第26話 武蔵国・光葉家
一度降りた山を、また登らなければならないのは面倒だけれど、昔はここを何往復もして外へ遊びに出ていた。
久しぶりに袖を通した男物の服も髪も、違和感を感じることなく体に馴染んでいるけれど、これから家に行くためだと思うと、こんな格好一つにも嫌な感情が湧いてくる。
すでに陽が落ちて真っ暗になった山の中、深玖里は適当に拾った枝に布を巻き、それに火を灯して歩いた。
明かりが見えたことで、光葉の家の連中が警戒したのか、森の中の空気が固まる。
「ったく……オレに結界なんて通用しないっての」
手にした火を消し、カバンから呪符を取り出し符術を唱える。
「呪・鍵・封・解!」
呪符を手に結界の中へ入り、そのまま山を登っていくと、目の前に長い階段が現れた。
この先に門があり、そこからまた階段を上り下りして家へとたどり着く。
キッチリと閉じられた門扉が、決して他者を踏み入らせない意思を示しているようだ。
深玖里の気配に気づいたのか、中で使用人たちが忙しなく動き回っているのを感じる。
しかも、深玖里に向かって符術を放とうとしているじゃあないか。
長く留守にしていたとはいえ、深玖里の気配にも気づかない使用人たち……いや、もしかすると、気づいているのかもしれないけれど……。
「……ンだよ……情けないヤツらだな!」
カバンから木彫りの人形を取り出し、符術を唱えて縁炎、櫂風、夢孤を呼び出す。
「あれ? 深玖里、家に帰ってきたのぉ?」
「うん。中のヤツら、オレに気づいてないんだよ。攻撃してくるつもりみたいだから、ちょっとアンタたちで遊んでやって」
「え? 遊んじゃっていいの?」
縁炎と夢孤がウズウズとして尻尾を揺らし、ニヤリと笑った。
狐たちは光葉の使用人の多くを嫌っている。
まだ深玖里が家にいたころから、使用人たちの隙を見ては嫌がらせをしていた。
今回は深玖里が『遊んでやって』というのを、自分たちの都合がいいように聞き取ったようだ。
もっとも、深玖里的にも攻撃しようとしてくるヤツらは、少々痛い目に遭っても仕方ないだろうと思っている。
「いいよ。門扉を開けたらきっとすぐになんらかの術がくるから、うまいことやってよ」
「任せて」
三匹とも楽し気に前屈みになっている。
その姿を横目で眺め見ながら、右手に呪符を数枚重ね、左手で重い扉を押し開いた。
わずかに隙間ができた瞬間、中から一斉に符術が響き、誰がなんの術を放ったのかわからない状態だ。
狐たちは三匹とも符術を軽々と避けながら門扉をくぐって中へ入り込んでいくと、使用人たちに襲いかかっていった。
「風・盾・避・患! 禁・縛・雷・撃」
深玖里も開いた門扉の隙間から、風の盾で身を護りつつ、強めの雷撃を放った。
たくさんのギャッという叫び声は、深玖里の雷撃を受けたヤツらだろう。
縁炎たちの幻惑術に惑わされた使用人たちは、互いに攻撃をし合っては、バタバタと倒れていく。
「噴・火・焔・舞!」
炎の渦が深玖里に向かって伸びてきた。
「だから効かないっていってんだろ! 水・幻・鏡・結!」
水の盾が深玖里の周囲を巡り、まだ符術を放とうとしている使用人たちを押し流していく。
悲鳴があちこちで響く中、柏手が一度、大きく鳴り響いた。
「なんの騒ぎだ?」
開け放たれた玄関先にたたずむ男のひと声と柏手が、まだ無事でいる使用人たちを黙らせた。
全員が跪いて男に向かって頭をさげている。
「若さま、侵入者です!」
そんなことを堂々と言う使用人の背中に飛び蹴りを喰らわせた深玖里は、玄関前に立つ男を睨んだ。
「緋十夜! オレを侵入者扱いして攻撃してくるなんて、使用人にどんな教育してんだよ!?」
「家を出たきり、ろくに帰って来ない深玖里が悪いんだろう?」
緋十夜と呼んだのは、これから訪ねる桐子の一人息子で、深玖里にとっては腹違いの兄にあたる。
深玖里よりも長い髪を一つに束ね、着物に羽織を着こみ、右手を袖に隠していた。
その手にはきっと、呪符が握られている。
「縁炎、櫂風、夢孤! 戻れ! 帰・孤・風!」
狐たちを木彫りの人形に戻し、手早くカバンの奥にしまう。
同時に呪符を握り、それを緋十夜に向けた。
使用人たちが殺気立ったのがわかる。
「緋十夜、どっちが強いか確かめてみるか?」
緋十夜の符術は強いけれど、深玖里だって負けてはいない。
同時に放ったときに、どちらが勝つか、試したことはまだないけれど。
「私はやり合うつもりなど、微塵もないよ。それより――母が中で待っている。早く入りなさい」
袖から出した右手には、なにも持っていなかった。
深玖里も呪符をカバンにしまい込み、緋十夜のあとから家の中へと入る。
使用人たちが「あれが深玖里さまだと?」「妖獣を使役しているのか?」などと囁きあっている。
これだから、ここへ戻ってくるのは嫌なんだ。
桐子も緋十夜も、近くへ来るたびに寄れというけれど、鬱陶しいことこの上ない。
火狩に言われたのでなければ、今回だって……いや、弟には会いに来ただろうけれど……。
長く続く廊下の先で、部屋の前に立って待つ桐子の姿が見えた。
ニコリともしない無の表情が、いつも通り冷たく感じる。
「先だって寄るように伝えたのに、今ごろになってようやく、ですか?」
「……式神にただ『寄れ』って書いてあるだけで、オレが寄るワケないだろ?」
「では、なぜ今?」
「話を聞きに来たからだ」
「そうですか……夕餉は?」
「まだ」
深玖里の返事に桐子はまぶたを閉じて答えると、パンパンと二度、手を打った。
すぐさま使用人が現れる。
桐子はこの部屋で食事をとるといい、急ぎ準備をするようにと指示を出した。
「お入りなさい」
スッと障子戸を開けた桐子に促され、深玖里は部屋へ足を踏み入れた。




