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獣奇抄録 ~神炎の符と雪原の牙~  作者: 釜瑪秋摩
若山 深玖里 其の二

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第28話 武蔵国・光葉の兄弟

 母屋の脇を生垣伝いに裏庭へ回ると、別棟が二棟建っている。

 別棟とはいえ、母屋よりわずかに小さいだけの、立派な家だ。

 一棟は弟の、もう一棟は、深玖里の住む場所だった。


 中庭に面した縁側を、時折、使用人たちが通り過ぎていく。

 彼らに見つからないよう、深玖里(みくり)は植木に身を寄せて隠れながら移動していった。


 弟の多由螺(たゆら)に会いに来るときは、いつもこうして密かに屋敷に入り込んでいた。

 門から入ると、今日のように面倒なことになるからだ。


(とは言え……顔を出さなすぎるのも問題か? 侵入者だなんて言われたのは初めてだ)


 縁側のガラス戸を、音を立てないようにソッと開き、靴を脱ぎ捨てて中へ入る。

 コンコンと咳が聞こえ、部屋の主が布団から身を起こした影が、障子に映った。


「多由螺? 起こしちゃったか?」


 障子戸を開き、弟に声を掛けた。


「ううん、起きていたよ。深玖里兄さん、久しぶり」


 多由螺の部屋に上がり込み、縁側の左右を見て人が来ないうちにそっと障子を閉めた。

 まだ寒い季節ではないけれど、夜風を部屋へ入れたくなかった。


 多由螺は子どものころから体が弱い。

 大人には、なれないんじゃあないか……などとみんなが言っていた。


 跡取り候補とされているのは、緋十夜(ひとよ)、深玖里、多由螺の三人だけれど、多由螺は病弱なせいで、連続して符術(ふじゅつ)を使うことができない。

 だから緋十夜付きの使用人たちからは、多由螺は候補にはなり得ない、などと言われている。

 深玖里にとっては、それも腹立たしくて、この家の嫌なところでもある。


「少し、背が伸びたか?」


「うん、最近はご飯もたくさん食べているよ」


「そうか。顔色もいいもんな。この調子なら、冬の夜祭りにも行けそうだな」


「そうかな?」


「オレ、今はまだ旅の途中だけど、祭りのときには帰ってくるから。そうしたら、一緒に行こう」


 毎年、日野(ひの)の先の街では、夜祭りが行われる。

 冬の寒くなる時期だから、多由螺は一度も行ったことがない。

 いつも深玖里が出店などで食べものやおもちゃを買ってきてやっていた。


 光葉(みつば)では、山に隠れて花火も音しか聞こえてこない。

 一度でいいから行ってみたいというけれど、それが叶ったことは、まだない。


「ホント? じゃあ、山を降りられるように体力もつけなきゃ!」


「無理はするなよ? それに、多由螺が一人で降りられなくても、オレが背負ってやるから」


 深玖里は多由螺の頭をポンポンと撫でてやった。

 二歳年下の大切な弟を、本当ならば一緒に連れて出たいけれど、旅回りは寿命を縮めてしまうだけだ。


 深玖里の母、美津(みつ)が亡くなったあと、深玖里は多由螺の母、絹江(きぬえ)に育てられた。

 その絹江も数年後に亡くなってしまい、それからは桐子(きりこ)の世話になった。

 多由螺は病弱なこともあり、桐子からも手厚く守られたけれど、深玖里は山を駆け回ることが多く、桐子や緋十夜とは微妙な関係だった。


 家を出たあと、帰ってくる必要性もなかったけれど、多由螺のことだけは気がかりで、顔を見るため、無事でいるのかを確認するためだけに帰ってきた。

 ろくに外へ出ることもできない弟のために、手みやげをたくさん持って。


「楽しみだなぁ……」


 ニッコリ笑った多由螺は、ケホケホと小さな咳を何度も繰り返した。

 前に来たときには、熱を出して臥せっていたけれど、今回は熱は出ていないようだ。

 体が大きくなったぶんだけ、体力がついたのならいいんだけれど。


「緋十夜兄さんも来る?」


「さぁ……どうかな? 多由螺は緋十夜もいたほうがいいのか?」


「だって……兄弟で出掛けたこと、ないでしょ? ボクがちゃんと元気でいられたら、もっといろんな場所にいけたのに……」


 うつむいた多由螺の寂しそうな表情に、深玖里の胸がチクリと痛む。


「緋十夜兄さんみたいに家の手伝いをしたり、深玖里兄さんみたいに外へ……知らない場所へ行ったりすることも、ボクにはできない……情けないよ。いつも、寝てばかりなんだもん。友だちだって、できやしない。二人がうらやましくて、仕方ないんだ。ボクだってもっと……符術だってちゃんと使えるようになりたいのに……」


 まだ十四歳、ずっと寝たきりじゃあ、飽きるに決まっているし、負い目のような感情を抱いても仕方がない。

 こればかりは、誰がどうしてやることもできないし、深玖里にもなにもできないと思う。


 友だちに関しては、深玖里も緋十夜も同じで、光葉の家にいる限りは、そんな相手に恵まれることもない。

 なにしろ、他所(よそ)との交流がないのだから。


「前より元気になっているじゃないか。焦らなくても、少しずつ、できることをすればいいんだよ」


「……うん」


「それとも、誰か……桐子さんとかに、なにか言われたのか?」


「そんなことないよ。桐子さんには、良くしてもらっている」


「そうか……」


 薄っすらと遠吠えが聞こえてきた。

 遠峯(とおみね)か。

 深玖里はカバンから諏訪大社でいただいたお守りを出すと、多由螺の手に握らせた。


「今回、みやげがこれしかなくて。けど、きっとご利益があるから、枕の下にでも入れておくといい」


「おみやげなんて、いらないのに。深玖里兄さんが帰ってきてくれるだけで……」


「遅い時間にごめん。そろそろ寝ないとな。次は祭りの前に来るからさ」


「うん、待っている」


 来たときと同じように、コッソリ別棟を出ると、裏手からそのまま山へ出た。

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