うしのくび
「お客さん。これが何か、知ってるかい」
とあるバザーに足を運んでいた女は、店主が手にするそれに魅入られていた。
それは、牛の頭部だった。少し黄ばんだ色をしたそれは、骨が剥き出しになり目の部分は空洞である。
「……つまりこれは、牛の頭蓋骨ですよね」
店主の声に答えながら、女はなおも牛の頭部を見つめた。
なんだか見られているような気がしたのだ。まさかそんなわけはないのだが。
「そうだ。けども、ただの牛の頭蓋骨じゃあない」
店主の男は、ニヤリと笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
バザーの片隅の目立たない場所、そこに小さなテントが張られていた。
何の店だろうとふと思い、女が声をかけると、置かれていたのはあらゆる動物の頭部。どれも剥製で、なんとも薄気味悪かった。
しかし女が目を奪われたのは、剥製ではなく中央に置かれていた牛の白骨。
するとすぐさま男が話しかけてきたというわけだった。
「牛の首……?」
「そう牛の首さ。実は、この首には逸話があってね。聞くかい?」
女は、なんだか無性に牛の首が欲しくなった。
もしかしたら何かの伝説のある物かも知れない。興味も湧いて来て、女は「ぜひ」と、店主の話を聞かせてもらうことにしたのである。
「じゃあちょっと長くなるが話そうか。私も前の持ち主から聞いただけなんだがね……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「大昔の話。
とある村に、一人の少女が暮らしていたんだそうだ。
ある日照りの年、雨の神に祈るために生贄が差し出されることになった。
今までは牛を贄として沈めていたんだが、あまりに激しい旱魃のため牛が皆死んでしまい、差し出すものがなくなっちまった。
そこで選ばれたのがその少女だった。牛の如く大きく勇敢だったんだとさ。
少女は、生きながらに顔を歪められた。
贄は牛でなきゃなんねえ。だから牛みたいに鼻をびろんと伸ばされて、耳を切り落とされて代わりに突起を埋め込まれて……。それはそれは痛い拷問みたいなもんだったんだろうなあ。
それから舌を奪われ、牛のように呻くこと以外はできなくなった。
そうすりゃ牛の娘の完成さ。
雨乞いの祈りが捧げられると、牛の娘は首を落とされ、深い深い池に沈んでいった。
これで雨が降る。村人はみんな安心した。
けども、そうはならなかった。
池が真っ赤なままなんだ。そりゃもちろん生首を放り込むわけだから最初は赤いんだが、普通はそのうち消えていく。
でもどれだけ経っても赤いままで、村人たちはみんな恐ろしがった。
……そんなある日、事件が起きたんだな。
真夜中、誰かが訪ねて来る。
誰かと思って戸を開けると……それは、すっかり骨になった牛の首だった。
もちろんただの牛じゃなく、牛の娘の首といった方が正しいがね。
皆が驚いて腰を抜かしているうちに、牛の首が襲い掛かって来たんだとさ。
そうやって次々に村の民家を回って行って、一夜で皆殺しにした。
きっと顔を歪められて殺された娘の怨霊だったんだろうな。
たった一人、命からがら逃げ延びた男は、その話をよそ者にして回った。
しかしそれがいけなかった。話を聞いたものの元には三日で牛の首がやって来て、同じようにして殺していく。
もちろん逃げ延びた男も例外でなくて、三日経った夜に変死体で見つかった。
こりゃ大変だと巫女さんが例の村へやって来て、池に祈りを捧げたんだと。
そしたら池の血の色がすぅーっと消えていって、代わりに牛の頭部が浮かんで来た。
巫女さんはそれを神社に持って帰って、長い間神社の奥で大事に仕舞われていた。
が、いつの時代かその牛の首が泥棒に盗まれちまって……それからまた災いを起こし始めた。
それを見た者は必ず、三日のうちに死ぬ。
が、この言い伝えをそっくり誰かに話し、かつ牛の首を手渡せば助かるらしい。
私の前の所有者もその一人で、私を騙して売りつけて来たんだな。ウチは元々動物の剥製とかを扱ってるんで、狙いをつけられたんだろう。
そして話を聞かされたこっちはたまったもんじゃねえ。ってことでバザーに出して、そしてあんたが目をつけてくれたってわけさ。
話を聞かせた以上、これは受け取ってもらわなきゃならねえなあ。
……今度はあんたの番だよ、お客さん」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
女は悲鳴を上げて、バザーの会場から逃げ出した。
当然だ。牛の首がそんな曰く付きなものだなんて思ってもみなかったし、そんなのを売りつけられたらたまらない。
走って走って走り続け、女は自宅まで帰って来た。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
でも落ち着いて考えてみれば、あの話はおかしくはあるまいか。
そうだ。そんなものなら、もっと大っぴらに知れ渡っているはずだ。だからあれはきっと嘘に違いない。あの店主がどうしても牛の首を売りたくて、ついた嘘。
女はそう考えて少々安心した。それなら怖がる必要など微塵もない。
彼女は、あの牛の首のことは完全に忘れることに決め、努めて気にせずに過ごした。
……まさか自分が三日後に、変死体で発見されるとは思いもよらずに。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「逃げちまったか。じゃあ代わりに、別の客に売りつけるしかねえなあ……」
女が逃げてしまった後、店主の男はそう言ってため息を吐く。
男だって牛の首の話を信じているわけではない。が、曰く付きの品は早く売ってしまいたいものだ。
男は、テントに近づいて来る人影を見た。今度は小さな男の子だ。
にっこりと笑いかけ、手招きをする。男の子がすぐにやって来た。
「おじさん、それ、なあに?」
「ああこれかい。これは牛の首というんだがね。ちょっと話を聞いて行ってはくれないかい?」
店主の男はそうして、またも語り始めるのだった……。