第19話 三沼・山犬案件完了
賢人があの鎌のように反った刃の武器を振るうたび、風が凪ぎ、それが刃物みたいに吹きつけてきている。
深玖里も霧牙と火狩も、幸いなことにそれを避けていられるけれど、もしも周辺に人や無害な動物がいたら……?
ここへ来るまでに、結界は張っていなかった。
周辺をぐるりと見渡す。
翔太も優人もいる気配はない。
「霧牙、火狩、半周ずつ急いで周辺探ってきて。結界を張る範囲を……」
深玖里が言いかけたとたん、ギャウと短く大きな叫び声が響いた。
顔をあげると、賢人の武器が大きな体の山犬を貫いている。
あれが妖獣で、仕留めたんだとわかる。
あちこちに転がっているのは、山犬の群れだ。
「ちょっとアンタ!!!」
深玖里は賢人に駆け寄ると、その胸ぐらをつかんだ。
賢人は息を浅く繰り返し、武器をおろしている。
「結界! 張ってないんだけど! なにやってんのよアンタ!」
「……キミには関係ないだろう?」
「関係ないワケないでしょう! アタシはたった今、そこで依頼をこなしていたの!」
深玖里が受けた依頼だけじゃあなく、山犬が集結しているのはわかっていた。
対応しようと結界を解いたとたん、賢人の攻撃が飛んできて沼に飛び込んでそれを避けた、そう怒鳴った。
「おかげでコッチはびしょ濡れよっ!」
「……それは……悪かった……」
「だいたい、結界も張らずにあんな大技を繰り出すなんて……近くに人がいたらどうするつもりだったの!」
「この辺りの人には、家から出ないように言い含めてあるよ……」
「住人だけに言ったって、ほかの誰が通るともしれないじゃない!」
賢人はうつむいて黙ってしまった。
深玖里よりも背が高いけれど、前髪が目にかかるくらい長いせいで、その表情はみえない。
「アンタも櫻龍会なんでしょ? 協働のヤツはどこにいるのよ!」
「おれは協働はいない……」
「だったら内村翔太よ! アイツと優人? 二人はどうしたのよ!」
「あの二人とは、千木良の茶屋で偶然会って……あのあと別れたきりだ」
深玖里は呆れかえって大きくため息を漏らした。
「アンタねぇ……退治中は結界を張るのが基本でしょ。もっとも、いきなり出くわしたりしたら間に合わないこともあるけどさ……」
「……犠牲をだすような真似はしないよ」
「当り前よ! けど実際、アタシはこんなじゃない! こんな仕事してなかったら、最初の風で大怪我してたんだから!」
「とにかく、悪かった。おれはもう行くから、キミも早く宿に帰って温まったほうがいい」
武器に皮袋をかぶせて肩に担ぐと、賢人はさっさとその場を離れようとする。
びっくりして行く手を阻むように前に立ちふさがった。
「なにやってんのよ? コレ、申請に行かないと……」
「おれは依頼を請けてきたんじゃあないから。キミが申請してくれればいい」
「馬鹿行ってんじゃないわよ! 自分の仕事じゃないのに申請なんかできるワケないでしょ!」
賢人は目を見開いて深玖里を見おろした。
「……守銭奴だと思ったのに、意外なことを言うんだな……」
独り言のつもりでつぶやいたんだろう。
けれど、それはハッキリと深玖里の耳に届いた。
カッとして横っ面を引っぱたいてやった。
頬を押さえて賢人は驚いた表情をみせる。
「馬鹿にするんじゃないわよ! アタシはねえ、他人の手柄を横取りしてまで稼いだりしないんだから!」
「……ごめん。そんなつもりで言ったわけじゃあないんだ」
「とにかく、このままにしておけないでしょ? 請負所、行くわよ!」
ずぶ濡れになって不機嫌なままの霧牙と火狩を帰し、賢人の袖をグイグイと引っ張って請負所へと向かった。
請負所では、受付の女性がすぐに対応してくれて、上尾や岩槻へも連絡を取ってくれている。
やっぱり両方で依頼は出ていたけれど、まさか三沼に向かっているとは思わなかったらしい。
急遽、三沼で新たな依頼書が発行されて、申請が受け付けられた。
「こんな深夜にごめんなさい」
「いいのよ。これが仕事なんだから。使い魔がいるって言っていたけど、まさかカレじゃあないわよね?」
「違いますよ~。上尾と岩槻の群れは、あいつの仕事なんです。偶然、出くわして」
「そうなの。それにしても早かったわね。助かったわ」
確認が済み、案件はきっちり二つに分けてもらい、上尾と岩槻のぶんは賢人に払われた。
賢人は恐縮しながら受付の女性から懸賞金を受けとった。
「――さむ。深夜になると冷え込むなぁ」
田んぼを吹き抜ける風がやけに冷たい。
賢人は苦笑いで「濡れてるからだ」といった。
「宿に戻って、ゆっくり湯につかったほうがいい。風邪でも引いたら滞在費がかさむんだから」
「アンタはどうするのよ?」
「おれはこれから、東都へ向かうんだ。本所に用がある」
深玖里が声をかける間もなく、賢人は鳩ケ谷のほうへ向かって走っていってしまった。
「……なんなのよ、もう!」
暗闇に溶けて見えなくなった方向をみつめ、大きなくしゃみが何度もでる。
深玖里は仕方なく一人で宿へと戻った。