マンボウトンネル
あれは全て、夢の中の出来事であればよかったのに、
……そう思ったことが何度あったことか!
「本当に、イヤになっちゃいますよね! 」
そう言いながら、隣のベッドで寝ている男が話しかけてきた。
「私、……もう二週間になりますが、入院生活も慣れてしまうと単調で、何も面白い事がないものですから」
文雄は時々、この同室の男の愚痴を聞かされている。
別に聞きたくて聞いているわけではないが、他にやることも無いので、まるでBGMのように聞き流しているのだ。
だが、それだけでは余りに理不尽なので、時には良い塩梅の返事もしてやるが、それでも、自分自身のことは聞かれない限り、なるべく語らないようにしていた。
何故なら、これといって面白い事がない自分の人生を人に語って聞かせるのは、とても恥ずかしい事のように思えたからだ。
そんなある日、また、男が語った。
「こんなに毎日、『病気だ、病気だ! 』 と薬を飲んで眠っていると、一日中、夢の中にいるような変な気分になりませんか? 」
「……そうですね。忙しく仕事をしていた頃が、逆に夢だったみたいに思えてくるとか」
文雄は、男の言葉に薄く笑いながら相槌を打った。
入院してから、かれこれ三週間になる。
文雄は、顔に帯状疱疹ができた為に入院を余儀なくされたのだ。
右の頬には赤い発疹がたくさんできて、その部分が盛り上がると顔の半分が引き攣り始め、あっという間に口が真っ直ぐ閉められなくなった。
この病気は本来、免疫力が落ちている時に、普段は身体に同居していて大人しくしている菌が勢いづいて外に出てくるのが原因だそうだ。
どうして、こんな事が起こるのか自分では分からなかったが、医者の話では、ストレス等でも起こるらしい。
『やれやれ、何で今更ストレスなんだよ! 』
自分でも笑いたくなる話だ。
今までにも、もっと辛い時期を過ごしてきたはずなのに!
文雄はこの病気を治す為に、毎日、三時間かけて点滴を打ち続けている。
初めての時は、天井からぶら下がる点滴の袋を見るなり、
『 こんなに大量の液体が血管に入るのか? 』
と、少し不安だったが、慣れると恐ろしいもので、左右の手首が両方とも毎日の点滴の為に青黒く内出血しているのに、それでも何とか続けられるようになっていた。
「今日は、どちらの手でやりますか? 」
という、看護師さんのやさしい声掛けに対しては、
「左手で」
昨日は右手だったので、文雄は急いで答えた。
これでも右利きなので、痛くない限りは左手でやってもらうことにしている。
「じゃあ、楽にして下さいね」
そう言うと、看護師さんは慣れた手つきで手首の静脈に針を入れてくれるのだ。
最初は、すごく怖かったが、もうさすがに慣れてしまった。
妙なものだ。点滴液の中には眠くなる成分でも入っているのだろうか、落ちてくる点滴を見ているうちに、文雄はだんだん眠くなる。
今日は何が見えるのだろうか?
この三時間にわたる長いようで短い微睡の時は、普段は睡眠不足で余り眠れていない文雄にとっては貴重な経験だった。
……夢は、短くて浅い眠りの時に見るらしい。
だからこそ、最近めっきり夢など見ない文雄にとっては、期待の時間でもあるのだ。
……今日はどこの景色だろうか?
……誰が出てくるのだろう?
……どんな経験をする?
まるで、違う世界を散歩するかのような妄想に駆られる。
見た後に客観的に考えると、結局、どう考えても自分の過去の一風景でしかないことに気付くのだが。
その日の夢は、あの頃だった。
文雄の人生の中では最も辛く、しかし、一番生きていることを実感させられた時代だ。
平成七年一月十七日に起こった、阪神淡路大震災の時の風景が浮かび上がった。
あの頃、文雄は年老いた両親と共に、何とか壊れることを免れた自宅に必死にしがみつくように暮らしていたのだ。
父には持病があったので、避難所には入らず、食事だけ毎回支給される物を取りに行った。確かに手間がかかって大変だったが、自宅に居る分、父にとっては環境が変わらず、病状も安定していたように思える。
だが、壊れていないとはいえ、震度七弱の揺れにあったのだ。家の中は全部ぐちゃぐちゃになっていた。
そこで、暫くの間は家の片付けで精一杯である。
それに、水道やガスも止まったままだった。
電気だけは、辛うじてその日の夜には付いたが、とにかく真冬なので、寒さを我慢するしかない。
水、電気、ガス、……ライフラインは大切だ。
どれ一つ欠けても、いつもと同じ生活なんてできない。
そして、いつもと同じ単純な日常こそが大切なのだ。
日常じゃない生活は、不安感を生み、やがてストレスが溜まり始める。
水道の復活には約一ヶ月。
ガスが使えるようになるには三ヶ月以上かかった。
それでも、生命線の電気を頼りに、皆が耐え忍んだ。
『IH コンロ があれば、電気だけでも温かい料理が作れるで! 』
そんな話を小耳に挟み、近くの電気屋に行ったが、売り切れていて手に入らなかった。
すると、事情を知り、大阪に住む親戚のT君がわざわざ買ってきてくれたことがある。
「IH コンロ、こっちでも品切れやったから、日本橋のでんでんタウンまで行って買うてきたよ、……店のおじさんに事情話したら負けてくれたし、 そんでオマケやって、てんぷら鍋まで貰ろたで! 」
そう言いながら、運んで来てくれたのである。
そこで私達は、感謝しつつも、
『何でオマケがてんぷら鍋なのだろう? 』
と思いながらも、てんぷら鍋で雑炊を作ってみた。
これは夢だな、……夢に違いない。
今日の夢は、あの思い出なのか!
そう思いながら、文雄は、雑炊を食べてほっこりしている皆の姿を、俯瞰で見下ろしている。
……だが、あの頃には、あんな出来事が起こるとは思いもしなかった。
いよいよ、T君が家に帰る時のことだ。文雄と母は近くにあるマンボウトンネルの所まで見送りに行った。
マンボウトンネルとは、旧国鉄(今のJR )が開業する時に、盛土を積んだ上に線路を引いて走らせたのだが、一部の地域では線路の存在が邪魔になり往来ができなくなったので、線路の下を流れるように作られていた用水路を、後から人が通れるように作り直したトンネルのことらしい。
そのせいか、家の近くの物は恐ろしく狭く、大人が腰を曲げてやっと通れるような高さしかない上に、横幅も狭いのですれ違うこともできない。
それでも慣れてしまうと不思議なもので、自転車を押しながらでも素早く通り抜けられるようになるのだ。
そして地震後もこのトンネルは無事だったので、相変わらず皆が利用していたのである。
いよいよ、マンボウトンネルの前に辿り着き、いざ、別れとなった。すると何故だか、三人の間に気まずい空気が流れる。
何となく別れが辛くて、沈黙してしまう。
「大変やと思うけど、また来るからね。何か要る物があったら連絡してね! 」
と、T君は優しく言ってくれた。
そして、それが文雄の聞いたT君の最後の言葉になったのである。
それから間もなく、T君は交通事故に遭って亡くなってしまった。
そのせいだろうか、T君が入って行こうとするマンボウトンネルが、一瞬、生き物のようにT君を飲み込むように見えたのだ。
……いや、ほんの一瞬ではあったが! まるで大きな黒い猫が口を開けているようだった。
「そっちは帰り道じゃないよ! 皆が待っているから、こっちに帰っておいで! 」
文雄は大声で叫んだか、何故か声が出ない。
身体は鳥のように宙に浮いたままで、過去の景色を見下ろしている。だが、何もすることができないのだ。
……気が付くと、当然のことながら、仮眠の中で悪夢を見ていた。
しかし、つかの間でも、懐かしい人に会えたことは幸運なのかもしれない。
……そう、思った。
こんな不思議で混沌とした時間を経験しながら、文雄は無事に退院し、また現実の生活の中に戻ってきたのである。
季節は巡り、月日はどんどん過ぎていく。
震災から、もうすぐ三十年になる。
暑すぎる夏と共に盆が訪れると、皆が仕事の手を休め、少しだけ時間が止まったようだ。
そして、その間だけかもしれないが、過去の情景や亡くなった人達のことを考える。
いろんな場所で、日常的に天災が起こる日本だが、誰もがありふれた日常を送れることを願ってやまない。
月日は巡るが、いつまでもあの日のことは忘れない。