第29話 武蔵国・遠峯
光葉の家を出てから、いつもの庵の前まで来ると、霧牙と火狩を呼びだした。
「あんたたち、これから遠峯のところまで案内してくれない?」
「その必要はなさそうだぞ? 珍しくその格好をしているということは、家に戻ったのか?」
「まあね。相変わらず嫌な家だったよ。多由螺が思いのほか元気そうだったから良かったけどね」
霧牙の問いかけに答えたあと、深玖里は庵の扉を開いた。
火狩が尻尾を揺らして深玖里の膝を叩く。
「遠峯さまは、ここへいらっしゃるおつもりのようだ」
「そうなの? んじゃあ、庵の中で待とうかな」
中へ入り、囲炉裏に火を点けていると、戸口に遠峯が姿を現した。
今日は緋狐は一緒じゃあないようだ。
「遠峯、早かったな。わざわざ来てくれるなんて思わなかった。オレのほうから挨拶に行くって、使いを出したろ?」
「連れがいるのであろう? ならば早く戻れるほうが良いのではないか?」
「そりゃあ……けど、遠峯がここまで出向いてくるなんて、なんか裏がありそうじゃん?」
ククッと小さく笑った遠峯は、やっぱりなにか腹に一物があるようだ。
また、熊の被害でもあったんだろうか?
「深玖里は考え過ぎだ。我らは単に、深玖里を気に入っているから与えるだけだ」
「ありがとう。そう言ってもらいえると有難いけどさ……今日はオレ、遠峯に聞きたいことがあるんだよ」
「……黒狼のことか?」
「そう。遠峯も知っていたんだ?」
「関八州に散っている我らの仲間のあいだで、すでに話題になっている。西のほうは、まだなにもわからんが」
「そうか……」
遠峯は西の国には疎いという。
今は各国の主たちが、情報収集に勤しんでいるらしい。
「遠峯は、黒狼の兇について、なにか知っているのか?」
「いや。我は当時、まだ幼かった。先代の主であった光嶺さまが獣師とともに戦ったことは記憶している」
「そのとき、勝てなかったんだろ?」
遠峯は当時を思い出しているのか、グルグルと小さな唸り声をあげた。
黒狼の兇に倒されたあと、主たちの治めていた地はすべて黒狼の手のものに押さえられ、光嶺の仲間のほとんどが殺されてしまったそうだ。
遠峯が生き残ったのは、緋狐ともども遠江国の樫旺に保護されたからだという。
樫旺も当時はまだ若かったけれど、火剣山には火龍の獣奇がいたおかげで、無事でいられた。
「深玖里が寄越した猫と狸……あれは樫旺のところの妖獣か?」
「うん、そう。緋狐がオレの眷属だと思ったらしい。それで、あの二人を眷属にしてくれって」
「そうか。まだ若いようだが、使えそうなヤツらだった。良い手のものをいただいたな」
遠峯のお墨付きなら、本当にいい仲間としてつき合えるだろう。少しばかり、堅苦しいのが難点だけれど。
「結局、遠峯も黒狼については良く知らない、ってコトなのか?」
「そうだ。桐子には、なにも聞いてこなかったのか?」
「まだ話すときじゃあないって言われた。それから、親父が畿内に行っているんだ。畿内って今、妖獣や獣たちが集結しているんだよな?」
遠峯の耳がピッと立ちあがり、口もとがワナワナと震えている。
「深玖里――櫻龍会に入ったそうだな?」
「ああ。成り行きでね」
「ならば、先ずは本部へ行け。我らも情報は集めている。緋狐も同じだ。なにかあれば、いつでも使いを寄越すといい」
遠峯までも、桐子と同じことをいう――。
そして、こう言うということは、これ以上の話は聞けないんだろう。
「桐子さんにも、同じことを言われた。ちょうどこれから、櫻龍会の本部に行くところなんだよ。そこでなにかあったら、すぐに報せる。今日は会いに来てくれて、本当に助かったよ。ありがとう」
深玖里が頭をさげているあいだに、遠峯は去っていった。
結局、なにもわからないままだ。
わざわざ遠回りに足を運んでこれじゃあ、到底納得などできるものじゃあないけれど、逆に、櫻龍会の本部へ行けば、なにかがわかるということだ。
「火狩、霧牙、帰ろう」
「街まで戻るのか?」
「いや……不本意だけど、今夜は家で寝る。朝、日が昇る前に発つよ」
囲炉裏の火を消して家まで戻り、気配を殺して別棟へと忍び込んだ。
中に入ると、布団が敷かれている。
「水野か……」
ここへ泊まるとも言わなかったのに、気を利かせて準備してくれたんだろう。
深玖里に付いている使用人たちは、深玖里があとを継ぐことを望んでいる。
戻るのを待ち、こうしてなにかと気に掛けてくれるのはありがたいけれど、重い。
家を出たばかりのころは、思い悩んだりもしたけれど、五年も経つと思いも薄れる。
布団にもぐり込んで包まり、嫌な感情が湧く前に眠りについた。
――翌朝――
まだ暗いうちだというのに、水野が朝餉を運んできた。
無下にするわけにもいかず、仕方なく食事を済ませ、水野の先導で玄関から帰ることになった。
「いいよ、オレは裏から出るって」
「いいえ。いけません。きちんと正門からお出かけになってください」
押し問答になっても面倒だから、仕方なしに玄関から出ると「待ちなさい」と桐子に呼ばれた。
「守袋は?」
家に戻るたび、桐子にお守り袋を渡されている。カバンからそれを出し、桐子に返すと、新しいお守り袋を手渡された。
返したお守りを手にした桐子は、フッと小さくため息を漏らしている。
もしかして、呪いでも掛けられているんじゃあないだろうか? と、ゾッとするけれど、捨ててしまうほど薄情ではない。
「いってらっしゃいませ」
深々と頭をさげる水野に見送られ、深玖里は光葉山を降りた。




