第3話 獣師・羽後の雪
迅を見送ってから、雪は村で畑の手伝いをしていた。
今朝は早くに村の男衆が海へ漁に出ていって、畑の手が足りなかったらしい。
「雪ちゃん」
呼ばれて振り返ると、同じ獣師の岳が人の良さそうな笑みをたたえて立っていた。
「岳ちゃん、久しぶりじゃあない? 今日はどうしたの?」
「うん……ほら、最近はやけに物騒なことが多いだろう? 雪ちゃん、どうしているかと思ってさぁ」
「岳ちゃんのところも? このあいだ、お蝶さんと会ってきたんだけど、向こうも同じみたい」
「六さんも太兵衛さんもだって」
羽後のほとんどの獣師が、妖獣が荒くなっているといっている。
ほかの地域はどうなんだろう?
岩代や磐城とか、それよりももっと西のほうとか……。
「なんだか気味が悪いよねぇ。俺のところは川沿いに集落が続いているから人も多いし、心配になるよ」
「なにかあったら声をかけてよ。岳ちゃんのところから一番近いのは私なんだもの。手が足りなかったら遠慮なく言ってね?」
「雪ちゃんこそ、なにかあったら声をかけてよね。ところで今日は、迅はいないの?」
「樹士王さまのところへ行くっていってね、朝のうちに出かけていったの。もうお昼を過ぎるのに、まだ戻らないのよ」
岳の眷属の白影が姿をみせた。
真っ白で胸のあたりだけ毛足が少し長い白影は、スラッとしてとても可愛らしい。
迅のやや黄みがかった白とは違って、銀色に輝くほどの白さだ。
「白影、いつも奇麗ねぇ……」
「そうお? 最近はねぇ……忙しいでしょう? 毛づくろいもろくにできないのぉ……」
白影はしょんぼりうつむく。
「そうなの? でも今日もとっても奇麗よ?」
尻尾を大きく揺らして目を細める白影は、嬉しそうに含み笑いを漏らした。
「ありがとぉ。そういってもらえると嬉しいわぁ」
ざわざわと木々を揺らして風が吹き抜けた。
まだ昼だというのに、あたりが薄暗くなっていく。
いつの間にか、すぐそこまで雷雲が迫っている。
「やだ……雷雲がきてる。通り雨だといいんだけど……」
「本当だ。急に暗くなったなぁ……」
岳が言いかけたとたん、大粒の雨がバタバタと落ち始めた。
畑仕事をしていた村の人々は、大慌てで家へと駆けていく。
雪も岳と白影をうながして家へと招いた。
「きっとすぐにやむと思うから、ついでにお昼でも食べていってよ」
「悪いなぁ……雨がくるなんて思ってもいなかったから……手みやげでも持ってくれば良かったよ」
「そんなこと、気にしないでよ。大したものは出せないんだから」
囲炉裏に火をかけたとき、外で雷が光った。
直後、大きな雷鳴が響き、白影の尻尾が大きく膨らんだ。
「近くに落ちたのかしら? すごい音だったね」
「うん、雨もひどいなぁ」
雨音はさっきより大きくなり、何度も雷が鳴っている。
雪は迅がまだ戻らないことで、少し不安になった。
「迅……大丈夫かしら……」
「樹士王さまのところなら、迅の足だとすぐだろうけど、この雨と雷だから、どこかで雨宿りでもしているんじゃあないか?」
「そうね。いくら獣奇でも、この雨じゃあ走るのもしんどいだろうしね」
窓のすだれを下げて、雨が降り込んでくるのを防いだ。
不意に外でなにか聞こえた気がする。
下げたすだれをまた上げて、外の様子を窺ってみる。
「雪ちゃん? どうかしたかい?」
「うん、今ね、なにか聞こえたような気がして……」
「雷が酷いから、近くの子どもが怖くて泣いているのかな?」
「ん……そういう感じじゃあないような……」
激しい雨に視界が遮られて、村の様子がよくわからない。
なにか嫌な予感がする。
目の前が突然、真っ白に光り、轟音とともに地面が揺れた。
「これは相当、近いところに落ちたんじゃあないか?」
岳も立ちあがり、雪の隣に来ると外の様子をみた。
「漁に出たみんなは大丈夫かしら? 風も酷いし波が荒れそう」
「きっと、もう引き返してきているんじゃあない? さすがにこれじゃあ危険すぎるよ」
「そうよね……」
また、雷が響く。
その直後、今度ははっきりと聞こえた。
――たすけてぇ!
雪は岳と顔を見合わせた。
「今の、聞こえた?」
「うん。雷が住居に落ちたのかも」
「行こう。助けに行かなきゃ」
雪と岳は傘をかぶると、家を飛び出して助けを呼ぶ声のほうへ駆けだした。
「霧! そこにいる?」
雪は眷属である山犬の霧を呼んだ。
影がゆらぎ赤茶の大きな体が現れると、走る雪の横に並んだ。
「すごい雨だな……雪、なにかあったのか?」
「雷が落ちたみたいで助けを呼ぶ声が聞こえたの。場所、わかる?」
霧は走りながら左右をみるも、雨が強すぎて臭いが良くわからないという。
山犬の鼻をもってしても場所が特定できないのか。
傘がなんの意味もなさず、雪も岳も外に出て間もないのにずぶ濡れだ。
村のはずれまで来たとき、大きな杉の木が倒れているのがみえた。
誰か下敷きになっていないだろうか?
岳と二人で駆け寄る。
「誰かいるか! 助けにきたぞ!」
岳だ叫んだのと同時に、また稲光が辺りを包んだ。
一瞬、見覚えのある影が目に入った。
「迅! 迅? 戻ったの?」
その影に駆け寄ろうとすると、目の前に霧が飛び出してきて影に向かって唸った。
「雪! 下がれ! 白影! そこにいるか!」
「うん! いるよぅ!」
「雪と岳を守れ!」
霧の向こうから、聞いたことのない咆哮が聞こえた。