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獣奇抄録 ~神炎の符と雪原の牙~  作者: 釜瑪秋摩
若山 深玖里 其の二
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第24話 信濃国・国境の温泉宿

 小淵沢(こぶちざわ)で一泊し、翌朝は陽がのぼるのと同時に出発した。

 赤岳(あかだけ)のすそ野を通り、野辺山(のべやま)から千曲川(ちくまがわ)まで行き、そのまま川沿いを進んでいく。

 日が落ちるころには、目的の宿へとたどり着いた。


「明日は山だよ。今日は早めに寝て、日がのぼったら出発しなきゃいけないからね」


 翔太(しょうた)は疲れ切った様子で、あーとかうーとかの返事しかしない。

 ここまでで、こんなに疲れていて、明日からの山道に耐えられるんだろうか?


 夕飯を食べると翔太たちはすぐに風呂へと行き、そのあいだに深玖里(みくり)は一度、宿の外へ出た。

 空は満天の星空で、今夜は月も出ていないからか、小さな星まで良く見える。


 しばらく眺めながら、明日のことを考えていた。

 先ずは、翔太を姉のお墓へ連れていく。

 そのあと宿を取って、一度、家へ戻ってこなければならない。


 悩んだところで、なるようにしかならないか。

 どのみち、いつかはバレることなんだから。

 そう考えて、早く眠るために深玖里も風呂へと向かった。


「うわぁっ! みっ深玖里ちゃん! こっち男湯!」


「なに言ってんのよ? アタシ男なんだから、男湯に入るに決まってるじゃん」


 脱衣所で、ちょうど湯から上がった翔太と鉢合わせた。

 この宿には混浴がなかったから、深玖里としては男湯に入るのが当然だ。

 女湯になんて入れるはずがない。


「うあぁっ!!! そうだった……そうなんだよなぁ……!!!」


 翔太は顔を覆って空を仰ぎ、大声で嘆いている。

 構っていると長くなりそうで、深玖里はさっさと服を脱ぎ、風呂へ入った。

 賢人(けんと)優人(ゆうと)はもう上がったようで、浴場には誰もいなかった。


 一人でのんびり湯に浸かると、昨日までの疲れが癒される気がする。

 ここまで特に(けもの)たちが出てくることもなかった。

 きっと銀子(ぎんこ)茂助(もすけ)遠峯(とおみね)たちのところへ、無事にたどり着いたからだろう。


 部屋へ戻ると、もうみんな眠りについている。

 深玖里も早々に布団へもぐり込み、深く眠りに沈んでいった。



 夢の中で、深玖里は山の中を駆けていた。

 大声で母を呼ぶけれど、このときにはもう、母は亡くなっていて、いくら呼ぼうが届きようがない。

 遠峯の傘下である山の中で、なにかに襲われることなどないはずなのに、大きな影が追ってくる。

 追いつかれ、飛びかかられそうになったとき――。


(れつ)()(ふん)(くう)


 符術(ふじゅつ)を唱える声が聞こえ、影は空中で勢いよく燃え上がった。

 追われた恐怖と、助かったという安心感で、足が絡んでつんのめるようにして倒れた。

 冷たい手が深玖里の腕をつかみ、立ちあがらせて抱きしめられる……。


『もう、大丈夫。大丈夫です』


 聞き覚えのある声に顔を上げると、そこにいたのは桐子(きりこ)だ。

 なぜ桐子が深玖里を助けてくれたのかわからず、ただ困惑した。


 桐子にとって、深玖里は邪魔な存在だったんじゃあないだろうか、と。

 まさか助けられるなどと、考えもしなかったのに。


 山門をくぐり、家に戻るところで、深玖里の世話係たちが駆け寄ってきて、桐子と引き離された。

 結局、助けられたお礼を言うことも出来ないまま、家でも会うこともほとんどなく、終わってしまった。

 数年が経ち、深玖里は叔父と共に山を降りたため、あの日のことはそのままになっている。


 会うたびに、お礼を言わなければという気持ちと、厳格な対応ばかりの姿に近寄りがたさを感じていて、結局、言葉も出ないまま、今に至る。

 ある夜、弟のところへ顔を出そうと、庭の中を横切っていたとき、父と桐子が激しく言い合いをしているところをみた。

 なにを言っているのかまでは聞き取れなかったけれど、そのときの桐子の勢いは恐ろしく、深玖里は植木の陰に隠れたまま、二人が部屋に入るのを待った。


 今でも桐子があそこまで怒っていた理由はわからない。

 ただ、クズ親父のことだ。

 ろくでもないことをしたんだろう……。

 きっと、そうに違いない――。




「――ちゃん? 深玖里ちゃん?」


 翔太に布団をはぎ取られ、肩を揺さぶられて目が覚めた。


「ん……なに?」


「もう出る時間になるよ。支度して」


「んん……わかった」


 伸びをして着替えをすると、布団を畳んだ。

 優人と賢人は先に玄関に出ていて、もう宿で朝の弁当を受けとっている。


「起きたか? 起き抜けだけど大丈夫か?」


「あ……うん、大丈夫。この辺りは良く来てるから慣れているしね」


 ここから奥秩父(おくちちぶ)に入ると、深玖里にとってはもう庭のようなものだ。

 猿や山犬、鹿だけでなく、猪や熊もいるけれど、慣れ親しんだ動物たちばかりだから、襲われることもない。

 なんの問題もなければ、日が落ちるころには日野(ひの)の村に着ける。


 櫻龍会(おうりゅうかい)は姉の死を、どう伝えたんだろう?

 二村(にむら)さんやチヨ婆は、姉の死をどう思ったんだろう?

 それに、先に帰った妹たちは……?


 あの傷跡に気づかないはずもない、きっと獣に襲われた、そう伝えたとは思うけれど……。

 黒狼(こくろう)のこともあるとはいえ、深玖里が不甲斐ないせいもあった。

 本当なら顔向けできないところだけれど、これで縁をきるなど到底できない。


 今はただ、みんなとしっかり向き合って、今後も深玖里にできる限りの手助けをしていくしかない。

 先頭で山を登りながら、深玖里はそのことだけを考えていた。

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