第17話 足立郡・三沼の山犬
宿では夕飯を断って、替わりにおにぎりをいくつか握ってもらっておいた。
疲れのせいか、ぐっすり眠れて、目が覚めたらもう深夜だ。
急いで出かける仕度をし、カバンに入った呪符を確認する。
「あ~……だいぶ減ってきてるか……」
この依頼が片付いたら、札紙を買って新しい呪符を作らなければ。
もう一度、鏡をみて身支度を整え直す。
カバンをたすきに掛け、宿の主人に断ってから三沼へ向かった。
今夜はやけに涼しい気がする。
ついこの間まで、日中の日差しの強さに閉口していたのが嘘のようだ。
三沼が目前に迫ったところで、霧牙が戻ってきた。
「深玖里、ヤツらの目的がわかったぞ」
「やっぱり目的があったんだ?」
「ああ。近く、東都の本所あたりにいる古獅子『雷嶺』さまを襲うつもりでいるらしい」
「本所……? 古獅子って、東都には特定の主はいないよね?」
和国の各地に、それぞれの地や山を守る主はいるけれど、東都にはそういった妖獣や獣奇はいないといわれている。
その昔、最後の獣師が倒れたときに、いなくなったと言い伝えが残っていた。
「特定の主はな。とはいえ、各地を守っている妖獣は、東都のあちこちにいるだろう?」
「そうだけど……なんでその古獅子だけが狙われるんだろう?」
「さぁ……遠峯さまは、そこまで詳細にはお話しにならなかった」
「えぇ……遠峯のところまで行ってきたの?」
「もちろん。武蔵国の一帯にいる山犬の話しを聞くなら、一番情報が集まるのは遠峯さまのところなんだから」
「あとでお礼に行かなきゃいけないじゃん……まあ、どのみち帰れば顔は出すけどさ」
そうだ。
普通なら、霧牙をやったところで、詳細な情報など得られない。
それが今回は情報を流してきた。
ということは、遠峯も手を焼いているか、あるいは集結を阻みたいのかもしれない。
ならば今、ここでヤツらを倒して、恩を売っておくのが得策か。
「霧牙、今回は三十を超えるくらいいる。手、貸してくれる?」
「ああ。遠峯さまにも念を押された。それに、ここには近くに妖獣がいるぞ」
「となると、そいつが群れの頭か。そいつは最後にしないと、群れがばらけて取り逃すか……」
霧牙は鼻を鳴らし、周囲を探っている。
そのあいだに深玖里は火狩を呼んだ。
「深玖里、三沼は広いけど、対岸にも群れがうろついている。結界を張るなら、沼を囲うようにしないと駄目だ」
「えぇ……広いな……けどまあ、仕方ないのか……一匹でも逃すわけにはいかないし」
がっくり肩を落として呪符を散りだした。
「禁・縛・呪・結! 結界!」
呪符の背を指でなぞり、空へ投げた。
パッと散って四方へ飛ぶのを確認してから、太刀を抜く。
「霧牙、火狩、ヤツらに追い込みを。左右から回り込んで、対岸で示し合わせよう」
霧牙と火狩が左右に分かれて沼岸を走る。
深玖里は少し間をおいてから、火狩のあとを追った。
火狩の追い込みから逃れた山犬たちが深玖里のほうへ駆けてくる。
呪符を使うか一瞬迷って、使うのを止めた。
山犬は三頭、これなら太刀だけで十分に渡り合える。
「烈・風・刃!」
大きく太刀を引き、風を巻くイメージで切っ先を左から右へと振りぬいた。
つむじ風が巻き起こり、山犬たちを切り裂き、ドサドサと肉片が散らばる。
初めてやってみたけれど、深玖里自身が引くほどの威力だ。
「この太刀の力のせい……? こいつ……こういう使いかたもできるのか……」
かつて父親は、この刀を『妖鏡』と呼んでいた。
刀の号にも銘にも興味はないから聞き流していたけれど、なにか意味があるのかもしれない。
とはいえ今はそれどころではない。
まさかここまで威力があるとは思いもしなかった。
火狩はもとより、結界の中に紛れ込んでいる人がいやしないか、もう一度慎重に探った。
うっかり斬ってしまった……などと、今のをみては、冗談でも言えない。
人の気配は感じないけれど、前方にいる火狩との距離感が掴めず、相変わらず追い込みから逃れてくる山犬を、通常の攻撃でかわした。
霧牙のほうはどうなっているだろう。
今のところは、背後から追いかけてくる気配もない。
沼岸は大和田の河川敷と同じくヨシが茂っている。
時折、潜む山犬がいないかと、太刀でヨシを切り倒しながら走った。
ふと、視線を感じて立ち止まる。
「……誰かいる?」
尾賀山で猪を探っていたときの感覚に近い。
このところ、依頼を受ける件数が多かったから、賞金稼ぎが深玖里の足もとを掬おうとでもしているんだろうか?
そこらの賞金稼ぎやチンピラに狙われたところで、深玖里にとっては大した問題じゃあない。
縁でもあるまいし、ビビったりもしないけれど、余計な手出しをされると面倒だ。
「来・狐・風! 櫂風!」
木彫りの狐で妖狐の櫂風を呼び出した。
「櫂風、探索お願い。結界を出て、沼岸を一周してみてくれない?」
「結界を? そりゃあ構わないけど……なにを探すの?」
「人がいるかどうか。それと、囲えなかった山犬がいないか」
呪符を出して裏に櫂風の名を書き、背中に貼ってやってから符術を唱える。
「呪・鍵・封・解!」
パリッと小さな音を立てて、櫂風の周囲を小さく結界が包む。
こうすると、深玖里の張った結界を壊すことなく出入りができるようになる。
早々に出ていく櫂風を見送ってから、また火狩を追った。