茫然としたまま黒狼を見つめて動かない。
霧を失ったかもしれないショックのせいだろうか。
黒狼に飛びかかられ、白影の胸もとを裂かれた。
「つっ……雪! 早く逃げてぇ……」
次の攻撃で尾の半分ほどが切断された。
痛みについ悲鳴が出る。
やられっぱなしではいられない。
黒狼が身をかがめた瞬間、後ろ足を庇うようにしていることに気づいた。
霧だ。
きっと霧がやったんだ。
白影は飛びあがった黒狼の攻撃を辛うじてかわし、後ろ足に思いきり噛みつくと、そのまま首を捩じった。
ボキリと鈍い音がして、骨が折れた感触が口に伝わる。
黒狼がたまらずギャウンと声をあげ、後ろ足を振り回して白影の牙を振りほどいた。
「おのれ忌々しい狐め! 山犬同様、切り裂いてくれる!」
白影の首を狙って牙をむいた黒狼を避けた。
避けたつもりだった。
目をやられて目測を誤り、噛みつかれた前足がもぎり取られた。
倒れた白影の視界に、首を噛まれて家の壁に叩きつけられた雪の姿が入った。
黒狼は満足そうに遠吠えをあげている。
雪はぐったりしたまま動かない。
首をやられては、息があっても長く持たないだろう。
「雪……守れなくてごめんよぅ……」
白影は残る力を振り絞って岳のそばに寄った。
「岳……岳?」
周辺を真っ赤に染める血は、岳の首もとから流れている。
雪と同じだ……。
確かめるまでもなく、岳はこと切れている。
「岳ぇ!!! きさまぁ! よくも……よくも岳を……」
「我は黒狼の兇……きさまたち獣師とその手下を滅ぼす名だ。死にゆくきさまに名乗ってやるだけありがたいと思え」
白影の叫びをあざ笑うように吠えた黒狼は、そう言い残して村を離れた。