第1話 羽後の獅子・樹士王
人に害なす獣や妖を退治する、獣師という存在がいる。
獣師は退治したそれらを眷属として主従関係の盟約を結ぶことがある。
その契約はとても強い絆で結ばれるけれど、まれに退治をすることなく、惹かれ合うように自然な流れで獣や妖と盟約を結ぶ獣師がいる。
羽後と呼ばれる地方の村に住む、獣師の雪がその一人だ。
その雪がどんな仕事をするときにも必ずともに行動する眷属がいた。
獣の妖であり獣奇と呼ばれる、白狼の迅がそれだ。
雪は迅を尊重し、手放しで信頼していたし、迅もそれに応えるように雪に尽くした。
迅は羽後の山中をくまなく見回っていた。
干潟に近い海沿いの村周辺が迅の縄張りだ。
縄張りといっても、動物のそれとは違う。
単純に、獣師である雪の行動範囲がそのあたりである、というだけの話しだ。
同じ羽後でも陸奥に近い辺りや、羽前寄りの地域、陸中側や陸前との境など、別の獣師と眷属が守っている場所はたくさんある。
迅は、獣や妖獣同士でいさかいが起こらないよう、時に自分がいる地域の見回りをしては、彼らと交流をしている。
そうすることで、人への危害が減ることがあるからだ。
別の獣師の眷属たちとも、それなりにうまくやっているつもりだ。
雪も同じで、人付き合いは悪くない。
互いに情報を交換し合っては、獣や妖の居所を確定している。
「迅。頼まれていた荷物だよ。スピードを出し過ぎて、落とさないようにね」
「雪、ありがとう。樹士王さまもきっと喜ぶ」
布にくるんだ手みやげを、首にしっかりと巻き付けてくれながら、雪は空を仰いだ。
「風はなさそうだけど、迅は足が速いから、ちょっとしっかり結んだよ。樹士王さまに、雪からも近いうちに、ご挨拶に伺いますって伝えてね」
「わかった」
今日は陸中との境にある山の主である獣奇の獅子、樹士王に会いにきた。
最近になって迅の縄張りでは、猿や蛇などの妖獣たちが、やけに人を襲っている。
雪とともにそれらを倒すのは容易いけれど、なぜこんなにも、攻撃的になったのかがわからない。
他の獣師の情報でも、同じように暴れた妖獣が人を襲っているという。
ただ、自分たちと同じように理由も原因もわからないらしい。
迅も一番近くで活動している獣師の眷属である、妖狐の白影と話しをしてみた。
「うちの主も困っているよぅ。なんせ、妖獣に狐がいるもんだからさぁ、あたしと重なってやる気が削げるっていってさぁ……」
「それは心配だな……」
「だろう? やる気くらいは出しておいてくれないとぉ。死なれちゃったらあたしが嫌だよぅ。迅のほうはどぉ? 狼、出たら雪は気にするぅ?」
「雪はどうかな? 幸いにもまだ敵としては狼と出くわしたことがない」
「そっかぁ……まあ、なにかわかったら、すぐに報せるからぁ、こっちにも情報、流してねぇ」
間延びした白影の話しかたに、緊張感も緩む。
白影の主である、岳ものんびりした人柄の良い男だ。
雪の伴侶にするならば、こういう男が良いんじゃあないかと常々思っている。
山に入る前に一度、遠吠えで訪問の意を示した。
それに応えるように樹士王の咆哮が響いてくる。
迅は山へと足を踏み入れ、樹士王のもとへ駆けた。
「樹士王さま、ご無沙汰しております」
「迅よ。久しいではないか。珍しく訪ねてきた理由はこれか?」
ドサリと迅の前に、猿の妖獣が投げ出された。
大きく開いた口からは、泡と一緒に血が混じっている。
思わず目を細めてそれを睨んだ。
「樹士王さまのところにも既に現れていましたか」
「こやつらは、集団で我が山村のものたちを襲っておった」
樹士王の側使いの狼たちが猿を片付けていく。
迅は自分の縄張りでも、同じような妖獣が増えていることを話した。
「猿どもはなにかに怯えている様子だったが……」
とにかくひどく暴れるものだから、話しを聞く間もなく息の根を止めたらしい。
「なにか不穏な噂はないかと、狼たちや山犬たちに聞き及んでいるが、今は特になにも出てこぬ」
「そうですか……」
もしかするとなにか聞けるかもしれないと思い訪ねてきたけれど、ここに情報はないようだ。
迅は首に巻いた布袋を樹士王の前に差し出した。
「主、雪からあずかりました。鹿の干し肉です。お口に合うかはわかりませんが……」
「これは……迅の主の干し肉はうまい。ありがたくいただこう」
以前にも同じものを渡したことがある。
その後、何度も褒めるものだから、今回も雪に頼んで手みやげにした。
「今後、なにかわかったら報せていただけないでしょうか?」
「かまわぬ。迅もなにかわかったら報せてくれ」
「はい。このあと、羽前の霧龍さまを訪ねようと思っています」
「霧龍か……その名も久しい……」
懐かしむような表情で羽前のほうを向いた樹士王に雪の言伝をつたえてから挨拶をし、迅は山を離れた。