第21話 足立郡・本所の古獅子
本所の街なかは偉い人の屋敷や蔵などが多い。
こんな場所では古獅子もいないだろう。
横川を渡って、野犬が見かけられるという押上や柳島へ向かった。
寺の見えてきたあたりで、縁炎を呼ぼうとして思いとどまる。
「また遊びたいとか言われると困るもんね」
深玖里は櫂風を呼んだ。
周辺を探ってくれるように頼むと、深玖里は寺の中へ入った。
辺りは暗くなってきて、人の姿はみえない。
木々が多く茂っていて、小さな森のようだ。
古獅子の雷嶺は、ここに住んでいるような気がする。
呪符を出して浮蝶を飛ばし、森の中を探ってみた。
木々のあいだに見えなくなると、深玖里の周囲を囲んでいる気配に気づく。
それはどうやら狸のようで、きっと雷嶺の側使いだろう。
そっとカバンから木彫りの犬を出した。
コロリと足もとに落とし、囁くようにつぶやく。
「来・犬・風……霧牙!」
霧牙は現れたと同時に細く遠吠えを響かせた。
狸たちの気配が薄くなり、代わりに森の奥から強い気配が漂ってきた。
「光葉の遠峯が使いか」
「はい。雷嶺さまには初にお目にかかります」
深玖里と霧牙の前に現れたのは、深玖里の倍以上もありそうな大きさの獅子だった。
獅子を見たのは初めてで、こんなに大きいとは思わなかった。
「近ごろはこの辺りにも不穏なことが多いようで、遠峯も胸を痛めております」
「犬どもが目障りな動きをしているようだ。荏原のほうでは品川の翔龍も同じことを言っていた」
荏原……というと、翔太と優人が向かったはずだ。
ひょっとすると、同じ件で櫻龍会からなにか依頼が出ているんだろうか?
だからこっちへ賢人が来ているのかもしれない。
野犬の案件が出ているのは、数が多いから妖獣以外を深玖里のような賞金稼ぎに回しているのだろう。
妖獣は金額が高い。
駿人が言っていた「稼げる」の意味は、こんなふうに妖獣だけを櫻龍会で押さえているからか。
「そうですか……ここのヤツらは我ら……ここにいる若山深玖里に任せていただきたいのです」
獅子の目が深玖里を向いた。
金色の瞳が細くなる。
「――か」
「……え?」
雷嶺がなにかを言ったけれど、深玖里には聞き取れなかった。
雷嶺はそのまま深玖里がここに存在していないかのように霧牙といくつか言葉を交わし、森へと戻っていった。
「深玖里、行こう」
「どこに?」
「……どこにって、依頼を請け負ったんだろう?」
霧牙が呆れた目つきで深玖里をみて、ため息をこぼした。
「あ、そうか。今、櫂風に周辺を探ってもらってるんだよ」
総門を出て亀戸の田んぼが広がるほうへと歩く。
大和田や三沼のように、背の高い草木は少なく、風の通りがいい。
「三沼で会った、賢人も依頼を請けているみたいなんだよ」
「――あの男か」
霧牙は吐き捨てるようにいう。
賢人のせいで沼に飛び込んだことを思い出したんだろう。
「アイツの武器。あれをここで繰り出されたら危ないじゃない? 三沼より人も多いんだし」
「合流するつもりなのか?」
「だってさ、結界、張ってやったほうがいいでしょ」
「……お人好しめ。まあいい。ここなら水に飛び込まなくても済みそうだ」
「まあね。来るとわかっていれば避けようもあるし」
「それにしても、あの男……妙な気配で嫌な感じだ」
霧牙はイライラしたように唸り声をだした。
そういえば、火狩が駿人を警戒しているふうだったのを思い出す。
駿人と賢人、優人ともう一人……。
兄弟だと駿人は言っていたけれど、一体、何者なんだろう。
「とにかく、櫂風が戻ったら賢人を探し出さないと。霧牙、アイツを探せない?」
霧牙はひどく嫌そうに首を落とすと、一息ついてから空を仰いで鼻を利かせた。
「まだなんの気配も感じないな……あの男はもとより野犬のほうもだ」
霧牙が言い終わるのを待っていたかのように櫂風が戻ってきた。
「深玖里、まだこの辺りはなにもなさそう」
「そっか……やっぱり動き出すのは深夜かな……」
「近隣の稲荷社でも、良く見るのは深夜だって言ってた」
「わざわざ聞いてきてくれたんだ? ありがとうね。それじゃあ、二人ともいったん戻って。宿に帰って仕切り直す」
符術を唱えて霧牙と櫂風を帰すと、宿に戻って深夜になるのを待った。